9時 ハニカーム島  





「正解だったな」
 じゃっ、と降り立って踏んだ砂の音に鮮やかな髪色がこちらを振り向く。ここはヨロイ島近海、ハニカーム島。ミツハニーやチュリネの多く生息するこの島はいつも植物由来の甘い香りが漂っているが、今日だけは別。スパイスの刺激と食欲を誘う香り。ウェルが大鍋でカレーを煮込んでいる。
「キバナ!」
 美味しそうな匂いに誘われたのか、彼女の周囲には彼女のポケモンだけでなく野生のドレディアやミツハニーたちが集まっている。彼女のカレーは美味いからなあ、と少し自慢げに頷いて、額の汗を拭う彼女の元へ歩み寄る。手持ちのポケモンも全てフィールドに出した。
「君が来ると思ってさ、大量に作ってたところ」
 ヒュウ、と口を鳴らす。大抵彼女の元へ行くときに連絡はしなかった。フォロワー数一の彼女のアカウント(鍵付き)に投稿される写真を見ればどこにいるかは大抵わかる。いくら彼女の生き方を尊重しているとはいえ、ワイルドエリアで単独行動をしているのだから心配になる。幼い頃は一人になると途端に怪我をしていたことだし、とどうにか言いくるめて始めさせたのだ。ソーシャルも何も無い使い方だが、早い話が彼女の生存確認用。いちいち連絡を取り合っていては、こちらと生活リズムがまるきり異なるので不便だろう、ということだ。
「これもう盛り付けて良いか?」
「うん、今日は甘めにしてあるからライス無いよ。そのままでもいいし、足りないならバケットもある」
「りょーかい」
 勝手知ったる彼女の荷物事情。自分の荷物から食器を出した後で、彼女のリュックサックからも深皿を七つと大皿を一つ取り出して簡易テーブルに置いた。大皿は周囲に集まってきた野生ポケモンのためだ。彼女が調理ゴミをまとめている間に、皿に盛り付けていく。今回のカレーは具材が大きく芋なんかほとんど皮を剥いただけのサイズが入っている。確かに、少食でなくともこれはカレーだけで満足できる一品だ。まずは大皿についで、こちらをほんの少し距離をおいているチュリネたちの前に置いた。彼女は小さいからまだしも、こちらは身体が大きいためか小型のポケモンからはよく警戒される。もう慣れてしまったから別に構わないが、その分彼女がポケモンたちに囲まれているのを見るとどうにも羨ましくなる。ああいや、彼女は昔から大小問わずポケモンに好かれやすいタチだった。ドラメシヤなんかの彼女の手持ちだけでなく、一度キテルグマに大層気に入られたこともあった。その時は流石に彼女の得意料理であるカレーを振る舞うことで気をそらして逃げ出したが。流石に唯一無二の幼馴染を真っ二つにへし折られてはたまらない。
「食べていいよぉ」
 つんつんと皿の端をつっついているドレディアに彼女は言う。すっかり表情の固くなってしまった彼女だが、相変わらずポケモンに対してだけはにへら、と人懐こい笑顔を見せる。例えるなら、ヌメラのような気の抜けた顔だ。
「私たちも食べよ、いただきまぁす」
「いただきます」
 スプーンを握った彼女の向かいに座る。ポケモンたちは銘々に好きな場所で食べている。テーブルについているのはさみしがりのドラパルトと、ヌメルゴンくらいだ。
「んーっ今日も良い出来!美味しさリザードン級!」
 瞳を輝かせる彼女はひとくち食べてそう口に出した。彼女の作るカレーはいつも美味しいし、今回だってそのとおり。彼女は机の上に置いていたバケットを半分に千切ってこちらに寄越した。
「美味い」
「それは何より!」
 野生のポケモンたちも含めて、皆夢中で食べ進めている。彼女と食事を共にするときはいつも直近のことを報告し合うのだが、こちらからは何も言う気になれなかった。あまりにいろんなことが起こりすぎていて、言語化しようにも上手くいかない。このキバナがトーナメントでチャレンジャーに負けた。ローズさんが悪事を働いていた。天変地異を目の当たりにした。無敗のダンデが負けた。何から話せばいいのかすらわかっていない。彼女の方も、数日前の騒動をあえて避けたような話題選びをしていた。キバ湖の瞳ではオノノクスとウッウが共生関係にあるようだとか、ストリンダーがきのみを集めるのが上手だとか、一週間後にカンムリ雪原に行くとか。それを聞いて相槌を打っているうちにカレーは全てなくなり、片付けまで終わってしまっていた。
「あー…ウェル」
「何?」
 彼女になら全てを吐き出せると思っていたのに、てんでダメだ。悪い言葉にならない言葉が歯切れ悪く出てくるばかり。日の高い今から話したって明日の朝までかかるくらいの量なのに。いや、そんな量だからこそ。出だしに悩んでいる。コミュニケーション能力には自信があるのにな、情けないぜキバナ!と自省したところで状況は進展しない。
「いや…なんだ。いろいろあっただろ。オマエに話せばスッキリすると思ったんだけどな。一切合切が言葉にもなりやしない」
 正直に吐露した。彼女はきょとんとしてこちらを見ている。調子でも悪いのか、と視線だけで心配が伝わってくる。こちらが言葉に詰まることなんてそうそう無いことだから。
「じゃあ、バトルでもする?」
 彼女は首を傾げて言った。隣では好戦的なボスゴドラがドド、と足踏みさえして上機嫌に鳴いた。ああそうか、その手があったか。オレさまと彼女の近くには常にポケモンバトルがあった。キバナとウェルの間に言葉が必要ないのは、戦闘中の視線や表情でもってその代用をしてしまうからだ。
「そりゃあいい!どうする、シングル三対三でいいか」
「もちろん。みんな、キバナと戦うけど出たい子…わかったわかった、ボスゴドラは出るんだね」
 くるるる、と喉を鳴らしたボスゴドラ(ボスゴドラが喉を鳴らすのなんか初めて見たが)、精神統一をしているエルレイド。どんどん決まっていく彼女のパーティに負けられず、こちらもポケモンたちに呼びかけた。やはり旧知の仲だからだろう、まず一番に手を上げて空中で一回転してみせたのはフライゴンだった。
「決まった?」
「ああ」
「こっちはボスゴドラとエルレイド、タルップルだよ」
「フライゴンとコータス、ジュラルドンでいくぜ」
 手の内を明かしたとて、互いに不利にはならない。もう既に互いのやりそうなことは大体予想がつくのだから、構成を聞いても意味がないのだ。
「ロトム、開始の合図頼む」
[了解ロト!―ただいまよりシングルバトルを開始します!対戦カードはキバナ対ウェル!試合…開始!]
「ビーッ!」
 スマホロトムに頼めば、ふわりと空中に浮いていつもどおりの文言を合成音声で高らかに宣言した。その直後に、スマホの最大音量を遥かに超えるブザー音のようなものが響いた。
「っすごい、本格的」
「すごいなロトム、オマエこんなことが」
[ロトムじゃないロト!]
[ガラル粒子上昇中…ダイマックスポケモン出現の恐れアリ]
「え」
 感心するオレさまとウェル、否定するスマホロトム、冷静に分析結果を告げるウェルのタブレットロトム。ギャラリーとしてモンスターボールから出ていたポケモンたちもソワソワとしていた。
「ビー!ビー!」
 ヴヴヴヴ、と無数の羽音が響き、思わず耳を塞いだ。その先にいたのは、ダイマックスしたビークインだ。そうか、ここはミツハニーの多く生息する島。ミツハニーがいるなら当然、その女王たるビークインもいる。こんな単純なことに気付かなかったなんて笑える。いや、笑えない、ビークインは大層機嫌が悪い。
「ヤッバ」
 ビークインの攻撃司令に、先程まで穏やかにカレーを味わっていたミツハニー達がこちらへ敵意を向け始める。四面楚歌どころの話ではない。ミツハニー一体一体は弱くとも、ビークインの司令下にあるミツハニーは脅威となる。それに加えヨロイ島に生息する個体はどれも経験を積んで強いものばかりだ。
「ヌメルゴン以外は戻れ」
「ストリンダー以外はボールの中に」
 じり、とオーラを纏うビークインを二人して見据えたままで呼びかける。ビークインはその名の通り女王だ。凄まじいプレッシャーに、背を向けた途端に命はないとさえ思えた。
「ヌメルゴン、あまごい!」
 さっきまでの空気が嘘のように張り詰める。ビークインが動いた僅かな隙に、叫ぶように指示を出した。穏やかに晴れていた上空に雨雲が広がり、ストリンダーの予備動作にバチチ…と電気の音がする。ぽつ、ぽつ、と数滴落ちた後にザア、と視界を烟らすほどの大雨がすべてを濡らしていく。羽が濡れれば多少は機動力が下がるか。嫌がっている素振りを見せたビークインをよそに、横目でウェルを見た。やろうとしていることは全て伝わっているらしい。
「ストリンダー!かみなり!」
 ベースに似た重低音を響かせた後、ストリンダーが雨雲に向けて僅かな電撃を放つ。一瞬後にドッ、と目が潰れるほど強力な雷撃が、ビークインに命中した。
「ビ、ビ…」
 ふしゅう、と煙が晴れると、そこには元のサイズのビークインが地面に倒れていた。
「なんとか」
「なったな…」
 ふう、と息を吐くすぐに雨雲は晴れ、草木に付着した雨粒がきらきらと輝いて、虹までかかっている。
「ヌメ、ヌ!」
 ヌメルゴンがこちらの手を引く。ウェルの方を見れば同じようにしているストリンダーが、テントの方を指差していた。
「え、カレー?」
 危機が去ったことを察知したウェルのエルレイドがボールから出てきて、テントからカレーを作る大鍋を持ってくる。どうやら、もう一度カレーを作ることを要求しているらしい。
「まさか。なあビークイン、オマエも食べたかったのか?」
 既に敵意が消えているビークインに近付いて問いかける。び、とこころなしかしょんぼりして頷いた彼女に、悪いことをしたな、と頭を掻いた。自分の縄張りで美味しいものが振る舞われたのに、自分のところまで回ってこなかった。だから怒っていたのだろう。あれほど美味しそうな香りをさせていたし、今回はビークイン好みの甘い味付けだったから。
「一緒に作ろっか」
 ふ、とこちらへ笑いを零したウェルの横髪から雫がぽたりと落ちる。下がり眉で笑う彼女に頷いた。
「材料はあるか?」
「うん。きのみもいっぱいあるし…さっきのは何入れたっけな…マゴのみと…オレンのみ…」
 ウェルがうんうんと頭を捻っている隙に、簡易テーブルを組み立て、調理器具一式を用意する。先程降らせた雨のせいで全身ずぶ濡れだった。後でコータスに乾かしてもらうとしよう。
「キバナ、きのみよろしく。適当でいいよ」
 まな板の横にどさりと置かれたのは大量のきのみ。都会のトレーナーが見ればもったいないと泣き出しそうなくらい貴重なものも多く混ざっている。一つずつ手にとって、皮を剥いては彼女の言う通り適当に切って大鍋に放り込んでいく。
「覚えてる?マルヤクデに追いかけられて湖に飛び込んだの」
「ああ。あの後二人で風邪引いて怒られたな」
 隣で芋の皮を剥きながらウェルは言う。ビークインにはキズぐすりを使っておいた。今は再びボールから出てきたオレたちのポケモンが世話をしている。
「あのときもこんなびしょ濡れになったなって…あ、ナックルスタジアムのときもだ」
「オレたち二人でいるとずぶ濡れになる運命なのかもなあ」
 冗談めかして言って、オレンのみを手にとった。ああ、そういえば。
「どこの地方か忘れたが『あなたは私のオレンの片割れ』ってことわざがあるらしい」
「へえ?」
 オレンのみをすとん、と包丁で真っ二つにした。綺麗な断面が見えるように彼女に見せる。
「ほら、切ったきのみってくっつくだろ?でも元々一つだったきのみじゃないとぴったり一致しない」
 こちらを向いた彼女の目の前で今しがた切ったオレンのみをぴたりとくっつけた。表面の細かい凹凸も含め、キッチリとくっついたそれは切れ目すら見失ってしまいそうだ。
「運命の相手って意味らしい」
 くっつけたオレンのみを再び離して、大鍋に放り込んだ。
「まあそんな意味はともかく。なんだかオレさまとオマエみたいだよな」
「ひゅー。流石ロマンチスト…なんてのはさておき。わかるよ。君とは元々、一つだった気がする」
 とん、とニンジンのヘタを切り落とす彼女の言う通りだ。元々キバナとウェルという存在はきっと一つだったに違いない。勿論双子ではないし見た目も同じではない。それでも五感を必要としないところでわかりあえるのはきっと、そういう超自然的でオカルトな理論でしか説明できないのだ。それにそう考えるのが一番明快だと互いに思う。今だって感情や意思の共有ができている。
「だって君とはさ、話さないまま何ヶ月も経ってても、まるで昨日の続きみたいに話せる」
「さっきの連携だって何も言わずにできてたしな」
 とんとん、ときのみを切りながらふと隣を見れば彼女もやはり、同じタイミングでこちらを見ている。
「これからもさ、私は街には戻らないけど」
「ああ。暇なときは会いに来るさ。修行も兼ねて、な」
 新チャンピオンもダンデも倒さなきゃいけないし、と続ければ彼女は任せてよ、と握りこぶしを作った。こつん。拳をぶつけ合えばやはり、パチリと噛み合ったように気分が良い。
「るるる!」
「ちょっとタルップル、まだ食べるの!?」
 手の止まっている彼女の袖口を、タルップルがぐぐ、と引っ張っている。手を止めずに早くカレーを作ってほしい、もしくは材料のきのみが欲しい、そういうことだろう。
「相変わらず食いしん坊だなぁ、オマエは!」
 花より団子、トレーナーの友情よりも食い気のタルップルの頭を撫でて笑えば、彼女も同じように笑っている。ああやはり、彼女は運命の片割れだ!

Tu eres mi media aranja 終

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