小夜時雨に戀う



 わたしが人魚である以上、海の上には障害だらけだ。
 
 この世界には多種多様な人種が存在している。残念ながらマジョリティである人間とそれ以外、という分類になってしまっているけれどそこは仕方がない。基本的に社会は、大多数のために成立している。人魚族はマイノリティのうちの一つで、即ちそれは虐げられてきた種族ということだった。人魚の女性は美しい。それは人間の共通認識のようで、人魚たちは皆魚人島を決して出ないように言われて育つ。色鮮やかな鱗、ひらりとした鰭。海底一万メートル程度の水圧であれば簡単に耐え、他の追随を許さない遊泳速度を誇るとは誰も思わないほど優美で、弱々しい容姿。なるほど確かに、人間からすれば羨ましいのだろう。水中で呼吸の出来ない人間は、この星の殆どを占める海に浪漫を求めた。海の底には宝物が眠っている。陸上からは想像だにしない生物がうようよいる。その憧れの成れの果てが、人魚の売買というのだから人間はよくわからない。美しいものを手元に置いておきたいという欲望は理解できるが、それで対象の価値を残ってしまっては美しさというものは目減りしてしまうではないか。
 そもそも、我々魚人族というものは個体の外見に対して快も不快も抱きにくい。過去一度でも血が混ざっていればサメの人魚の両親からタコの魚人の子が生まれることなんかザラにあるからだ。それぞれ見た目が大きく違うのだから、そんな、自分ではどうしようもないことを一つ一つ気にしていては二進も三進もいかない。
 だから人間に対してネガティブな感情ばかりを持つ魚人島の民は多い。二百年前まで知性のある我々を魚類として分類していた人間を、我々に高値と首輪をつけて売り捌く人間を。実際に自分が被害を受けていなくとも、憎悪は膨れ上がっていく。もちろん、民衆を煽るような事件は何度も発生した。ひと攫いに始まって、貿易商だった魚人が種族ゆえに殺されてしまった事件。奴隷にされた人魚の末路。けれどそれでいて、人間の世界…つまり海上への憧れを捨てられないのもまた事実だった。本物の太陽、空、風、森。陸上の暮らしでは日常風景に溶け込んでしまうそんなさりげないものが、深海の民にはとても珍しかったのだ。だから皆危険を承知で地上の遊園地をこっそり見に行っていたし、夢を抱いて海上へ向かう船も数年に一度存在した。その末路は誰も知らないから、ハッピーエンドかバッドエンドかは論じるだけ無駄だったけれど。
 伊達に長く生きているわけじゃない。人魚の中にも酷いひとはいるし、優しい人間がいることも知っている。あれは五十年前だったか、母と一度だけ行った地上で、朗らかな海賊団と出会ったことがある。海賊は人間の中でも一番凶暴な種類だと教わっていたけれど、こちらに気付いて歌まで披露してくれた彼らが悪人だとは思えなかった。彼らと一緒にいた小さなクジラも随分と懐いていたから。残念ながらクジラの言葉は理解できないけれど、表情を見ればすぐにわかった。彼らの名前も何もかも聞きそびれてしまったし、これほど長い年月が経っていれば誰も生きてはいないだろうけれど、彼らに聞いた歌は不思議と今でも覚えている。わたしにとっての地上への憧れで、口ずさむ度に地上を思い出すのだ。ああ、彼らの背後に見えた空の、なんと高く、なんと青かったことか!
けれどもその思い出とともに思い出すのは、母のことだ。今思えばあれは、老い先短い母なりの自暴自棄であり無理心中未遂だったのだ。あの時既に父は死んでいたし、唯一血の繋がっている娘のわたしはまったく成長しない。見た目は幼いながらに分別はつくので、三十歳を過ぎた頃のある夜に母が父に泣きついていたのを覚えている。勿論、精神的な成熟はしているはずだ。いやちゃんとした「大人」からすればそんな考えはしないのかもしれないが、外見年齢が近いからといってわたしの精神年齢がそのとおりであるわけではない。思うに子供というのはあの短い年数の間だけ子供でいられるのだ。子供のままの見た目で何十年も過ごしたとして、それはきっと子供ではない。子供とは、何にも染まっていない存在であるからだ。つまりわたしは、子供ではない。大人にもなれない、中途半端な存在なのだけれど。閑話休題。
だからシャーリーに、きっと海の上に運命の出会いがあると言われたときには母の顔を思い出していた。数多の人魚と同じように、哀れな人魚の少女は人間に捕まって売り捌かれてしまいました。そんなエンディングでも良いと思った。それくらい、生きるのが苦しかった。明確な苦痛があるわけでもないけれど、友人がわたしを置いて大きくなって死んでしまうのを二順も経験すれば生に縋る意味がわからなかった。どうしてわたしは彼らと同じようにいかないのだろう。そればかり考えて、けれど自ら命を絶つなんてことはできなくて毎日風景に溶け込んでいた。運命の出会いが悲運であろうと幸運であろうと、今の生活がらりと変わってしまうのならばそれで良かった。だから彼女の言う通りに太陽の下へ行ったのだ。
そこで出会ったのが、彼だった。
人間は泳げないことも忘れて暫く沈んでいくのを見て、ああそうだと思いだして必死に砂浜へ引き摺っていったのだ。でも溺れた人間の処置なんてしたことがないから、たまたま通りすがった漁師らしき人に任せてしまったけれど。結局その後もその少年のことが忘れられずに、彼だけに見つけてもらえないかと数日その入り江で過ごしたのはわたしだけのひみつだ。もちろん、彼の溺れた原因らしい帽子はきちんと乾かしておいたけれど。
 取り憑かれてしまったように海を見つめる彼はきっと、運命なのだろうなと思った。彼女の予言はよく当たる。それ以前に、何か第六感的なもの、或いは単純な好奇心が彼といることを推奨した。彼といると楽しいに違いない。それは少し、ひみつきちに丁度いい場所を見つけた子供の感覚に似ていたけれど。
 また溺れるの? 
 多分、初めて会話する相手への第一声としてはギリギリ不合格だ。直近数年ちゃんと会話したのがシャーリーくらいなのだから仕方なかったとしても、もう少しあっただろうにと思う。でもその、彼の姿があんまりに綺麗だったからそんなことすぐにどうでも良くなってしまった。白く細脚、さらりと陽光を反射するオレンジ色の髪、そして、空をそのまま持ってきたかのような青い瞳。見慣れた海の青とは違う、高く突き抜けるような青。白く乱反射する光がまるで雲みたいで、一瞬で心を奪われてしまった。彼のことなんか全然知らないのに、彼はわたしに無いものすべてを持っているように思えた。彼もきっとわたしを置いて大きくなってしまうのだろうけれど、それでも構わないと思った。彼が大人になって、それから死ぬまでを見届けよう。ただ溺れていたのを救っただけなのになぜそこまでの執着が生まれてしまったのかはわからない。わからなかったけれど、例えばおとぎ話の世界のように一目見ただけで惹かれてしまうことと同じなんじゃないか、と結論付けた。恋という言葉は便利だ。美男美女や王子やお姫様は勿論、種族や年齢、見た目の美醜に関わらず抱くものであるし、そのせいにしてしまえばどんな無茶もどんな感情も正当化されてしまうから……なんて、そこまで合理的な思考はしていない。百年生きて理解できない感情があるのなら、それは今まで経験したことのない恋だろうと思っただけだ。ううん、これでもまだリアリスト的。もっとこう、直感的ではあるけれど、きちんとした思考の果てに導いた結論のはずだった。言葉では説明ができないのかもしれない。そうなると本当に、この感情は恋であるという仮定を裏付ける事項がまた一つ増えてしまう。恋とは、そもそも定義できないものである。例外に満ち溢れており分析できないものである。それでいて確かに、そこにある。いろんなところで見聞きした恋の話を統合するとそうなるのだから。それに加えて、一度結論付けてしまえばわたしが恋をしているという現実は変わらなかった。
 ああ、どうしても彼のことになると無駄にぐるぐると脳内会議を始めてしまう。でも別に嫌じゃない。あれほど嫌だったモノクロームな虚無だって、彼のことを考えれば一瞬でセンティリオンの彩りになっていく。まるで、初めて本物の空を見たときのような、地上の色彩の暴力に呑まれるような錯覚。世界が、変わったのだ。
 希死念慮、という概念がある。彼に出会う前のわたしを表すならばそれが一番近かっただろう。じゃあ彼と出会ってそれが消えたのか、と言われればもちろんイエスなのだが、少しばかり特殊だ。彼とともに終われたら、きっとこの人生は最高のものになるに違いないと考えた。早い話が長期的な自殺願望である。変わらない日々を繰り返すわたしを、堂々巡りからすくい上げて/引きずり下ろしてくれてくれる存在。そこまでの認識をしていた。なんとも、迷惑な話である。
 けれどやっぱり、出会いがあった以上別れも必ずある。物事は停滞しないし、海流は深海を巡る。流星群を一緒に見ようと約束してからすぐのことだった。何があったのかは聞かなかったし聞けなかったけれど、ただ泣いている彼は、感情の整理がつかないようだった。だから何も言わずに、彼の話を聞いていた。わたしが人魚だからかな、とも思った。一部の人間、特に人魚が珍しいエリアでは人魚が不吉の象徴とされている。わたしとの出会いが彼を苦しませる何かを呼び寄せてしまったのかもしれない。そうでなくとも高値の付く人魚は不和を呼びやすいのだから。
 だからきっと、彼とはここで最後だと思った。彼を思えばここでさようならするのが正解。本当はもっと彼と一緒にいたかったし、もっと彼と話がしたかったけれど、わたしは子供じゃない。別れなんて今まで何回も経験してきたし、これもそれらと同じだから。
 でもほんの少し、ほんの少しだけ彼の心に傷跡をつけたかった。だから忘れたくないと――この先二百年だって三百年だって忘れないと、彼を抱き締めてしまった。いっそこのまま海の底まで連れて行きたかったけれど、それが無理なことはわかっている。恋じゃ現実に勝てない。だからせめて、彼の行く先に祝福がありますように、とその額へ口付けを落としたのだった。わたしに名前をつけてくれた彼に、わたしに生そのものを与えてくれた彼に返せるものなんかそんな不安定なものしかなかった。
 子供じゃない、と言ったけれど、一方で大人でもなかった。もしも大人だったらそれきり彼のことはすっぱり諦めて、きれいな思い出としてしまい込んでしまっていただろう。でもそれができなかった。あんなにお利口さんに頷いておいて、彼のいない海の底がこんなにも寂しいものなのかと茫然自失に、また彼と出会う前へ逆戻り。寧ろ彼という希望を知ってしまった後の方が惨憺たる状況だった。色づいて見える世界は目に刺さるくらい残酷だ。珊瑚も、熱帯魚も、まるで真っ暗闇の中のカウンターイルミネーションのように頭をくらくらさせる。目眩がして、世界のすべてが敵に思えた。小魚のざわめきがただのノイズとなり、海藻のゆらめきが気持ち悪い幻覚になった。風景にすら溶け込めず、わたしだけが異物としてぽっかりと浮かんでいる。下手くそなコラージュの方がマシなくらいだ。わたしの存在だけが異質、次元さえ異なって、全てがわたしを通り抜けていく。幽霊にでもなったかのよう。ああそうか、わたしは幽霊だ。周りだけの時間が進む。わたしはただ置いてけぼり。そんなのもう、生きていないのと同じだ。彼の思い出を未練にして漂っているゴーストに、価値はあるのか。きっとあのときシャーリーが来てくれなければ、わたしは海の森の怪異に成り果てていたに違いない。船の墓場の、人魚の幽霊。それは随分とお似合いだ。
 前を向かねば生きていけないというのなら、それは正しくて、違っている。希望を見据えて生きるのと、絶望を胸に生きるのは本質的に変わらないのだ。希望を見た分だけひとは絶望を抱えるし、絶望を味わうのは希望を知っているからだ。彼の手を引けなかった後悔と、あの夏の日の輝き。背中合わせの情景を常に考えながら、彼に縋っていた。けれどまあ、万物は海から生まれたものだし、いつか会える確信だけはあったのだけれど。だから彼が海賊になっていたのも、あまり不思議ではなかった。海兵とは素晴らしい存在なのだろうと彼の話を聞く限りそう思っていたけれど、魚人島には海兵があまり来ない。どんな存在かも知らないのだから、「彼の夢」という認識しかできなかった。寧ろ海賊というものの方が身近で、あの歌う海賊団や、魚人島を縄張りにしていった背丈の大きい海賊なんていう優しい海賊を十分知っていたので、あまりショックらしいショックは受けなかった。一方で、ああ彼の夢はどこかで捻じ曲がってしまったのだなあと悲しくなるのも事実だった。何があったのかはわたしにはわからない。ただ、彼が悲しんでいなければいいなと思うばかり。知性レベルも言語も同じにしていてもやはり、人魚と人間というものは根本で感覚が違う。文字通り生きる世界が違うからだ。海中のシビアも、陸上の冷酷も。世界はそのまま宗教となり、即ち世界を違えるのならば共生はできても完全な相互理解は不可能だ。実際にこの考えも人間とは違っているようで、人間…もとい太陽の下の種族は皆相互理解が可能だと思っているらしい。そうは思わない者もいるがそれは個人の思想レベルの話。人魚や魚人は、そもそも相互理解という概念がない。理解せずとも共生できるのだからそんな必要はないし、そもそも自分以外のことは理解できなくて当たり前だ。個体ごとに大きく身体的特徴の異なる、或いは綱の違う存在と会話ができる我々に特有の思考なのだろうと思う。理解したいと思うのならば、それは特別な感情であるというのが我々の考えだ。
 話を戻せば、極論海賊であっても海兵であっても彼が生きているのならそれで良いと思った。だからなんとしても彼に会おうとまた、海上へ向かったのだ。拒絶されてもいい、そのときは会いたかったとだけ告げて海底へ潜ってしまおう。一生抱え込んでいくには重すぎる感情だけれど、それでもいい。
 サメの人魚というものは嗅覚に優れているらしい。だから個体の匂いというものがわかるのだともう百年前に教科書で読んだ記憶がある。砂浜にいる男を彼だと認識できたのはそのおかげだろう。こびりつく血液と火薬の匂いの中に、ほんの僅かに少年の匂いがしたのだ。彼は陽だまりの匂いがする。海の底にはない、暖かで乾いた匂い。きっと彼は、すっかり変わってしまった自分の外見を幼い頃とはまるきり違うと認識しているのだろう。でもそんなの、わたしからすれば些末な問題だ。わたしの認識では、彼は変わっていなかった。それは彼の匂いももちろんだし、暗い中できらりと光る瞳の色もそうだった。あの夏の日に見た、空そのものを宿す青色。
 それだけで十分だった。だから彼がこちらに、告白みたいなことを言ってくれて、世界がひっくり返ったのかと思った。海が空になる、自分の居場所がただの無重力空間になる。宇宙の始まりがたった一つの爆発なのだとしたらきっとこれがそうだった。たった一つの言の葉で、世界が始まった。無駄に歳だけは重ねているし大抵のことには動じないつもりだったのに、心臓が跳ね上がって頬が熱くなる。そんなテンプレの挙動をするのが、それでも面映ゆくて嬉しくて、だからそのとおり言い返した。好きだ。そうしたら彼まで同じような反応をするものだから、可笑しくてたまらない。幸福が形を得てそこにあったのだ。

「雨だ」
 小窓を叩いた水滴。飛沫とは違う、真水の礫はガラスにあたり、激しい音を立てている。偉大なる航路の気候は複雑怪奇、そもそもわたしは気候なんてものが存在しない世界で生きてきたから余計に驚くことばかりだ。乙女の心どころか、赤子の機嫌のように変わりやすい空模様は見ていて飽きない。もちろん、さすがに見ているだけだ。サイクロンが珍しいからと甲板に出て怒られたことがある。だって猛烈な強風や雷なんてものは魚人島には存在しない。時折海流の乱れによって大量の有毒クラゲが流されてきて大騒ぎになることはあったけれど。魚人島とは閉鎖的であっても、至極安定した場所であったらしい。船の上にいると特にそう思う。まああそこには空も太陽も、宇宙も存在しなかったけれど。
「気圧が下がっているな……」
「わかるの?」
 同室の彼の言葉にそう返す。人魚がある程度海流を読めるように(読めるというよりは寧ろ見える、という感じだ)人間もそんな能力があってもおかしくない。彼は特に昔から海で生きることを目標にしていたし、それもあり得るのかもしれないと思った。
「気圧が下がると傷が痛むんだ」
 彼は腕を摩りながら言う。彼の身体は、傷だらけだった。海賊というものは闘うもの。元々彼の属していた海軍だってそうだ。彼の傷について聞きたい気持ちもある反面、それを聞いたとしてわたしは何もできない。治癒の力も医学の知識も全くない。いやほんの少しはあるのかもしれないけど、どれも海底での知識だし民間療法程度のものだ。それにいつも、彼は寂しそうな顔をする。今のように困り顔で、すぐに話を逸らそうとするのだ。だから思い出したくないのだろうと、わたしもそれきりで口をつぐむのが常だった。
「治せたら良いんだけどね」
「いや、気にするな。もう慣れているからな」
 またいつもの顔をした彼に、わたしができることを考える。
「そういえばさあ、世界にはたくさんの人魚伝説があって」
 結局、わたしにできるのは話をして気を紛らわしてあげることだけ。長い年月をかけて蓄積されていった話は、伝承も民話もフィクションも事実もごちゃ混ぜになっているけれど、実は未だ彼に語り尽くせてはいないのだ。
「ワノ国だったかな、そこじゃ人魚を食べちゃうんだよ」
「それは随分、野蛮だな」
 言葉を頑張って選んだ彼は、それでも少しこちらの話に興味を持っているようだ。
「でね、食べるとすっごく美味しくて、病気も治っちゃうんだって。あと不老長寿になる」
 これはいつだったか。ワノ国から来たのだという侍が言っていた話だ。わたしは見た目だけが幼いのでいつも子供扱いされるのだけれど、彼もまたそんな口ぶりでワノ国の昔話を語ってみせたのだ。ただそれは魚人島という人魚ばかりの島でするには大変に場違いだったようで他の子供たちは逃げてしまっていたけれど。わたしだけが残って彼の話を聞いていた。でも彼はあまり話上手ではないようで話のオチはぼかしていたっけ。
「ディエスもわたしのこと食べたら、全部良くなるかもね」
「おれが?」
 彼はつうと汗を流し、戸惑ってみせる。髪を下ろした彼は少しだけ子供っぽさが増して、昔みたいで好きだ。いや、いつものキッチリとした彼も男らしい?というか大人っぽくて大好きなんだけど。
「……お前のいない世界でずっと生きるのは、さぞ辛いだろう。お前だってそう言っていたじゃないか」
「うん。そう言ってくれて嬉しいよ。あっ別に試したとかそういうわけじゃないんだよ、言葉の綾?マーメイドジョーク?」
 ううむ、彼はやっぱり大人だから、時々彼の方が一枚上手になる。それが好きで、少し寂しかった。
「ありがとう、ベリータ」
「どういたしまして」
 彼は言葉にしなかった。それでもこの空間では、彼の心情がはっきりとわかる。優しい声色にへにゃりとした表情、部屋のライトのせいで少しだけ黄みがかってエメラルドグリーンのようになった海の瞳。幼い頃のままのような彼の姿。きれいだ。少なくともわたしの世界の中では、一番綺麗なものだった。
 雨はまだ、バタタタッと激しく窓を叩いている。船もぐわんと遊具のように揺れる。わたしと彼は二人きり、そんな世界にただ漂っていた。

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