エピローグ まだ恋は醒めやらず



「…これで、良いんだ」

 新世界、海上。ドレークは自分に言い聞かせるべくそう呟いた。

 折角再会できたイサベルに別れを告げ、自分は任務に戻る。そう、「戻る」のだ。今まで彼女と共に過ごした時間の方が特異だったのだ。本来の自分の使命は海賊として四皇の傘下に入り、動きを監視して海軍本部へ報告すること。更新された彼女との記憶を心の中きらめく思い出としてまた、日常を生きていくだけだ。

「本音は?」

「一緒にいたいに決まってい……ッ!?」

 ほぼ無意識に問いかけに答えたドレークは、その途中でその声の主が今絶対に存在しないはずのイサベルであることに気付き声を裏返しかける。空っぽになるはずだったベッドに横になっているのはどう見てもイサベルだった。魚人島で別れを告げたはずの。

「やっぱりー」

「っ何故、」

 ゆったりと落ち着いているイサベルに対し、ドレークは慌てて疑問詞だけを声に出した。

「いやわたしも素直にお別れするつもりだったんだよ?でもシャーリーは追いかけろって…ディエスと一緒にいても死なないからって言うし航海士さんも一緒に来てほしいって言うから…」

「あいつ…!」

 ゆらゆらと尾鰭を揺らしながら答える彼女に、ドレークは彼らしくもなく冷静さを欠いている。航海士であればドレークの真の目的は理解しているはずだ。何の気を利かせているつもりだ、後で話を聞かねばとまで考えてから、とりあえず今解決すべき問題であるイサベルが横になっているベッドに腰掛けた。

「…死ぬ可能性もあるし、お前のことを殺さねばならないかもしれない」

「本望だよ、君が老衰で死んだってまだ三百年は軽く生きなきゃいけないの、つらいし」

 ドレークの言葉は真実だった。最悪の場合、と頭に付けど十分に考えられることだった。それへイサベルはけろりと答えた。まるで明日どこに出かけるかを悩む少女のような気軽さで。

「なんて。君は強いからわたしを殺せるけど、優しくもあるからできればそうしたくないのもわかってる。これはあれだよ…あの、ぶっちゃけというか、極論」

 流石に言葉が強すぎたか、と彼女は歯切れ悪く付け加えていく。 

「君の隣にいられるのは幸せだよ、でも、無理は言えない」

 周囲に後押しされてここまで来たけれど、彼女とて道理は弁えている。彼女の本来のフィールドは海中、彼は陸上。悪魔の実を喰らった彼はどうあろうと海中に存在することはできないし、彼女の足は地上を歩くのに向いていない。人魚と人間。寿命。共に生きることはできても共に終わることは対外的な要因が無いと不可能だ。身体年齢。成長の遅い彼女が性成熟を迎えるのは遥か未来。子を残すことが、二人には不可能だった。そんな不可能づくしの中だから、隣にいることすら本来は難しいこともイサベルはしっかり理解していた。眼鏡のレンズ越しにイサベルの大きい瞳がドレークを見据えている。

「……おれが指示したら、何があっても魚人島へ戻れるか」

 長考の末、ドレークはそう問うた。

 それが現状、一番良い折衷案だった。二人の願望と世界を背負った使命。それらを何度も天秤にかけてやっと出た結論だった。勿論、世界とイサベルを直接皿に乗せられたのであればドレークは間違いなく世界を取るし、彼女もそれに同意しただろう。けれど、何度も思考を巡らせたということは、諦めきれなかったことの裏返しだ。一度や二度の試行で納得がいかなかったから。何十も繰り返せば一度くらいは、という思いがあるからだった。あの夜縋れなかった彼女の手をもう二度と離したくなかった。それでいて、自分にそんな資格はないと彼は思うのだ。そこに使命まで加われば、どれが自分の本心なのかすら掴めない。
 
 彼の視界の端に海が揺れる。海兵であるのならば無辜の民も世界も救わねばならない。海賊であるのならば望むもの全てを手中に収めていく気概が必要不可欠だ。ああ、結局どちらに属そうと同じだ。そもそも彼女を喪うことを恐れて別離を選択するのは逃避に過ぎないのではないか。彼女一人守れず、どうやって世界に平和をもたらすというのだろう。一人でも取りこぼしのある平和は、平和とは呼べないのだ。

「もちろん。これからもうしばらくよろしくね」

 了解した少女の微笑みがけらけらと可愛らしい笑いに変わる。何が可笑しいわけでもなく、寧ろままならない現実による哀しみがそこに満ちていたのにドレークもふ、と笑いを漏らした。


 恋は叶ったというのに、それが愛になるには二人にとって世界は少々残酷すぎた。すべての道理が彼らの敵。それでも、それでもせめて傍にいることだけは乱世の間で赦されやしないか。そんな思いを抱いて、二人は手を取り合うのだ。

 ずうっと恋をしていよう。醒めない恋を、と。

はつこいはうみのいろ 終

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