琥珀に閉じ込めて

「いきなり呼び出しちゃってごめんなさい」

 彼女―マスターはマイルームでそう言った。
 ちょっとお話があるんです、と食堂で申し訳なさそうに小声で言われたのだから断りようがない。まあ別に大事な約束があったり取り込み中だったりしたわけじゃないんだが。

「構わんよ、どうせオジサンも暇だったんだし」

 へらりと笑ってそう返す。きっと大事な話なだろうってことは彼女の表情の硬さから伺える。けれどもだからといってここまで緊張していちゃ話すことも話せないだろう。

「あ…その、ヘクトール」

 彼女だけでも椅子に座ればよいのに、それすら忘れてそう切り出される。互いに立ったまま、彼女の視線だけがちらちらと忙しく動く。余程重大な話とみた。思い当たる節があるとすれば…ああ、オケアノスでの俺のことだろうか。パーティに組み込んだサーヴァントが敵として出てきたという経験は、確か彼女にとって初めてのはずだった。顔も姿も声まで俺と一緒なのにやること全て(我ながら見事なまでに)彼女を恐怖させるには十分だった。彼女もきちんと向こうの俺と俺の区別はつけていたようだったが、それでも時折、俺に怯えている様子を見せることがあるのだった。

「…わたし、ね」

 すう、と大きく息を吸って、彼女は言葉を紡ぎ始める。「あなたが怖い。」もしくは、「平気になるまで接触しないで欲しい。」そんなところだろう。勝手で至極消極的、それでいて現実的。そんな憶測に少しだけ小さな溜息を、自ら嘲笑するように吐いて、ああ、と相槌を打つ。

「ヘクトールさんのことが、好き」

 そら、予想通りじゃないか―と納得しかけて首を傾げた。想像したものとはおよそ正反対の言葉を投げつけたその顔を見やる。涙目に琥珀色の瞳が揺れる。頬はよく熟れた林檎か何かと見間違うくらいの赤。困惑する。

「あー…マスター」

「わかってます、こんな非常事態だからだとか、気の迷いとか。十分わかってます」

 俺の言葉を遮るように、彼女はそう続ける。俺が断ると見越してか、それとも緊張して言い訳みたく頭の中で考えてることを全部放出してしまおうって魂胆か。

「でも、初めてだから、言っておきたいから。十何年か生きてきて、初めて人を好きになったから。気の迷いでも、後から考えたらあんなの恋じゃなかったって思っても、もしかしたら最後になっちゃうかもしれないから」

 最後。ああ、そうだ。彼女が特異点で経験しているのは、死への恐怖だ。人類最後のマスターだからと最前線に立っているが、彼女は自己犠牲を是とする聖女でも、まして無償で慈悲を振りまく女神でもない。平々凡々、どこにでもいるような少女だ。それこそ生前街で見かけたような。

「…なんでまた、今。」

 どうにか声にしたのは、そんな言葉だった。彼女を傷つけている自覚はある。だが彼女の言葉を受け入れるわけにも、断るわけにもいかなかった。
 勿論彼女のことは好いている。愛している。それこそ自らの国と形容するほどに。だが、彼女の恋人になったとして、決して彼女を幸せにはできない。所詮こちらはサーヴァントなのだ。人類を救ってすべてが終わって、そこでもう終わりの関係だ。彼女が幸せだと言っても、それは夢の中だけでしかない。目が覚めれば俺はいない。そこまで彼女が俺を好いていればの話だが、それでもいっときの夢のために彼女に生涯消えない傷を与えないわけではない。恋人なんて気兼ねしない関係になってしまえば、好き勝手彼女を蹂躙してしまうだろう。心も、身体も。

「…ドクターがね、明日か明後日には次の特異点が見つかるだろうって」

 ぽつり。彼女は目を伏せる。

「みんないるから、大丈夫だとは思う、けど」

 もしかしたら。その言葉は彼女も俺も言わなかった。

「マスター、アンタの気持ちはわかった。俺だってマスターを愛している。だがな、俺じゃ、サーヴァントじゃ恋人になんかなれやしないんだよ」

 酷な宣告だということは重々承知している。彼女の手を取り、跪いて、見上げるようにする。琥珀の瞳がきらきら反射して、今にも涙を零しそうになっていた。

「…今は。今は、の話だ。全部終わって…マスターが普通の女の子に戻れるようになって、それでも俺が好きなら。その時は受肉でもなんでもして添い遂げるぜ。戦時中の誓いなんて縁起でもないがね、これは本心だ」

 そう告げて彼女の指先に口付ければ、ぽたりと頬に生ぬるい雫が落ちてくる。瞬きをしたせいで涙が決壊してしまったのだ。じっと彼女を見つめていると、きょとんとして、眉根を寄せてほんの少し憐れむような何か言いたげな顔をして、それから笑ってみせた。いつものことだった。時折苦しそうな顔をして彼女は笑う。

「…っあ、その、ありがとう、わたし、頑張るから!」


□□□□□


「マスター、愛してる」

 彼女を腕の中に閉じ込め、そう言う。

「ありがとう、ヘクトール。わたしも、愛してる。」

 そう淡々と返した彼女の琥珀は、すっかり濁りきっていた。

 確かに彼女は世界を救った。人類最後のマスターとして魔術王の企てを打ち砕き、未来を取り戻した。だが。

 (彼女はすっかり、死んでしまっているじゃないか。)

 徐々に彼女は死んでいったのだ。それがはっきりしだしたのは、おそらく6つ目の特異点を復元した後だったか。いや、兆候はもっとその前から―それこそ彼女が俺に想いを告げたときからかもしれない。
 彼女の、人間らしい部分が剥落していったのだ。その身体は傷だらけでも彼女の生命活動は健在だ。だが、彼女の心はどうだ。考えてみれば単純なことだった。平々凡々の少女が、目の前で起こる虐殺や人類を背負っているという重圧に耐えきれるはずがなかったのだ。耐えきれないからと逃げられるはずもなく。そうすればもう、心を、人間らしさを殺すしかない。

 そうか、と一人膝を打つ。
 彼女の言った「最後」とは、死んでしまうことじゃなかったのだ。人間でなくなってしまう彼女の、最後の告白だったのだ。どうか初めての感情を、人間でなくなってしまう前に俺に告げようと。

 結局、彼女とは恋人にはなった。愛も囁やけばキスもする、その先も。ただ、それだけだ。歯の浮くようなセリフを並べても、激しく抱こうにも、今みたいに触れ合って愛を囁けど、彼女にはおよそ人間らしさの骨頂たる、感情がもう殆ど残っていない。ゆるく笑えど瞳は濁ったまま。人間らしくない人間だと散々言われていた盾のお嬢ちゃんの方が余程人間だ。

 過去の俺だって、こんな、木偶のような彼女に恋をしたわけじゃなかっただろうに。

 後悔は募るばかり。数多く彼女を絆せば、口を塞げば、快楽に落とせば。少しは以前の彼女が戻って来はしないだろうか。聖女でも女神でもない、人間のアンタが。

「愛してる、愛してるんだ、リツカ。」

 彼女を抱きしめる腕に力を込める。俺を見上げる彼女の頬にぽたりと生ぬるい雫が落ちた。



back
しおりを挟む
TOP



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -