「おやすみなさい、いい夢を。」

「おやすみなさい、いい夢を。」
 わたしの腕の中でぐるるる、と息を荒げる彼はまるで獣のようだ。
「大丈夫ですよ、貴方はサリエリ。アントニオ、サリエリ。」
 歌うように言い彼の背を擦る。すり、とスーツが音を立てた。サリエリ、と呼ぶ度に首筋に彼の歯がギチリと食い込んでいく。少しだけ眉を顰め奥歯を噛み、何もなかったかのようにまた言葉を重ねていく。
「わかっています。貴方は灰色の男であり、アントニオ・サリエリであり、そのどちらでもない。でも今の間だけは、気の安らぐ方で在りませんか」
 詭弁も詭弁、彼の自我をどちらかに寄せたからといって気が安らいだり彼が救われたりする確証はない。ただ、そんな可能性が微塵でもあるのであれば試さずにはいられない。令呪でも切ってしまえば容易いのだろう。彼もわたしも、痛み無しに静穏を手に入れられる。完全にわたしのエゴだ。自己満足に過ぎないこの行為に彼を付き合わせているだけ。
「マス、ター」
 突っ張るような痛みが薄れ彼の声が耳に入ってくる。少しは落ち着いたらしく、縋るように背へ爪を食い込ませていた手が今度は優しく包むような力加減に変わる。
「ごめんね、どうでしょうか」
「…迷惑を、掛けた。申し訳ない」
 彼は優しい。まるで自分から腹を見せた山羊を貪りながら懺悔している狼だ。
「いいえ、マスターですから」
 最後に数度彼の頭を撫で、開けてしまった衣服を正していく。
「それでは、失礼します」
 彼の部屋を後にする。
 明日になれば、また同じことの繰り返し。意味はないこの行為で少しでも、ほんの少しだけでも彼が救われますように。アントニオ・サリエリ、そして灰色の男。おやすみなさい、いい夢を。



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