張り子の君

「…綺麗」
 少女の声で微睡みから覚醒に至る。布団の中で座ったまま外を見て、彼女はそう呟いたのだった。呑気だな、と呆れが出ないわけではない。まずこの場所がどこであるのか、何故自室で書類作業をしていたはずが柔らかで温い布団で眠っていたのか、彼女は気にするべきだ。いつもいつもこのような、地に足の着かない振る舞いをするものだから、我ら付喪神に付け込まれてしまうのだ。
「椿。」
「はい」
 にこにこと笑って、少女はさもそれが当然であるように俺の呼びかけに返事をした。何故、この人間は、こんなにも自分をぞんざいに扱えるのだろう。気まぐれに、真名を教えてほしいと言った。「縁田椿」と一秒たりとて間をおかず言葉は投げ返された。数日して、今に至る。所謂、神隠し、というやつだ。大勢の刀剣男士を従える主たる彼女を、自分だけの領域へと囲ってしまった。まずいことをやってしまっただとか、そういった反省も何も無い。まあ、こうも簡単に出来てしまうと思っていなかったという点では「こんなはずじゃなかった」という感想もアリか。付喪神といえど神である我らに二つ返事で真名を告げるなど、正気の沙汰でない。その真名を真に受けて隠してしまった自分も同類ではあるが。ただ、少しばかり、もう既に本霊に本体の実在しない自分は、戦いが終われば行く先も戻る場所も無いのだな、と人間が抱く寂しさや不安、虚しさといったものを同じように武器の俺も抱いてしまった。そうして気づけば、彼女は俺の掌の中だった。
「ここ、神域ですよね?とっても綺麗」
 感想を繰り返し、少女はまた庭を眺めてはため息を漏らす。焼けたせいか本体が残っていないからか、自分の神域ですらこうやって少女を連れてくるまでしっかりと把握できていなかった。少女を主とするいつもの本丸とは異なる武家屋敷に、庭は綺麗な銀世界。そして、おそらく元々ここにはなかったであろう大量のツバキ。赤に白に、たわわに頭をもたげている。
「あんた、何にも思わないのか」
「何がですか?」
 庭の銀に溶け込む髪をふわりと揺らし、少女は楽しそうに言った。ああ、この少女には、自分を勘定に入れるという考えがないのだろう。解釈を広げれば希死念慮とも言えるそのあり方は、非常に不安定で、魅力的だった。狐を前にして腹を見せくうくうと眠る兎と同じだ。軽く喉を噛み柔らかな皮も肉も裂いて、腹の中に入れてしまいたい―少なくとも、自分はそう思った。他の連中も変わらんだろう。
「…私、戻る場所が無いんですよ。肉体は二十一世紀に焼けて、魂だけ政府に拾われて審神者をさせていただいています」
 普段どおりの表情で少女は言った。俺と同じだと思ったし、余計に喰らいたくなってしまった。
「御手杵さんが、私で良いのであればここへ隠してしまっても構いませんよ。ただ…ただ、戦いが終わってからでよろしいですか」
 閉口した。少女の中に、少したりとも彼女は存在しない。自分というものがどこにもないのだ。最早人外に足を突っ込んでいる。途端にこの少女が恐ろしくなった。
「…何故俺に真名を与えた」
「聞かれたからです」
「隠されるとわかっていただろうに」
「構わないと思いました」
「何故」
「私などにそんな価値があるとは思っていませんでしたし、それはきっと幸せなことでしょう」
 柔らかで毒気のない笑顔で、彼女は言った。もう参ってしまった。きっと彼女に何度問答を重ねようと、同じ表情で同じ声色で、同じようなことを言うのだ。
「…御手杵さん?」
「帰るか」
 ええ、と少女は頷いた。差し出した手に、小さく柔い手が重なる。そのまま腕を引いて、抱き締めるように腕と胸でもって囲ってしまう。こんな気軽さで、少女の心ごと手に入れてしまえれば良かったのに。縁田椿。噛み砕いて呑むように音を発する。誰にでも真名を渡すだろう少女に、説明の出来ぬどろどろとした感情を抱いてしまったのは、気の迷いと宣誓したい。




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