「…………目立つな」
「それはお互い様だ。仕方なかろう」
 浴衣姿に下駄。石畳にからんころんと音が鳴る。喧騒に溶けるように二人、夏祭りを心ゆくまで満喫する――というのが目下の作戦だった。勿論ただ夏祭りを楽しむわけではなく、この薄明に湧き出している呪いを討伐していくというのが目的。本来、呪術師というものは目立つべきではない。あくまで日常のついでに、或いは大学の研究のために、と周囲に認識させて依頼をこなすのが常だ。まあ、先日の甲子園球場のように場がセッティングされることもあるのだが。
 夏祭りに来た男女。揃いの浴衣で出店を見て回ればそれはそれは甘酸っぱい夏の概念だろう。それがどうして、道行く人々はこちらを避けて行くではないか。まるで海でも割ったかのように、我々二人の周囲には一人分の空間ができている。ちらりとこちらを見ては隣の連れに囁いて去っていく人のなんと多いことか。
「ごく狭いコミュニティの祭りだからね。君の身長のせいだけじゃない」
 彼女はこちらを見上げて言う。今回は彼女の選択した依頼、夏祭りに出没する呪霊の討伐を行うというものだった。元々呪いの出現しやすい場所らしく、通常であれば地域の呪術師が担当する予定だったのだが……どうも急病か何かなんだとか。そこまで難易度の高いものではないので学生向きだろう、と依頼を出したと聞いている。
「誰も彼も顔見知りの世界だ、我々みたいな旅行客も少ないし」
 そう言いながらも、彼女も全くの部外者というわけではない。ほんの僅かな期間ではあるが、彼女はこのエリアで生活していたことがある。九州の片田舎、彼女の母方の家はこの地域土着の呪術師家系だった。
 呪術師というものは、生まれを非常に重視する。名門の血を引いているか、相伝の術式を持っているか。才能に秀でているか、というのは実際二の次であり、ちょっとやそっと強力なだけでは不当に評価されることも少なくない。御三家とされる家だけでなく、先祖代々呪術をやっているような家は多かれ少なかれその傾向がある。彼女の母は呪術師の家に生まれながら呪霊を見ることができなかった。だから一般人として生きるよう強制されたのだという。しかし生まれた彼女は呪術師としての才能があった。それも、相伝の術式をきちんと有して。そのことを知った彼女の祖母は彼女を半ば拉致するような形で連れ戻し、呪術師としての基礎を叩き込んだのだとか。
「して。何故この依頼を受けた?」
「身内の不祥事だからさ。なんか一家総出で宴会やって殴り合いに発展してんのよ」
 これで外部に依頼出さないで欲しいよ、とぼやく彼女は心なしか嬉しそうである。彼女は呪術の基礎を叩き込まれた、と言ったが三年足らずで独立している(彼女はそう言い張るが逃亡した、もしくは家出したの方がより正確だろう)。そんな旧態依然とした家と閉鎖的な地域の雰囲気が嫌だったということは確からしい。それに「テレビの番組が少ない! これに尽きる!」と彼女に家の話をさせると必ず語る。小学校三年生の頃である。重大な問題であったことに違いはない。
 つまりまあ、彼女と俺は幼馴染であるとはいえ数年のブランクがある。彼女がこちらに戻って来た後は呪術という稀有な道に進む今に至るまで、ほぼ同じ進路を辿って来た。俺が師である九十九由基と出会った頃、彼女も呪術師になって戻ってきたのだから、おそらく彼女と俺は運命というやつなのだと思う。いや、宿命と言うべきか。この世の理そのものが、彼女と俺は共にあるようにと告げているのだろう。しかも恋愛的な意味を一切伴わない、純粋な友情の成れ果てとして。
「どうせなら林檎飴でもどう?」
 もう今更何をしたって目立つだろうけど、と彼女は付け加えて出店を指さした。そうか。我々は明らかに夏祭りを楽しむ男女らしくないのだ。こちらの背丈や、彼女の垢抜けすぎた見た目だけでなく。縁日の品物に何も興味を示さずに彷徨するだけではあまりに不自然だ。
「二つ貰えるか?」
 あいよ、と林檎飴を寄越した出店の主はこちらを僅かに訝しむような目で見た。
「大学のレポート課題でですね、夏祭りを見学しとるんですよ。帰省ついでに県内いくつか」
 林檎飴を横から受け取り硬貨を丁度渡す彼女は、独特のイントネーションでそう言った。彼女はいつだって標準語を使うから、店主の警戒を解きたいのだろう。ついでに一口齧って美味かですねぇ、と漏らせばすっかり店主の男は上機嫌だ。
「この近くに心霊スポットとか無いやろかーと思ってですね。なんか寒気のするとこでも良かです」
「そげなとこは聞かんねぇ。ああ、神社裏はどやろか」
「なるほど……ありがとうございます」
 彼女は人付き合いが上手い。いや、傍若無人に振る舞っていることも多い割に敵が少ない、と言ったほうが良いか。特に初対面の相手に対してはその傾向が強い。一皮剥けばこちらと何ら変わりない精神構造をしているというのに。彼女の場合はどうやら分析が得意なようで、それを日常でも活かしているのだ。戦闘中で無いのにそんなことをするのは疲れるだろうと思うのだがまあ、彼女なりの鍛錬なのだろう。
「神社に行こうか」
 するりと彼女の腕がこちらの腕を捉える。ああ。久方ぶりに帰省した少女が、遠方で出会った恋人を連れているそんな役を演じた方が都合が良い。彼女との身体的接触は別に今更何も感じないし、彼女の方もそうに違いない。互いに心に決めた相手がいる以上、こういう仕事上必要な接触をいちいち気に留める必要もなかろう。彼女と言う存在は、当然ながら自分と同一ではない一方で他人よりは遥かに近い。唯一無二の立ち位置が、彼女だった。彼女も確実にそう思っている。
「どう思う?」
「居たとして二級だろうな」
 ばり、しゃく、と乱暴な咀嚼音を間に挟みながら意見を交わす。林檎飴というものはまるでお祭りの定番のように定義されているがどうも、食べにくいのでははなかろうか。俺のように口の大きい者ならまだしも、彼女も何度か食べる角度を試している。小さい子供なら尚更だろう。
「金魚かな。夏の死の集合体を纏める概念としてはぴったりだ」
「蝉ならば態々夏祭りの夜である必要もない、か」
 彼女が語るのは今回の首魁である呪霊の正体への考察。夏というのは死のイメージが強い。死なんか年がら年中存在している概念だが、盆というシステムがある以上死というイメージは夏へ集約する。青空に入道雲、煙。道端に転がった蝉、乾涸びた蛙、水難事故、墓参り。そして、呪霊というものは人間のイメージが作り出す。死への恐怖という根源的な感情ともなれば、曖昧でも呪霊は生じる。そして夏の死が形を得るとなると、蝉か金魚か。余程上級の呪霊にならねば異形の形を取ることは少ない。人間が髪を整えるのに金や時間がかかるように、呪霊にとっても姿を作ることはコストがかかるのだ。だから既に存在する形をそのまま利用するのだ。夏の儚さ、夜祭りのイメージ。それが交差する金魚の形をとっているに違いない。まあこんな考察をしたところで何の意味も無いのだが。
「持ってて」
「ああ」
 まだ三分の一も減っていない彼女の林檎飴。するりと人混みを抜けていく彼女はすぐに暗がりへ消える。呪霊は人から生じるが故に、喧騒の隣に潜むことが多い。大通りから逸れた路地裏、特別室棟の端、アパートの空き室。出店の途切れた暗闇もその例に漏れない。そんなところで蠢いているのはせいぜい四級だろう。ほとんど影響を与えないと言っても「視える」人間にとっては恐ろしいし全くの無害でも無い。
「ありがと」
「随分早いな」
 さて両手に飴を持つというのは些か間抜けな絵面だな、と考え始めていた塩梅。五分もかからずに彼女は石畳の上へ戻ってきた。
 彼女は三級呪術師である。しかしながらその術式は破格の取り回しを誇る。特段トリッキーなものでも、高火力なものでもない。ただ単純に、使い勝手が良いのだ。呪霊に対しては行動制限が出来るほどの状態異常を付与し、味方に対してはスピードや呪力の底上げ、挙句いわゆる攻撃・防御力を付与することもできる。RPGにおいて、パーティに一人は入れておきたい存在が彼女だ。単純な能力だからこそ、土壇場で強い。奇抜な術式は序盤こそ敵方を翻弄することはできるが対処されて仕舞えばそこまで。しかし単純であれば対処しきることが難しい。言いきるならば「最高に馬鹿な戦法を取れる」のが彼女なのだ。彼女の術式の原理がわかったとて、特にメリットもデメリットも生じない。喧嘩の強い奴の強い理由が「筋肉があるから」では何のヒントにもならないのと同じ。
「その術式であれば結界でも張れるだろうに」
「そうね。やってないのは完全な怠慢だよ」
 三級くらいまでならば自動で祓ってしまえるはずだ。相伝の術式を継いでいる彼女ができるのなら、彼女の血筋もできるに違いない。それこそお札や釘なんかの「ありがちな呪術アイテム」でも使えば特にコストもかからない。まあ呪術師というのは偏屈なので、常人には理解し難い理屈で職務を放棄しているのだろうが。
「今回は私が倒すよ……残念そうな顔しないで。葵が出たら一撃で終わっちゃうでしょ」
「では間近で観察するとしよう」
「それはそれで嫌だなあ!」
 彼女の闘い方は非常にシンプルだ。相手に不利な状態を強制し、自分には有利な状態を付与する。そうすればもう殴るだけだ。彼女は匕首を愛用している。呪具でも何でもない、ただ戦闘時のみ呪力を流し込む媒体。鮮やかなその様は暗殺でも見ている気分になる。圧政者の絢爛な人生、その幕を閉じる華麗なまでに無情な一撃。花弁さえ舞って見えることを、他でもない彼女だけが知らないのだ。
「っていうか食べるの早くない?」
「お前が遅いだけだ」
 しゃり、ぱき、と幾分上品な音を立てて林檎飴は球体から遠ざかっていく。こちらといえば既に可食部は無くなっているので、彼女のその口元に目を奪われる。こうも気が合うのに、こうも肉体的差異が生じるのが、不可思議でならない。心や魂とされる位相ではバッチリ噛み合っているのに、可笑しな話だ。
 石段を登っていく。鳥居を潜る。境内は別次元に存在する異界と全く重なっている領域だ。下手にこちらから入れば出られなくなることも少なくない。浮世に引き摺り出すのが定石だ。
「帳よろしく」
「任された」
 夜の闇を切り取って、更に暗幕を垂らす。今の今まで口に咥えていた串を、彼女は一等闇りに投げ込んだ。林檎の芯までついたそれは紛れもないゴミであり、彼女はたった今境内に潜む何者かに罰されるだけの資格を得ている。串の転がる音も刺さる音もしないのがその証左だろう。
「展開」
 彼女の戦闘は酷くシンプルだ。展開、そう呟けば後は呪霊を切り刻むだけ。術式名すら声に出さず、展開という言葉を発動のトリガーにしている。
 名は体を現す。そんな言葉があるように、名前を声に出し明示することで威力やその強度を増すことができる。術式の効果を宣言することで縛りを設ける呪術師もいるようだが、彼女はその逆。術式の名前を出さない、即ち術式の真価を発揮しないままで戦うのである。強度が下がる反面、必要な呪力量は遥かに削減されるのだという。広範囲かつ何重にも術式を展開する彼女であれば一層一層の強度よりも低コストであることの方が重要なのである。
「うわ……」
 ずるりと闇から這い出てきた呪霊。恐らく二級の、我々の標的であるそれは想像通り金魚の頭をして蝉の複眼と羽を持っていた。既存の外見を持ってくる呪霊は少なくないし、複数の概念を混ぜこぜにしたものも多いが、これは少々、所謂冒涜的な見た目ではなかろうか。
 背が粟立っているだろう彼女はいつになく入念に重ねがけをしていく。一撃で仕留めるつもりだろう。キチキチとショウリョウバッタの音さえ発して見せるそいつへじりじりと歩を詰める彼女は袂から匕首をゆっくりと取り出した。展開。展開。展開。三度ほど聞こえた彼女の声の後、瞬きの間に呪霊は断末魔を上げている。
 絡繰はこうだ。一度目の「展開」で呪霊の動きを封じる。二度目で彼女自身の呪力を、三度目で肉体そのものの強靭さを上昇。最後にこの場の知性体へ視覚以外の感覚を断たせる。呪霊にとっては混乱状態を招き、この場を作り出した彼女にとっては過集中を誘発させうる。その状態で呪霊へ一太刀……いや。幾分早かったせいで見辛かったがあれは三度ほど切り込んでいるか。
「……解除」
「見事」
「何様だって」
 地面へ転がっている串付着していた林檎片が腐食しているを回収し、彼女は一つ息を吐いた。周囲に呪いの気配は無い。「本気だ」
「君の言葉に嘘がないことくらいわかってるよ」
 彼女はにやりと笑う。つんとした表情ばかりの彼女が、こんな子供っぽい(或いはヴィランじみた)顔をするのは珍しい。それこそこういう、呪霊を祓った後なんかで、俺と二人きりのとき。この顔を見るとああ、俺と彼女は換えようのない関係なのだと切に思うのだ。
「そろそろ戻ろう。ここらはバスが少ないんだ」
 そうだな、と返し鳥居を潜る。彼女に限らず、我々呪術師の戦闘は秘匿されるべきもの。石段をひとつ下るごと、日常はざわめきとなって訪れる。彼女の闘う姿はいつだって素晴らしかった。一番身近な熱狂が彼女だと、いつだって信じている。
 嗚呼、さらば彼女の非日常。数日後には再び見えるそれに、後ろ髪を引かれていた。
 
 
 呪霊…神社裏の怪異
 階級…三級
 討伐完了。
 再発生防止策として結界を設定。冬季の縁日でも観察を行う予定とする。

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