銀色は苦手です
「ゲンガー、戦闘不能。よって勝者、チャンピオン・ミヅキ!」
審判が試合終了を告げる。
倒されたゲンガーを悔しそうにモンスターボールに戻す少年は、確か島巡りを終えてまだ間もないと聞いた。11歳。泣きそうになるのを堪えながらありがとうございました!と大声で礼をして博士のアドバイスも聞かず駆けていった。ああ、純粋で、素直で、なんで良い子なんだろう。
まだポケモンの強さはこれからの発展に期待、といった具合だが、他の地方から挑戦に来て文句を言って帰っていく大人より余程良い。たった16歳の、中途半端なこどもに負けたのが悔しいのか、女に負けたのが悔しいのか。こちらを侮辱するのはまだ良い方で、殴りかかってくるだとか、後日夜道で襲われるとか。まあパートナーのポケモンが守ってくれるから大事には至らなかったのだけれど。
そう、アローラ地方のチャンピオンリーグは、他の地方の挑戦者を受け付けている。いや基本的にどこもそうなのだが、アローラのポケモンリーグに挑むために島巡りを行わなくてもよいのだ。相当の資格―例えばいずれかの地方のジムバッジを8つ揃えているとか―を保持していればリーグに挑戦できる。島巡りはジムとは違って少年少女のためのものだという性質が強い上に、一度に多くのトレーナーを相手できるものでもない。それに全てのキャプテンが少年少女という枠を抜け出ていない。大人が挑むのはどうなのか、ということなのだ。まあジムを建設する案もあるが、お金が足りていないのが現状だ。
そもそも、何故観光地とはいえできたばかりのリーグに挑戦者が他の地方からも殺到しているのかというと、原因はわたしだ。初代チャンピオン、ミヅキ。11歳で就任してからこの方、五年間ずっとチャンピオンのままだった。そうなると電波に乗って他の地方にも話が伝わる。「でも片田舎のチャンピオンだろ、俺が潰してやる」と言わんばかりに挑戦者が、といった次第だ。リーグに問い合わせが相次いで(直接やってくる人もいた)、まあ受け入れるか、と。多少の受験料を取ればジム建設の費用にも当てられるし、なによりアローラ以外のポケモンのいろんな技を見ることができるし一石二鳥じゃないか、ということだ。リーグ立役者のククイ博士の研究を進めることができるなら良いでしょう、とわたしもその意見を飲んだのだった。
…いや、少々語弊がある。研究なんてどうでもいいのだ、わたしは。ククイ博士のためになるならそれでいい。だから、研究でなく例えばそれが博士の趣味だったとしても答えは変わらなかった。博士が喜ぶのならそれで。わたしの行動原理はそれしかない。
博士が好きか?好きだ。でも、どうしようもない。
彼には妻がいる。
わたしがあと十年早く生まれていれば、まだ結婚していなかったら、と烏滸がましい考えばかり頭に浮かび、その度に自己嫌悪で吐きそうになり。大好きなはずの彼の笑顔も、ああ、わたしに向かうことは無いのだな、と思う度にまるでどろどろと胸の内でタールを煮詰めるようになって。これが、万が一にでも、こんな醜くて反吐の出る感情が恋だなんて言うのなら一生知りたくなかった!
やすやすと忘れられない醜い感情に支配されるのが怖くて、嫌で、唯一それを忘れられるポケモンバトルに熱中して、気づけば"これ"だ。チャンピオンといったって、蓋を開ければ恋愛沙汰に引っ掻き回されただけ。お涙頂戴の安価なネタにもなりやしないのだ。
◆◆◆◆◆◆◆
「やぁ、お疲れ様」
今日も満足な観察ができたのか、少々機嫌の良い博士。ふわりと心が浮き上がってしまうような感覚に陥って、けれどもこれは行けない感情なのだとすぐさま押さえ込んで、博士もお疲れ様です、と返事をした。
「そういえば今日だけど、6人目の挑戦者は強かったなぁ!きみも珍しく押されてたじゃないか」
6人目。ああ、カロス地方の。あの男はたしかに強かった。元々カロス地方のポケモンと戦うことが少なかったこともあり、少々手こずったのだった。
強かったですがまあ、カロスのポケモンに慣れることができましたし。
「それもそうだ。帰ったらカロス地方のポケモン図鑑を貸そう」
ありがとうございます、と応える。正直インターネットでも情報を得られないことはないけれどやはり書籍のほうが詳しかったいりするのだ。博士が持っているなら専門書に近いものだろうし。
「…ああ、それと。あのとき少し君おかしくなかったかい?」
…ちょっと、疲れてただけです。一呼吸置いてそう返した。
「そうかい?それならいいんだけど…ゆっくり休むといい」
博士がぽんぽん、とわたしの頭を撫でた。
背を冷や汗が伝う。だって、言えるはずがない。
もう見飽きたはずの左手薬指の銀色を見て頭が真っ白になってしまっただけです、なんて。
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