「バッター、四番。東堂、東堂」
 陽光に煌めくヘルメット、ぎりりとグリップを握り締める音。彼は球場の歓声を背負って、バッターボックスに立っている。九回裏二死満塁、三点ビハインド。遠くスタンドの向こうには青空に入道雲が立ち昇る。ペンキをぶちまけた様な色彩のそれは、気味悪ささえ覚えるほどの「夏」を体現していた。陽炎さえ幻視する熱気は決して、気温のせいだけではない。全国の頂点が今ここで、決まろうとしていた。カメラを通して全国のお茶の間が、ラジオの向こうが、固唾を呑んでいる。そんな瞬間が、今だった。ガラス一枚隔てたこちらでさえアナウンスの声が上擦っている。夏における希望と絶望全てが、ここにあると言っても過言ではなかった。
 いけない。夏に呑まれつつある意識を、頬を叩いて呼び戻す。忘れてはならない。ここはあくまで、呪霊の領域内だ。高校野球の舞台として名高いかの球場に居城を構える呪霊を祓うため、我々はここにいるのだから。
 
 さて。世間一般の学生は夏休みの最中の時期である。遊びに勉学に、部活に趣味にと費やし方は人それぞれ。そんな中で全ての学生に共通した数少ない事柄といえば、そう。宿題である。日記に読書感想文、大量のワーク類に自由研究と頭を抱える人の方が多いだろう。呪術高専の生徒とて例外ではなく、いくつかの依頼を与えられるのだった。もちろん、呪いを相手にしている以上危険も伴うので、そう数をこなすような依頼は与えられない。複数人で行くように推奨されることもあるが……呪術師というものは往々にして性格に難がある。大抵が一人でこなせるようなものを選択していくのだった。
 今回、一級呪術師である東堂葵と三級呪術師である私は共にいくつかの依頼を受理することとなった。葵が一級なのでそこそこ難易度の高いものも含まれるが、三級の私が選択したものは難易度さえ高くないものの頭数が必要になるものばかりだった。何故か葵が四番バッターを、私がウグイス嬢をしているこの依頼は当然、彼の受理したものだった。夏休み中の課題はあと三件。これを含め八月後半まで、約一ヶ月を費やし各地を転々とするのである。
 繰り返すが本来、呪術師というものは単独行動を好むものである。仮に共に行動したとして、それは弩級のメリットがあるからだ。そんなものどこにもない課題に何故二人で挑んでいるかといえば、東堂葵と私が幼馴染であるからだ。幼馴染であるということは即ち、互いのことを知っている、ということである。戦闘の癖から弱点、長所。そして趣味まで幅広く。だから彼がこの後高田ちゃんの全握(神戸開催)を控えていることも知っているし、逆に彼も私が二週間後福岡でのコンサート(「[[rb:Dhampir > ダンピール]]」という美少年だけを寄せ集めた満漢全席みたいな五人組ユニット。私の推しはメンバー最年少の[[rb:飛縁 > とびより]]くん)に参戦することも知っている。つまりまあ、推しは違えど我々はアイドルオタクなのである。遠征は誰かが一緒の方がいろいろと都合が良いし、という話まで含めて今年の夏も、二人で課題に挑んでいるのだった。相変わらず桃さんあたりにはくだらないと一蹴されてしまいそうな動機であることは否めないが。
 話を戻そう。今回の依頼について。単純明快に説明するなら球場の呪いを祓うというもの。甲子園、と言えば全日本国民が知っているくらいには知名度のある高校野球会。夏のロマンが集約するこの場は当然、数多の怨嗟も集約する。わずか数ミリ及ばなかった勝利、大会に届かなかった無念までもがこの地に集まり、それは呪霊という形を得た呪いとなる。輝かしく眩しいほど、齎らす影は暗く深くなるのだ。それが青春の一部であるのなら尚更に。我々学生然り十代までの子供というものは良くも悪くも感情をあけすけにするきらいがある。純粋無垢な裸の感情が積み重なれば、領域を作るほどの強大な呪霊となることはそう不思議な話ではない。
 つまりまあ、用意されたドラマチックは領域の主人たる呪霊のせいである。
 
 仮想呪霊「夏の魔物」。
 
 夏の魔物の領域内では彼のルールに従う必要がある。無論簡易領域でも展開してしまえば良いのだが……何故かこの呪霊に対しては祓い方が確立されている。ある程度その出自や属性から系統があるのが呪いというものであり、それ故に大まかな対処が決まっているものもある。だがここまでしっかりと順序立ったメソッドが提示されているというのはおかしな話だ。毎年毎年同様の依頼が京都校へ来ているというし、聞けば楽巌寺学長から直々に葵がご指名されたというのだから怪しいものでは無さそうだけど。ああ、でも葵は学長の頼みとかそういったことに左右される存在じゃない。基本的に自分が楽しいかどうかと、高田ちゃんに危害が及ばないかどうかしか、アイツの指針になりえない。閑話休題。祓う方法が確立されているとはいえ、「夏の魔物」を祓う手順は随分と不思議だ。いや、胡乱と言った方がいいか。そもそも呪霊の領域内部なんて危険極まりないというのにわざわざその中に入り、呪霊の与えた状況を好転させればすなわちホームランを打てば良いと言うのだから全くもって理解し難い。相手の与えた状況を上手く打破すれば糸口になるというのは呪霊というよりも寧ろ妖怪や精霊、神の概念にも等しい。それも数百年単位で信仰を集めてきたような。早い話、そういう人智を遥かに越える何かの余興の様なものに近いのだ。
 目の前のマイクを避けるように頬杖をつく。マウンドの影法師が放った白球は綺麗なラインを描き……
「初球打ちかよ……」
 カーン、と小気味良い音が響く。歓声が嘘のように一瞬静まり、水を打つようにこだました。葵のことだから心配はしていなかったけども、ある意味空気の読めない奴だ。すとんと吸い込まれるようにスタンドへ入った球を見届けたいもしない観衆は湧く。ビリビリとスタンドを揺らす声はもはや阿鼻叫喚。当の葵本人は満足げにバットを放ってゆっくりと一塁へ足を進めている。随分様になるじゃないか。呪術師になってなければこういう道もあっただろうな、と思う。誰か特別気の合う奴とバッテリーでも組んで夏の話題を掻っ攫ったりしたかも。なんて夢想は放っておこう。残念ながら私は「甲子園に連れてって」なんて言えるほど可愛らしい幼馴染でも、お守りを作るのが得意な器用な幼馴染でもないし。
「やっと本性を表したか」
 舞台装置的な歓声が球場を揺らし続ける。次第に大きくなるそれは景色すら揺るがし「夏」を剥がしていく。青空も、凶悪な日射しも、満員御礼の観客も。後に残ったのはだだっ広い、真夜中の球場。この場にいるのは私と葵と、件の呪霊だけだ。
「頼む」
 葵の隣に並び立ち、彼の呪霊を見据える。あんな大規模な領域を展開していたとは思えないほど弱々しい。いや、あの領域を展開したことである程度弱体化しているのか。余計にわからない。呪霊というものはただそこにあるだけで少なからず悪影響を及ぼす存在だ。それがわざわざ、いたずらに呪力を消費して簡単に突破できる領域を作るのは、どうも合点がいかない。非効率的、なんて域ではないじゃないか。首を傾げながらも彼の言葉へ頷いた。術式を展開する。呪霊というのは基本、人間から理解できないものだし。
 私の術式というのは、ゲームで言うバフ・デバフだ。呪力とは負の力。一般市民のイメージする「呪い」からは幾ばくも離れない、わかりやすいものだろう。ある一定範囲内において相手に不利な状況を付与する。或いはお札を貼って行動を制限する。陰陽師やら神道あたりともごっちゃになっていそうなイメージをそのまま形にした、大変に単純明快な術式。術式反転をすれば味方に対する有利状態付与も可能だし、使い勝手はまあ良い方だ。単独で戦うにも誰かと共闘するにも応用は効く。東堂葵という存在がそんなサポートを必要とするか、と問われれば絶対に否なんだけど。正拳突き一つで済むか三つかかるか、くらいの差でしかない。あの男は天与呪縛で性格でも持っていかれたか、と思うくらいには破格のセンスと強さをしている。
 黒々とした土を蹴る。きっと彼だけで事足りる。念のため呪具を構えてはいるが必要ないだろう。みるみるうちに、なんて言葉があるが今回だって案の定、瞬き数度する前に決着がついている。
 なんというかまあ、彼の呪術師としての仕事はあまりにも呆気ない。呆気ないのだが、とてつもなく美しいとも思う。純粋なフィジカルの強さはもちろんのこと、それが齎す単純明快で鮮やかな戦闘は、息を呑むほどだ。彼は強い。非呪術師家系の出でありながらこの歳で一級になっているだけあるし、それだけに留まらない。彼は強いから強いんじゃない、彼の在り方そのものが強さなのだ。目の当たりにするといつもそう思う。端から端までおかしいし、小学生から国語をやり直した方が良いような文章だが、そうとしか思えない。東堂葵という男は、強い。どいつもこいつも狂っている、なんて言われる呪術師の世界、彼の狂い方は大変に心地良かった・
「課題終了、だな」
「お疲れ」
 そして彼の闘い方を見るたび、私いなくても良いのにねーと思うのだが、彼は「経験による知識の蓄積こそ人間に許された最大の権利だ」と言うし。葵は傲慢不遜で扱いづらい男のようで、しっかりとした筋は通している男だ。その筋がイカれているのは確かだが。だから彼の言うことは真っ当だし、だからこそ彼もきっと物足りないであろう私の課題にも同行するのだった。
 この男は、全てが規格外だ。元々呪術なんてものに関わる前から破天荒な奴だったから、彼と「幼馴染」として扱われていた私はその巻き添えをよく食ったものだ。いやまあ食った、というか食わせてもらったというか。彼のあり方はわかりやすくて清々しい。気に入らない奴がいるからのした。面白そうだったからやった。その考え方は私にも共通していたし、そもそも彼は有言実行するだけの強さまで持ち合わせていた。ケンカが強い、というよりは全てにおいてセンスがある。彼といれば退屈はしないし、私にとって葵がいないことが退屈であった。だからまあ、呪術の修行だのでド田舎に連れて行かれた時は本当につまらなかった。それなりに楽しみを見出してはいたけど「葵がいたらもっと楽しいんだろうな」という考えは常に頭から離れなかったし。だから彼もまた呪術の道に歩み始めたと知ったときは内心ガッツポーズをしたくらいだ。一般の出である彼が一級まで上り詰めたことは呪術界にとっては驚きだったようだけど、私からすれば「まあ彼ならそれくらいは当然だろうな」くらいの感想でしかなかった。彼はそれくらいやる。腕っぷしだけでなく、例えば魂のあり方とか、運命力とか、そういったものも伴っている。そもそもそれらが揃っていなければ今この場にはいないだろう。
「今回の。本当に呪霊だったの?」
「呪霊だ。だが在り方は……そうだな。幽霊に近い。成仏させてやった、と言った方がより正確だろう」
「ああ。負の感情を発散させてるのか」
 学校なんかの人の集まる場所は、何度祓っても同様の呪いが再出現する可能性が高い。毎年多くのロマンを生み出しているこの球場であれば、今年祓ったとしてもまた来年には「夏の魔物」が再出現しているはずだ。
「毎年祓っているからあの程度の『魔物』で済んでるわけね」
 呪術師というものは「死者が出ていないから良いだろう」という考えをすることが多い。だからこういう、実際の生命に害を与えない呪いは軽視されがちなのだ。しかし、だからといって野放しにしていいわけもない。毎年祓っているからありえないエラーを起こさせる程度で済んでいるだけで、二十年経てば無差別に生命を喰らう球場になっていたっておかしくはないのだ。実際、この球場も数十年放置してろくでもないことが起こった結果、毎年依頼をするようになった可能性も考えられるし。
「そういえばさ。今回の依頼だったら男子の方が良かったんじゃないの?」
「高校野球の場でもなし、女子というのは関係無い。そもそもお前は禁止されても入っただろう?」
「それはそうだけどさ。東京校の下見に行ったんでしょ?見応えのある奴はいなかったの?」
「駄目だ」
 首を横に振る葵は即答した。彼は常々オーバーリアクションぎみなところがあるが、今回はいつにも増して悲壮と失望が溢れている。長く一緒にいても彼の価値基準はよくわからないけど……大抵性癖が合致しなかったとかそこらだろう。今までそうそう一致したことがないのにそこまでこだわるんだから多分、性癖がぴったりハマる奴と出会ったら涙でも流すんじゃなかろうか。出会ったばかりの男子を「紹介しよう、[[rb:大親友 > マイフレンド]]だ」とか言って連れてくるかもしれない。なんだか微妙な気分……いやなんだそれ。嫁入り前の娘に対する父親の感情じゃないか、こんなの!
「そっか。明日は握手会だっけ?」
「ああ。夕刻の予定だが……早く戻って準備せねばな」
 長い付き合いがあるとはいえ、機嫌の悪い葵ほど厄介なものはない。すかさず高田ちゃんの話題にシフトする。この際彼の気が早いのはどうだっていい。というか私もコンサート前には三日前から精神統一するし。
 熱帯夜、吹き抜ける風はちっとも涼しくない。汗の滲む夜を二人で歩く。夏への期待に胸を膨らませて歩くのは少し、非行じみていて嫌いじゃなかった。
 ……なんて少しクサイ表現だな。例年通り、幼馴染と呪いとべったりな夏が始まるだけだ。そこに特別な甘酸っぱさも青春も含まれちゃいないんだから。 
 
 
 仮想呪霊…「夏の魔物」
 階級…特殊一級
 討伐完了。
 例年通り一年ほどで同様の呪霊が発生することが予測されるため、二○一九年も討伐を行う。要観察。
 


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