木苺の香、そらの底にて



「確か、今日が誕生日だったな」
ランプの灯りで世経を読む少女の手元に、ことりと包を置いた。中身はハンドクリームとリップクリームのセット。海中をフィールドとする彼女にとって地上に長く留まるのは少々無理があるのか、はたまた最近の気候のせいか。手の甲や指先、唇がひび割れているのが目につくようになった。以前から彼女も海上で過ごす以上それはわかっていたらしく、船医に保湿用の軟膏を分けてもらっているのを度々見かけていたのだ。確かに機能的に問題ないとはいえ、年頃の(彼女は百年以上生きてはいるが精神年齢は若干見た目に引き摺られているらしい)少女にはあまりそぐわないのではないか、と考えた結果だった。彼女がこの場にいるのは彼女の決断故であるとしても、対策を講じずただ我慢を強いるだけというのもどうかと思う……というのはもしかしたら、甘いのかもしれないが。
「乾燥すると言っていただろう、好みかどうかわからないが……イサベル?」
彼女の視線は包とこちらを何往復かして、大きな瞳をゆっくりと瞬かせた。
「あ、ああごめん、びっくりしちゃった…」
にへ、と彼女はほどけるように笑う。
「だって教えたのずっと昔じゃん」
彼女は小さく呟いた。彼女もこちらの誕生日をずっと覚えていたくせに。
「お互い様じゃないか?」
「ふへ、ありがとう。開けていい?」
少女の丸っこい指が、ところどころかさついた手がラッピングを丁寧に剥がしていく。
「わ、かわいい…」
中には平たく丸い缶が二つ。木苺のイラストに彩られているものの子供らしさはなく、寧ろ落ち着いて見える。元々そういったものに全く縁がなかったせいで、選ぶのに随分時間がかかってしまったが、反応を見るに外しはしていないようだ。親切な店員には「年頃の娘へのプレゼントでして」と言ったがこれは彼女には黙っておくしかない。
「あ、このにおい…」
ハンドクリームの入った大きい方の缶を開けた彼女はすん、と鼻を鳴らす。間近で見ているせいで、こちらまで甘酸っぱい香りが漂ってきている。パッケージ通り、木苺の香りのハンドクリームだ。
「これ昔食べたやつだ」
指先にひと掬い。するりと手の甲に伸ばしながら彼女は言う。その反応を待っていた。きっと彼女なら覚えてくれているはずだと踏んで、これを選んだ。
「覚えていたか」
もう二十数年も前の話だ。何でも知っている彼女に何か一つでも知らないことを教えたくて、きっと海の中には無いだろうと木苺を食べさせたことがある。今思えば子供っぽい意地っ張りで恥ずかしくもあるが、その時の彼女の驚いた表情をどうにも忘れられないのだった。
「ディエスそうやって粋なことするぅ」
「イサベルには敵わない」
「ありがとう、すごい嬉しい」
絶えず指先をくるりくるりと絡ませて幸せそうな顔をする少女。
「取りすぎちゃったのでディエスにもわけてあげよう」
「いやおれは」
「いいから!」
彼女の微温い手がするりとこちらの手を掴む。手袋を外していたのが仇となった…いや全く悔しがることではないのだが。こんな、恋の欠片みたいな香りを漂わせるのは、些かおれには不相応のように思える。
「むう、本当に見ない間に成長しちゃって」
「お前も背は伸びてるだろう」
柔らかい指がいたずらにこちらの手を辿る。剣に銃にロープにと、彼女がこれまで触れてこなかっただろうものばかり扱ってきた手には、やっぱり似合わないほどの甘酸っぱい香り。ふにりとした感触も、なんだか自分が触れてはいけないもののような気がして、少し身体を強ばらせた。
「でもね、君の瞳の色は変わらないんだよ。空の色だ」
指を組ませてこちらを見上げる少女の瞳は宝石のようなエメラルドグリーン。それはそちらも変わらないのでは、と思う。
「ふふ、ありがとう。優しいところも変わってないねえ」
ぎゅう、と手を握ってイサベルは笑う。相変わらず彼女は思い出の中のままの姿だが、確かに目の前にいる。そんな当たり前のことが変に嬉しくて思わず頬が緩んだ。誕生日おめでとう、ベリータ。

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