ずらりと掲示された画用紙には思い思いの夏の情景が描かれていた。海水浴、夏祭り、花火大会、キャンプ、虫取りの情景、エトセトラ。一人一人が夏を切り取った拙い絵はどれも微笑ましく、また技法を知らないが故のダイナミックさに溢れている。去年の夏休みの課題を、子供の参考になるようにと貼り出しているここはとある小学校の図工室。長らく換気をしていなかったが故の甘い空気が停滞している。蝉の声がはるか下から響く四階、絵画の異様さを除けばよくある夏休みの風景だった。
「これか」
「そう。何故かどの絵にもいる『白ワンピースの少女』。これが今回の調査対象だよ」
 未だ階級、その存在すら曖昧な呪霊(ではない可能性も含めて)対象を調査する。九州北部のあるエリア、何故か一帯の小学生がどこにも存在しないはずのものを描き、怪奇現象のようになっている。地方のニュースにも取り上げられるようになってしまったため、急遽我々呪術界の介入が始まったのだ。呪霊を含め、怪異というものは注目が集まり人々に知られるほど力を増す可能性を秘めている。心の内の恐怖は、多くの人間が抱くほど呪力の源となり得るからだ。どんなに危害の少ない呪霊であれ、呪いは存在するだけで周囲に影響を及ぼす。そのうえ知名度という力まで得てしまったらどんなことになるか想像もできない。だから全国規模で有名になる前に実態を把握する。実態を把握すれば対処ができる。
「呪霊という型に嵌るかどうかもわからんが。未だナリを潜めている段階だな。イメージが浸透した後に行動に出るだろう」
 子供にターゲットを絞っているというのも納得がいく。年齢の低い存在は魂の存在が不安定だから誘い込みやすい。それに子供というものは発信力もある。子供が語れば家族にも伝わる。まるでマーケティングでも学んだみたいな戦術だな。
「今回は斃して良いのか?」
「うん。調査ってことになってるけど可能ならば祓えってさ」
 そうとくれば、と葵は指の関節を鳴らす。単純な呪霊だったなら彼の力で十分だろうが、半ば妖怪や神の域にまで足を突っ込んでいた場合が問題だ。どうにかできる法則に従って存在してくれていれば良いのだが。
「しかし……単純に子供の流行りの可能性は無いか? 子供は互いに真似し合うものだろう」
「私もそれを考えたんだけどね。人なんていう描きにくい形をわざわざ描くかな? しかもこれとか」
 右から三番目、下段の絵を指差した。夏を題材にすればなんでも良いという宿題だったらしく、大きく描かれているのはカブトムシだった。小学校一年生の作品としては素晴らしい出来だろう。ひらがなの歪な名前の横に、先生の褒め称えるコメントと金色の勲章のようなシールがついている。カブトムシが大好きなことが十分に伝わってくる力作、しかしこれにも件の少女が描かれているのだ。右上に小さく、麦わら帽子を被った白いワンピースの少女が。
「ローカルのニュース番組でも話題になってね。その映像を見たんだけど全員、『見たものをそのまま描いた』って言ってたんだよ」
 あくまでこれが呪いなんていう非日常であることを、当事者たちにさえ悟られてはならない。だからこういう調査を行うときは騒がず、個人の興味です、というのを全面的に出す必要がある。今回は大学の心理学課題のためということにして、学校側に許可を取っている。もちろん子供本人に聞いても良いのだろうが……既に術式が仕込まれていた場合、呪術師が下手に接触することは刺激に繋がりかねない。
「認識阻害が伝播するのって有り得ると思う?」
「可能性としては低いだろうな。全員が呪霊そのものかその結界に接触しているはずだ」
 大人に比べ、特に小学生くらいの子供は呪霊を見る割合が多い。とはいえ全員に認識されるためには余程の呪力が必要になる。認識そのものに鑑賞し「いないものを見せる」方が幾分呪力消費はマシになる。一方で数人のイメージが周囲へ伝播し全員が幻覚を見る、というのはあまり現実的ではない。知名度の高い口裂け女あたりならそれも可能だろうが、生憎呪術界にすら捕捉されたばかりの存在。そこまでの影響力は持っていないだろう。
「一応目星はついてる。向こうに山が見えるだろ」
 窓の外、青空と入道雲に濃緑の山といういかにもテンプレートな夏の光景を指差した。
「五月の遠足の行き先だそうだ。近隣の小学校も全て」
「成る程、随分明快だな」
 彼の言うとおりだ。あまりにもわかりやすい。罠じみている、と言えなくもないが時間は有限。山中の探索ともなれば移動にも苦労するだろうし。

「見つけた」
 小学校で見せてもらった遠足のしおり通りのルートで山に入ってから一時間後。整備され遊具が沢山置かれている公園の端。山頂にほど近いここを第一の目的地として食事休憩を行い、数時間の自由行動をさせていたようだ。大抵の子供はアスレチックやブランコ、長い滑り台で遊んでいただろうが……公園の敷地と森のちょうど狭間。いかにも怪しいエリアが存在する。気配はもちろんのこと、そこだけが静寂に包まれている。蝉の声も木々のざわめきもシャットアウトしたそのエリア。小さいながら確実に、調査対象の棲家だろう。
「ビンゴだ」
 呟いた。日差しと砂で白飛びしかける公園に、ただ少女が立っている。数多の絵に描かれたいた通りの、つばの広い麦わら帽子を被り白いワンピースを纏った長い黒髪の少女がそこにいるのだ。つう、と冷や汗が伝う。まずい。いないはずのものが見えることには慣れているはずなのに、なんだこの寒気は。
「帳」
「了解」
 葵もこの不穏を察知している。呪術師としての才能はもちろん、基礎としてのフィジカルは群を抜いている。戦闘センスの塊なのだ。得体の知れないものと戦うからこそ、直感の鋭さは説明するまでもない。そんな彼が必要最低限しか言葉を発していないあたり、事態はそう容易いものではない。
 辺り一帯を夜にする。夜の静寂、その少女は未だそこに立ったままだ。
「どこに見えてる?」
「ブランコの左。街頭の下」
「同じく。展開」
 いつも通り。あくまでいつも通りを行えばいい。術式を展開する。動揺を感じ取ってはならない。こちら側にはステータスの底上げを、呪霊には不利条件の付与を。いつも通り、いつも通りだ。
 私と彼は、標的を同じ位置に捕捉している。おそらく我々の認識通りに存在している。実体があるのならば攻撃が通るはず。匕首を構えた。
「待て」
 こちらを留める彼は、手を一つ叩いた。不義遊戯。彼の術式は、呪力を持つものを自在に入れ替えることができる。この場においてそれに該当するのは、私と彼、そして呪霊だけ。つまり彼が術式を発動させたのであれば、確実に私と彼は向かい合うことになる。それがどうして、
「……呪力が無い?」
「ああ。俺たちは多分、柵か何かを呪霊と認識させられている」
 何度瞬きをしようと少女は十メートルほど先に立っている。ああやっと気付いた。あんまりに不気味な理由は、スクリーンに貼り付けたようにその少女が常に同じ姿であるからだ。少女の周囲の景色が動いても、少女だけが常に視界の同じ場所にいる。
「気配はある。お前ならできるだろう」
「防御はやってよね」
 彼の言わんとすることは理解できる。理解できるのだが、少々無鉄砲だ。私の術式でもって私の感覚を封じる。触覚だけをオンにして、呪力への感受性を高めれば何処かにいる本体が掴める、という算段だ。葵の術式はかなり自由が効く分、位置替えをする対象を細かく認識せねばならない。今回のように、実際に見えているものと呪力を持った対象の場所にズレがある場合は上手くいかない可能性が高いのだと言う。まあこういう呪霊はあまりいないし、そもそも彼が術式を使わねばならない戦況なんて滅多に無いのだけど。
「展開」
 ふっ。
 全てが消える。暗闇の中、蝉時雨も草いきれも、刺すような陽射しでさえも遥か遠く。握りしめた柄の感覚がずきりと掌を貫く。集中しろ、集中しろ、集中しろ。異質なものは見えなければ何も問題ない。感覚を研ぎ澄ませろ、範囲を広げろ。世界全てを撫ぜるように把握しろ。さっきまでの光景は忘れて、ただ呪力反応だけを辿れ。
 
 一番最初に叩き込まれたことだった。自分の感覚を封じる術と、その中で動けるだけの技量。才能があるからと、やっとひらがなを書けるようになったくらいの子供に教えることではない。会ったこともない親戚に囲まれて、呪いと戦うことを運命づけられて、けれどそれそのものは嫌ではなかった。強くあることは悪いことではないし、今まで触れることさえできなかった呪霊を祓えるようになるというのは少し達成感があった。まあ何より楽しかったのだと思う。ゲーム感覚だった。周囲の大人が呆れたようにすごいと漏らすのは、子供にとって何にも替え難く嬉しいものであったし。

(いた)
 葵のものでなく、蠅頭や一般人程度のざわめきでもなく。ゆらめくエネルギー体は間違いなく今回の標的だ。腰に忍ばせた苦無を投げる。何かまずいことがあれば葵が止めに入るはずだが、動きはない。標的が動揺している。このまま攻撃を続行しても構わない。
 歩を詰める。地面を蹴る感覚が土踏まずまで響く。回避行動を取る呪霊はさほど速くない。斬。消滅は確認できず。刃を重ねる。硬質化しているのか、ガン、と弾かれる感覚に骨まで痺れていく。刃物の類は放って、脚をしならせ呪力をエネルギーとして流し込む。血液の代わりなのか、標的の呪力は切りつけたところから流出し霧散する。攻撃を重ねる。漂う呪力を引っ掻き回す私の呪力の余波。二度、三度。二十重ねるまでもなく、呪力は全て煙のように消失した。
「……解除」
 うわん、と世界が揺れる。眩しい。煩い。生命の香りに顔を顰めた。葵はこちらを満足げに眺めている。どうやら任務は完了したようだ。すとん、と力が抜け、砂地にへたんと座り込んだ。人間、視覚を封じると弱くなるはずだと毎度実感する。この戦い方はあまり好きではない。
 葵、と声を発する前に彼の手拍子が響く。突如として移動した世界に少し酔う。先ほどまで自分のいた場所にいる彼は、霧のようになった呪霊に一つ、拳を叩き込んだ。断末魔。
「詰めが甘かった、ごめん」
「いや。あそこまでしぶといとは俺も思わなんだ」
 今度こそ消失した呪霊。解除時のラグがまだ大きい。鍛え直さなきゃな、と思いながら葵の手を取る。私を引っ張り上げる手のひらは硬く大きい。羨ましいな、といつも思う。これだけの肉体を持っていたらきっと、闘うのがもっと楽しかろう。
「あの正体、なんだと思う」
「あくまで想像だが。夏にはある程度共通イメージがあるだろう。青空、入道雲、蝉の声、ペトリコール、花火。同列に、夏の概念を宿した人間といえば」
「麦わら帽子に白いワンピースの女……」
「そうだ。有名なフィクションがあるわけでもなし、何故か皆が思い浮かべる」
 夏の情景の一部分。我々の思考の偏り、或いはアカシックレコードじみた認識から生まれたのが件の呪霊だったのだろう。
「卵が先か、鶏が先か。概念が呪いを取り込んだのか、呪いが概念を纏ったのかは不明だがな」
 呪いを相手にしていると、こういう「よくわからないもの」を相手どることがままある。呪霊は人間から生まれた人間とは異なるもの。思考回路もてんで異なるのでこちらの物差しで判断するのは悪手なのだが、どうしても人間的な法則に当て嵌めてしまう。これに端から端まで当て嵌まらない呪霊が一定の割合で存在するのだ。今回のように、さした危害も影響も与えない呪霊もその一つ。
「呪いというよりも妖怪だったろ」
 幾分キャッチーな存在を思い浮かべていた。人をとって食うものもあれば音を立てるだけのものもいる。一応妖怪も「当時未解明だった科学現象または呪霊をおおまかにカテゴライズしたものの総称」とされている現代だが、このような例に遭遇すると妖怪という区分もあって良いのでは、と思う。
「ああ。煙々羅に近かったな」
「うん? しっかり実体はあったけどなあ」
「煙が姿を変えていった。古今東西の聖なるものを殴る蹴る切り刻むするお前はなかなか痛快だった」
「マジか」
 私からは観測できなかったし、そもそもその観測も汚染されたものだったので妄想の域を出ないが。ありがたい像の数々を切りつけ蹴飛ばす様は随分冒涜的だっただろう。いや冒涜そのものか。宗教戦争待ったなし。日本人という無宗教信者がマジョリティの民族で良かったと切に思う。
「助かったよ、葵」
「良い。お前は三日後に推しのコンサートを控えているのだろう? 怪我でもしたら大事だからな」
「やっぱ最高の理解者だよ君」 
 推しに会う前には全てを万全に整えなければならない。そんな我々の常識が我々の常識たりえている。だから彼と隣にいると心地良いんだ。何せ気が楽でいい。ばしばしと彼の肩を軽く叩く。肩を組むにはかなり無理があるくらい体格は開いたけど、いつだって我々の心は触れ合っているも同義。なーんてロマンチックなことを考えてしまう。やっぱり疲れる、あの戦法はやっぱりしばらくやめよう。夏は特に、茹だってしまって余計にまずい。

 呪霊:???
 推定階級…準二級
 討伐完了。
 経過観察として、定期的に対象エリアの調査及び被害者のカウンセリングを行うこととする。
 

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