03



 左の頬を撫でながら、女のことを考える。
 素顔を隠して久しいが、左目を囲うように刺青を入れている。もうこの世でこれを知っているのは、自分とカイドウさんくらいのものだ。
 考えているのは、他でもないこの刺青を彫った女のこと。情けなく執着しているわけでもない。未練がましく思い返すわけでもない。ただ、ただ時折。ふと頭の隅に彼女が過ぎるのだ。
 
 ***
 
 何十年も前の話だ。おれはある冬島に身を寄せていた。
 偉大なる航路、それも新世界となればよくあることだが、よく並の人間が生きていられるなと思うような島だった。冬島である以上常に雪で閉ざされている極寒の気候。それに加え、定期的に特大の氷柱が降ってくるのだ。当然人の住めるような環境ではないのだが……島民は鋼鉄製のドームを作り、その中に街を形成して住んでいた。ドームの中であれば氷柱も怖くないし、猛吹雪の影響も少ない。気候の良い時を見計らって街の外へ出て食糧を調達するのが、この小さい街の常だった。時折商船がやってきてほんの僅かな貿易をする。国というよりは小さな村のような、平和な島だった。
 そんな島で、おれは一人暮らしていた。元々何をしても死なないような丈夫な身体をしている。どんなに寒くても低体温症なんかにはならないし、氷柱程度では傷もつかない。元々いろんな島を転々として暮らしていたし、別にここでの暮らしも悪いものではなかった。耐え切れなくなればまた他の島へ飛んでいけばいいだけの話。あまり一箇所に定住すると政府の追手が来る。全く、種族という生まれながらのもので追い掛けられるのも簡単ではない。
 平和なそんな島に、あるとき海賊がやってきたことがある。侵略目的の奴らは大抵氷柱の猛攻とドームが雪をかぶっているせいですぐに帰っていくのだが、その時は運の悪いことに比較的暖かかった。吹雪も氷柱もなく、あまつさえ島民が外へ出ている時間帯だった。ただ極寒の地で暮らしているだけの民が海賊に敵うわけもない。ああこの島は終わるのか、と思った矢先。少女が逃げているのが見えた。急いで走るせいで毛糸の帽子が脱げる。雪の白によく映える、桜色の髪。赤くなった鼻先と頬。その様子を視界に留めたと思った時には、何故か先に身体が動いていた。猛スピードで急降下して彼女を掻っ攫う。幸い、丈夫すぎる身体をもっていたので寒さに震える海賊なんか敵ではなかった。気絶した彼女を小脇に抱えて、初手で蹴り倒した海賊の取り落としたサーベルを持てば造作もない。総勢二十数人の無法者を切り戦意喪失させた。体感五分ほどの大立ち回りだった。
「……大丈夫か」
 少女の頬を手の甲で軽く叩く。少女、と言ってもこちらも同じくらいの少年なのだが。彼女の反応はない。ともかくドームの中に運び込まねば。
 
「……天、使?」
 やっと目を覚ました彼女の第一声はそんな素っ頓狂なものだった。ドーム内、町医者の家。島の長に事情を説明するためおれも同席していたのだ。といってもたまたま彼女が海賊に襲われていたので結果的に救った、くらいしか言えなかったが。種族や身の上は明かせなかったので、おれは数日前に辿り着いたとだけ言っておいた。海賊というわかりやすい敵を倒したので空気は和やかなものだった。こんな他者へ警戒心の無い人間たちばかりでよくやってこれたものだ。外敵らしい外敵も気候のせいで入ってこなかったのだろう。一切素性の知れないおれでさえ英雄として祭り上げようとしているフシさえあり、医者も長も気を失った彼女とおれだけを残して宴の準備をしにいってしまった。
「気付いたか、おれは天使ではない」
「じゃあ神様か何か?」
 背に羽があるだけで天使や神だというのなら、空島に住む人は皆その類ということになるが良いのか。ああいや、ほとんどドームの中で生きてきたんだろう、そんなこと知らなくても仕方がないか。薄いピンク色の髪のイメージ通り、明るい少女らしい。
「だって飛んでたし、私絶対死んだって思ったのに生きてるし。ここ島の外から来るひとなんて滅多にいないしさ」
 さっきまで気をやっていたくせによく喋る。鬱陶しくはあるが、一方であの時体が咄嗟に動いてよかったと思う。何故だかはわからないが。
「……ありがとうございました。おかげで、助かりました」
 彼女は一通り、普段のドーム内での生活がいかに退屈かを語った後でそう言った。こちらの手を握って、至極真面目な顔をして。出会って一時間も経っていないが、ああそんな顔できるんだ、と思った。
「この島に住むんだったら、ウチに来ない?」
 彼女はそう提案した。おれより僅かに年上の彼女は、さも宿屋の女主人のような貫禄で言う。彼女の申し出は嬉しいが、生憎一箇所に留まるわけにいかない。そう断るつもりだったのに、こちらの手を取ったままだった彼女の手がぎゅうと力を増したので、思わず頷いてしまった。まあ良い、辺鄙な島だ。一年ほどであれば問題もないだろう。

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