メリュジーヌは夢の中/if或いは幸福な未来



「にに?にー!に、にー」
「ニー!ニー!」
 人通りならぬ船通りの多い運河。偉大なる航路前半造船の島、水の都ウォーターセブン。島の中心にそびえ立つ巨大な噴水が目印のこの島は、観光地としても人気が高い。異名のとおりに水に溢れた街、小綺麗な建物。何をとっても美味しい食べ物に治安の良さ、海列車による定期便。数十年前とは比べ物にならないほど栄えたこの島は、海賊でさえも明るく受け入れることで有名だった。造船の街、海賊であっても客なのである。
「何かわかったか?」
 道路よりも水路の多いこの島では主な交通手段は船である。それを動かすのは人間でもエンジンでもなく、ブルと呼ばれる魚。主に個人用のヤガラブル、観光向けの中型船を引くラブカブル、更に大型のキングブル。島からは切っても切り離せない。そう、魚なのである。つまり、人魚は彼らとも会話をすることができるのだ。ウォーターセブンを訪れたドレークとイサベルは、ヤガラブルの引く小舟に揺られている。観光目的とは言え、行き先は未定。キッチリ行程を決めた旅行ではなく、気分そのままのいきあたりばったり旅も悪くないだろう、ということだ。そういうわけで今、何人も観光者を案内してきたヤガラブルにおすすめの場所を聞いている最中なのだ。
「穴場に連れて行ってくれるってー」
「ニー!」
 自信満々に鳴いてみせたヤガラブルは、貸しブル屋で一番の力自慢。通常三人程度ならば船に乗せて引けるヤガラブルであるが、身体の大きい二人を乗せるとなるとかなりの大仕事になる。店主と、そしてブル本人に聞いて彼に依頼したのだった。紺色に明るい白のぶちが特徴の彼はかなりのベテランでもあり、ウォーターセブンのことは知り尽くしているらしい。流石にヤガラブルと話し合っている姿は店主も初めて見たそうで驚いていた。
 時間はゆったりと流れていく。観光地である以上人も多いはずなのだが、ヤガラブルはあえて人気のない水路を選んでくれているらしかった。活気に溢れる商店街のざわめきはうっすらと聞こえてくる程度。水面に日光が反射して、白い建物の壁に明度の高いゆらめきを描いている。年々沈下しているこの島は建物の上に建物を重ねていく。そのせいでどの建物も背が高い。少し水中を覗き込めば、主人を魚に変えた家々が見える。イサベルは水中探検をしたくて先程からうずうずしているが、泳げないドレークを置いて一人だけ楽しむのも気が引けているのだろう。
「陸から見る海、綺麗だねえ」
「ああ」
 指先を水に浸す彼女はそうとろりと微笑んで振り返った。ヤガラブルはゆるやかに進んでいる。そうか、彼女にとっての海は身の回りの全てだ。海面なんか滅多に見ないままの人生を百年ほど送っていたはずだ。そんな当然のことを実感して、ドレークはえも言われぬ気分になる。住んでいた世界が違うということは、そのまま価値観の違いになる。
「ディエスにとっての海、きらきらしてる」
 そう言う彼女の大きな瞳には、水面からの照り返しがちかちかと乱反射している。それに見惚れたせいで、彼は「君の髪の色だ」と言うために開いた口を閉じた。彼女の印象の大部分を占める髪色は、彼にとって海に直結していた。輝いて、透き通って、憧れの先で、時折闇を孕んで。
「……ニー」
「わっ、ごめんありがとう!」
 申し訳無さそうに鳴いたヤガラブルに、イサベルは大袈裟に驚いてみせる。小舟はぐらりと揺れる。気づけば周囲は建物でなく新緑の鮮やかな木々で、強い輝きの日光でなく柔らかな木漏れ日が飛び石のように水路を照らしている。小さな船着き場からは小道が続いて、奥には小綺麗な庭園が見えた。確かにこれは穴場だろう。船通りも無ければ人の気配もない。皆の考えるウォーターセブンの町並みとは百八十度違う光景に、ただため息が出るばかりだ。
「に、にー、に?」
「ニ!」
 イサベルはまたヤガラブルの言葉を喋る。正直、大変に可愛いものを見ているなと思うドレークは、けれどそれを口には出さないでいる。柔らかな笑顔となって表情に漏れているしいかにも幸せそうな空気を漂わせているが、ここには彼女とヤガラブル以外はいないので誰も指摘しない。
「ここで待っててくれるって。行こ、ディエス」
「ああ、ありがとう」
 そう言ってドレークはヤガラブルの頭を撫で、小舟を降りた。二人並んで小道を歩く姿を見ながら、ヤガラブルはニーニーと小さく鳴いた。これが「あれを邪魔したらヤガラブルに噛まれて死んじまえってものですよ」なんて言っていたことは、もちろん誰も気付くはずもない。

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