TRICKSTER 02



「奇遇だな」
 浅い砂地に背をつけて、波に体を預けている。潮の香りと微温い海水に浸る心地よさはさながら羊水の中の赤子か。朝の仄暗さも相まってまだ生まれていないような錯覚に陥って、それならばどんなに良かっただろうとただ漂っている。
「……迷子ですか、ダンデさん」
 そんな広義のまどろみに降ってきた男の声に、少ししてから返答した。ここはヨロイ島、チャレンジビーチ。そうそう人の来る場所ではない。
「ああ。日が昇る前にはハロンタウンに辿り着けると思ったんだが」
 彼は少しも悪びれずに言う。自分の修行していた場所も、自分の故郷にもたどり着けない方向音痴は最早開き直るしかないのか。いや、彼の場合そんな自分さえ愛せるのだ。だから、こうも明るく欠点を認めている。これが彼のチャンピオンたる由縁なのか、それともチャンピオンという型が作ったものなのかはわからない。彼のこういうところが苦手だ。私には無いものをすべて持っている。私の幼馴染の隣に立つ才能もある。人間相手にうまくやっていく術も知っている。それが羨ましいから、苦手だ。この感情が伝わっていないことも含めて。
「駅までで良いですか」
「助かる!」
 先程から隣でぱちゃぱちゃと水遊びをしていたトリトドンがぽわ、と疑問を伴った声を上げる。トリトドンは私がダンデを苦手なことを理解しているから、こうも彼を突き放さないのが珍しいのだろう。しかし当のトリトドンもそのまま彼に撫でられて懐柔されつつある。冷静だけれど人懐こさは隠せていない。いや彼が万物に好かれる性格のせいかも。
「で、どうしたんだ?」
「何がですか」
 ああ、まただ。彼の、まるで太陽みたいな表情。屈託のない笑顔に、汚れのない声色、それでいてすべてを見通した金色の瞳。彼のこういう、人外じみた善性が、特に苦手だ。確かに私は問題を抱えている。けれどそれは私だけのものだ。こんな、幼馴染のライバル程度の人間に相談できるものでもない。今まで数度会ったことはあるしその度に迷子になった彼を保護して適当に案内していた。でも、それだけだ。
「幼馴染のことがね、わからないんですよ」
 ふと出てきた自分の声を疑った。誰でもいいから話したかったのか、彼くらいにしか相談できないと理解ってしまったからか。トリトドンは何かを察したのか、ボールの中へ戻ってしまった。
「言葉がなくても全部わかるから、言葉を使った意思疎通ができなくなった」
 キバナのことが、わからない。
 キバナは幼馴染だ。それも、とびきり仲の良い。私が社会システムを嫌わなければ今だってずっと隣に並んでジムリーダーなんかをやっていたはずだし、隣に座ったダンデとも一緒に戦っていたはずだ。それを拒んで一人を選んだ私を、けれど彼は否定しなかった。もちろん私だってできることなら彼と隣が良かった。でも無理だった。そうそう切れる縁でもないので、たまに会っている。会っていた。なんと言えばいいか、キバナとはいわゆる、肉体関係にあった。きっかけは覚えていない。ただ、拒まなかった。言葉なんか不要の関係だったから、拒む理由も強請る甘えも言えなかった。嫌じゃなかった。あの彼に抱かれている間は少なくとも彼を独り占めできたし、世界に愛されたキバナという男を世界に嫌われた私が独占するのは随分心地が良かった。幼馴染という枠を捨ててただの女に成り下がろうと、それがどこか悲しくても、根底にあるアングラな感情は満足気に笑うのだ。
「だから逃げてきました」
 彼は私を穿ちながら、「身体の相性も良いんだな」と笑うのだ。彼が言うのならきっとそうだと思った。気持ちいいことに違いは無いし、あの行為を嫌いと言えるほど本能には背けない。けれど、私はキバナ以外の男を知らない。彼以外の人間とはまともに会って会話も出来ないからだ。きっと私は都合が良い。それはツーカーである以上に、私であればこの関係をどこにも漏らす心配がないからだ。人間との付き合いなんて片手で数えられる程度だ。彼ならば女なんかよりどりみどりで、そんな中で子供みたいな体型のままの私を抱くのはそういうことだ。リスクと快楽を天秤にかけたら私になっただけのこと。
「お前たちは付き合っているとばかり思っていたが」
「まさか」
 あれは「付き合っている」なんて真っ当なもんじゃない。まあ他者から観測すればそう判断されてもなんらおかしくはないだろう。一緒にキャンプをすることもあるし、たまにどちらかの家にも泊まる。ポケモンの育成に関して討論していることもあるが、そこはそれ。というかそれだけだったならただの悪友とか親友で済まされただろうに。
「あなたが、心底羨ましい」
「オレが?」
 観察眼はズバ抜けているくせに、こういう話題になると途端に疎い。キャラ付けではなくこれがダンデの素のはずだ。そんな彼が羨ましくて仕方がなかった。彼の隣に並び立てるほどの実力と精神力、そしてこの鈍感さ。私が彼だったならばきっと、きっと
「いや、何でもないです」
 きっと。その続きは出てこなかった。思い付かなかったというよりも考えるのをやめてしまった。考えたって意味がない。いくら夢想したってその通りになることはないし現状が解決するわけでもない。目の前で現実逃避に耽るなんて隙を、仮にもチャンピオンの前で見せられるわけが。
「キミはこれからどうする?」
「……アローラへ。休暇を貰ったのでしばらく戻りませんよ」
 どうする。その問いはおそらく何処へ行くかと問うものではなかったはずだ。ダンデとしては、私が「一度キバナに会って話すよ」とか言うのを期待していただろう。
「アローラか!あそこのポケモンも独特で良い。オレもいつか行ってみたくてな」
「はは、目一杯楽しんできますよ」
 ざばりと立ち上がる。そろそろ発たなければ飛行機の時間に間に合わない。
「私が先導するのでリザードンに乗ってついてきてください」
 私の言葉に反応したのか、ダンデのリザードンがモンスターボールから飛び出す。こちらにばきゅあ、と一鳴きしてみせた。ああ、このトレーナーあってのポケモンらしい。随分と人懐こいものの、余人が近寄れないくらい強烈な闘争心。表面上の柔和さに騙されるが不用意に立ち寄ると一瞬で食われてしまう。そんな、仮にもチャンピオン相手に向けるには少々攻撃的な感想を抱いた。よく愛されたリザードンだ。相思相愛、とは彼らのためにある言葉だと言っても過言ではない。
「ん、ごめんね。出ようか」
 くるる、と甘え半分威嚇半分の鳴き声を出したのはドラパルト。私がリザードンに見惚れているのが嫌らしい。申し訳ないことをしたね、と喉を撫でる。後で埋め合わせをしよう。もちろん、私もトレーナーの端くれ。どんなに素晴らしいポケモンだって私の相棒たちには及ばない。それでも彼のリザードンは、つい目を奪われてしまうのだ。虹を見てしまうように、雷に振り返ってしまうように。自然現象的な抗えない魅力がなんて言い訳はやめだ。自分のポケモンそっちのけで他の人のポケモンを褒めそやすなんて風上にも置けないじゃないか。
「いつもよりゆっくり飛べるかい」
 別にダンデとのランデブーを楽しみたいわけじゃない。というかそんなことができるほど節操無しでもないし。彼のリザードンは相当な負けず嫌い。本来ならば誰かに先導されるのも嫌がるはずだ。それでドラパルトが通常の速度で飛んでみろ、駅までの移動は飛行レースとなりデッドヒートの当事者になってしまうだろう。
「キミはドラパルトに乗るよな。どうだ?」
「私の体格じゃないと無理。飛行というよりも浮遊だからね。羽音がしないから観察にはもってこい」
 ドラパルトは自慢げに鼻を鳴らす。ああもう、そうやって君はリザードンに喧嘩を売るんじゃない。
「そうか!いや実はオレもドラパルトに乗せてもらえるよう頼んだことがあるんだがリザードンが許さなくてな。数日拗ねられてしまった」
 ダンデのドラパルトはボールから出て来ない。どうやら場をきちんと弁えているらしい。ここで争うほど子供ではないと言いたいのかもしれないな。何にせよ、ダンデの体重では無理だ。ここはこちらの出番、と鼻息ならぬ鼻火の粉を吹いてリザードンは得意げにしている。
「所要時間は五分。リザードン、道覚えとくんだよ」
 空を行動範囲とするポケモンは方向感覚に優れている。磁場だの風だのを読んで感覚で把握しているからだ、と以前ロトムは説明していたか。まあ私は専門外なのでネットでざらっと調べられること以外がわからない。閑話休題。兎にも角にも、リザードンであればきちんと覚えてくれるだろう。
「ありがとうな、旅行から戻ったら話を聞かせてくれ」
「戻らないかも」
「そうか……いや、キミほどのトレーナーが外へ出てしまうのはガラルの損失だろう?」
「そうかな、バトル適正はあってもトレーナー適正は無いよ」
 彼のぎらつく瞳がこちらを射止める。今すぐにでも戦わないか、という誘いの視線だ。リザードンに飛び乗って離陸直前だというのに、燃える朝日みたいなまっすぐした目が眩しくて目を逸らした。断っておくが、私だってバトルは嫌いではない。人との関わりを絶っているのでトレーナーとのバトルをしないだけで、普段は調査も兼ねてダイマックスポケモンを相手どることも多い。だから彼の誘いに乗るかどうかで揺れていた。
「戻ってきたら一試合、どうだ」
「……考えとくよ」
 一足先に空中へ浮いて、彼を見下ろして言う。ああ畜生、どうなっている。見上げられてもなお彼の体現する優位は変わらないじゃないか。あれは勝者だ、この世界の絶対的王者が彼だ。こちらが勝手に劣等感を募らせていることも気付かず無垢な様がその証左だろう。敵わない、叶わない、羨ましい。浮かんでは消える感情を振り払うようにドラパルトに抱きついた。彼なんか早く駅に送り届けて切符を握らせてしまおう。

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