藤に蟒蛇

※藤景趣に関して


「この部屋、気に入りましたか」
 部屋の欄干に手を掛け、日本号は景色を眺めていた。視覚が狂ってしまったのかと思うほどにずうっと向こうまで下がった藤と、僅かな灯籠の灯りがどうにも幻想的なこの景色を、彼は特に好んでいた。先日は猪口を片手にその花弁を浮かべ花見酒を楽しんでいたし、暇があればここで藤を眺めているのだった。彼の由来や紋には藤が深く関係しているためか、近くにあれば安定するのだろう。
「アンタだってそうだろ」
「…まあ、まあ。そういうことにしておきましょう」
 彼の主である椿はそう言って彼の隣に腰を下ろした。白く柔らかな髪は景色の紫を反射し淡い藤色に染まっている。
「藤の香りは濃いですから、少ししか耐えられないのですが」
 彼女は残念そうに言う。噎せそうなほど濃厚な香りにくらりとして足元が覚束なくなったことも、思考を放棄しそうになることも、うっかり気が遠くなってしまったこともあったからだ。幻想的で、まさに神様の領域に足を踏み入れてしまったかのような恐怖心をも抱かせる視覚情報も手伝って、彼女はこの景色に対して複雑な感想を抱いていた。綺麗で素晴らしい…けれど、どうしても恐ろしくて仕方がない―。
「酔っちまいそうだろ」
「…何も考えられなくて、くらくらすることが酔うことなのですか」
 彼の言葉に、彼女はそう質問で返した。彼女は未だ酒の類を口に入れたことがなかったため、当然酒に酔った経験もなかったのだ。
「大正解」
 にやりと口角を上げ、そう言って日本号は椿の髪を梳き頬に触れた。白く柔く、温い肌は彼の行動によりわずかに上気している。
「藤ってなァ酒が好きなんだと。だから酔っ払うような匂いなんだろうな」
「日本号さんみたいですね」
 くす、と椿は頬の手に自らの手を重ね、細い指でするすると彼の武骨な手の甲を撫でた。甘ったるい香りの充満するこの部屋において、大きさの異なる手指が絡み合うのはあまりに官能的で、彼はごくりと無意識に喉を鳴らした。
「オレが?なんだ、アンタを酔わせたことなんかあったか」
「…貴方の血液と、同じ香りがするんです」
 ぽつりと彼女の呟いた言葉に、日本号は思わず動きを止めた。
「へえ」
 にこ、と彼は笑って椿の顔を覗き込んだ。「笑って」はいるものの、どうにも人間には理解できないような感情を宿しているらしい、と椿はびくりと身構えた。愛おしいだとか、独占欲だとか、食欲だとか、そういったものが混沌と混ざったその感情の歪さを感じ取ったのだろう。
「ぁ…あ、いや、その。好きな香りなんです、でも、濃すぎて、」
「っと悪ィ、怖がらせたか」
 あわあわと視線を泳がせる彼女に、一転して日本号は優しい声を掛けた。彼自身、様々なものがどろどろに融け合うその感情を理解できていなかったのだが。
「い、いえ大丈夫です、大丈夫ですとも」
 椿は儚げに微笑みを浮かべた。戦闘中でもなしに一瞬だけ紅くなった日本号の瞳を、目の錯覚のせいだと自らに言い聞かせながら。



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