プロローグ

 たたんたたん。澱んで微温い空気に酷い揺れと軋み、座り心地だけは良い椅子。お世辞にも好環境とは言い難い列車内でただ二人―いや少女が一人と背の高い男が一柄、ロングシートに腰掛けていた。男は刀剣男士である。日本号。彼は、彼を含め大勢の刀剣男士を従える審神者である少女の付き添いだった。どんな気軽な外出だとしても、審神者には護衛をつけることが命じられていた。少女の方は列車の揺れにくずおれそうになりながらも器用に眠りこくっている。日本号は流れていく景色を眺めながらも少女が倒れてしまわないよう時折、抱き寄せるようにして姿勢を保たせていた。
「―次は藤…藤…です…お降りの方は…ください」
 車掌の声はルーティンに従い気怠げに告げる。僅かにしか聞き取れないその声ではあるものの、そろそろ降車駅のはずである。
「嬢ちゃん、起きな」
「ん…ぅ…」
 たしたしと武骨な手の甲で柔い頬を叩けば、少女の瞳がうっすらと開く。続けて不快なブレーキ音。起きてもなお眠たげで身体に力の入らない少女を、日本号は半分抱えるようにして立たせホームへと降りた。駅名標を見ても相変わらず、日本号には「藤…」しか読み取れなかった。常世の者は現世のものに深く関われないようになっているらしい。金属製のポストに切符を入れ、駅舎へ入る。無人駅であるが故に、そこには最低限の自動販売機とベンチが二つ。ロータリーにもタクシーは一台たりとも停まっていない。まるでこの世界に、二人きりのようだった。平日の真昼間とはいえ、人間の気配が欠如していた。ピリ、と日本号は警戒を強める。
「…相変わらずだから気にしなくていいですよ」
 少女は、この場所に馴染みがあるらしい。といっても知り合いには出会わぬよう少女の生まれる前という若干の時間のズレは作らされている。少女は役人さんも大変だなあ、などと呑気に思っていた。少女がここへ来た目的は、身体検査である。しかしながら時の政府の管轄であるその病院は時間遡行軍の襲撃を避けるためか毎度毎度違う場所と時間へ入り口を作っているのであった。今回指定されたのは少女の生まれ育った街の隣町の過去だったのである。

 少女の病状は、ただただ眠り続けてしまうというものであった。始めは居眠りが多い程度であったのが、もう今となっては日に一度の食事と湯浴み、少しばかりの指示以外は眠っている始末だった。幸い彼女には指示だけで十分審神者としての任務をこなしてくれる優秀な刀剣男士がいたのでなんとかだましだまし政府からの要望には応えてきたのだが、それも限界、ということで相談したのだ。遠隔診断では異常がなく、つまり通常医学書に記載があるような病気ではないと判断されたため、わざわざ赴くことになったのだった。更には同行する刀剣男士さえ指定されて。顕現してあまり日の経っていない日本号が指定されたことへの疑問はあったが、病状を改善するためだとただ一文記述があれば従うしかなかった。


□□□□□


「全員、揃いましたか」
大広間、刀剣男士が全員跪座にて待機していた。少女としてはただ「大広間に集まるように」としか連絡していないので全員かしこまっているのはきっと、へし切長谷部のおかげだろう。彼はいつも審神者である少女と刀剣男士たちの橋渡しをしていたので、慣れたものだ。例えば、少女が「料理を作って」と言ったなら何を作るかを決め、分量も分担も決めて指示を出すといった具合。
「あ、ええと…楽な姿勢で構いませんよ」
 刀剣男士の前、真ん中に置かれた文机の前にちょこんと座り、困ったように笑って少女は言った。隣には日本号が控えている。こうもピリリとした空気だと、言えるものもなかなか言い出せない。まあ真面目な話ではあるのだけれど。少女の言葉通り、一部の刀剣男士を除いて胡座など楽な体勢を取る。正座をしている者もあるが。
「まず…その、今までご迷惑をおかけしました。一応、これからはきちんと審神者業もできます」
 ほ、と部屋の空気が緩む。目下全員の心配はそこであったから、気が緩むのも納得できる。よかったぁ、と秋田藤四郎の声が漏れたのを、隣の前田藤四郎がしっと注意しながらもその顔は笑っている。
「ただここからが本題です。いろいろと言いたいこともあるでしょうが、とりあえずは結果を読むので聞いてください。まとめて質問コーナーを設けますので」
 ぴらりと懐から出した茶封筒からきっちり三つ折りにされたコピー用紙を取り出し文机に広げる。少女はそれを読み上げるつもりらしい。
「では。『診断、霊力欠乏症二型。霊力の体内貯蔵は十分であるがその調節ができず刀剣男士へ過度に供給している状況である。過剰な睡眠はこれによるものである。これを改善すべく、刀剣男士から逆方向の霊力供給が必要となる。
具体的な改善方法、刀剣男士の体液の経口摂取(血液を利用する場合は支給の採血セットを使用のこと。目安摂取量は別紙参照)、長時間の身体接触(肉体だけでなく刀剣本体でも可能)、性交。
なおこれにより一時的に目や髪色の変化が見られることがあるが一時的なものである。』以上です。あ、日本号さんに同行していただいたのは向こうからの指定があったためです。現世での私…審神者になる前の私に最も接点があったため、との説明を受けています。それ以上のことはよくわかりません。他に、質問がありましたら」
 少女は読み終わった書類をまた封筒に戻しそう言った。同行の刀剣男士に関する説明を行ったのはそれが最も出そうな質問だと予想していたためである。口を開きかけた御手杵がぐむ、と口を噤み、手を挙げかけた今剣はそのまま隣の岩融へ寄りかかった。
「主」
 一番に口を開いたのは、三日月宗近だった。シン…と部屋が静まり返る。
「主はそれで良かったのか」
「勿論です、私にはこの仕事しかありませんから」
「そうか…」
 ふむ、と少し考える素振りをして、それから彼はゆっくりと目を開く。瞳の三日月が審神者である少女を捉えた。
「いや、つまるところ…主は我ら付喪神にもなれず人にも戻れぬ身になってしまっているのだ」
 少女は喉がひりつく思いだった。治療と称して飲み下した日本号の血液の味は、決して通常の人間の血液の味ではなかったのだ。つんと鼻をついたのは鉄の香りでなく、藤の香り。それまで口にしたどの果実よりも濃厚な甘味と酸味。僅かな苦味も含めて、それはまさに「この世のものとは思えぬ」ものだった。
「私は、」
 少女の乾いた舌は上手く回らない。政府側はいつも重要なことを言わないのだな、と諦念に似たため息をついて、彼女は再び口を開いた。
「私は元々死人です。21世紀で死んでいます。この戦いが終われば行くところはありません。神でも人でもないのなら、あやかしにでもなりましょう。幸い…あなた方の中にはそういった逸話を持った方も多い。最期は、お願いすることになるかと」
 言葉とは裏腹に、少女はにこりと笑ってみせた。沈んだ空気を少しでも打ち払うことができれば…という意図だったのが、あまりに痛々しく見えていた。その反応を見、三日月宗近はからからと笑った。
「はっはっは…何、そこは我らが尽力しようぞ」
 彼の一声に、刀剣男士たちからは「任せてよ」「もっちろん!」「そうですね」などと同意の声が漏れる。それに安心しきった少女は文机をどけ、深々と礼をする。
「ええと…あっ供給は全員に強いるつもりはありませんので…お手伝いしてくださる方は後ほど部屋に来てください!書類は食堂の掲示板に貼り付けるから、気になったらまた質問をですね…」
 少女は気恥ずかしいのか嬉しいのか、口早に言うつもりだったことをわたわたと羅列的に述べる。刀剣男士は皆「しょうがないなあ」と雰囲気で語っている。
「あう…その!また明日から!皆様にはお世話になりますので!お願いします!」
 応!と歓声に近い返事があり、往時の、審神者が睡眠過剰になる前のとおりの活気が戻る。

 これは、とある本丸の、少しばかり特殊な日々の物語である。



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