桜問答

「オジサン女の子が地べたに直接座るのはどうかと思うなぁ」
「ヘクトール」
 その声に立ち上がって、スカートに付いた葉っぱを払い落とす。ううん、確かにハンカチか何か敷いてから座ったほうがよかったかも。少しだけ土の湿り気がスカートの方にも移ってしまったらしい。
「ああいや、別に座るなってわけじゃあないんだよ…ホラ、この上に座りな」
 ばさり、と彼は自分がいつも羽織っているマントを地面に敷いた。そうして向かって左側に腰掛けて、隣をとんとん、と叩く。座れということだろう。
「…ごめん、マント汚れちゃうね」
「いいのいいの、オジサンも座りたかったんだし」
 申し訳ない、といつも思う。彼にはなんだかんだでこんな風に甘やかしてもらっている気がする。いや、事実そうだ。魔術の心得もほとんどない小娘がマスターなんかやってしまってるから必然的に迷惑はかけている。これは彼に対してだけじゃないけれど。
「いつも悪いね、ありがとう、ヘクトール」
「はっはぁ、どうってことないさ…まあ今回だけは見返りでも求めるとしようか」
 すす、と彼の右手が私の頬を擦る。籠手をしたままで硬い感触に少しびくりとする。キスの形をした魔力供給を望むなんて言うんだろうか?彼の魔力は十分なはずだが、マスターである私から直接貰うのは素晴らしく美味だと聞いたことがある。もはやそれだと嗜好品に近いけど…まあ彼には頑張ってもらっているし、別にいいか。
「ん…なに?」
「もう暫く休憩するだろう、その間膝枕しちゃくれないか」
 一秒くらい目をぱちくりさせて、それからふっと笑っていいよ、と返した。そんなことでいいの、なんて言わないでおく。
 脚を伸ばして太ももをぺちぺちと叩く。ごろん、と彼はそこに寝転んだ。うん、彼に見上げられるというのは新鮮な体験だ。
「はは、いいねえ最高だ」
「そりゃどうも」
「…ところでマスター、何か考え事してただろ」
 すっと真面目な顔になってかれはそう聞いてきた。さっきまでにこにこしていたのと対比が面白くて微笑みながら彼の髪に指を通す。
「んーん、別に。ただぼーっとしてただけだよ…まあ、見惚れてたって方が近いかもだけど」
 目の前をまたひらりと花びらが落ちていく。ここらは桜が群生していた。といっても大きな公園とかではなく、山の中の少し開けたところ。ちょうど見頃なので遠くから見ればここだけピンクに染まっているはずだ。私はその中の、特に大きな桜の木の根本に座っていたのだった。
「サクラ、だっけか」
「そう。ヘクトールはどう思う?」
「…綺麗だと思うなぁ」
「ふふ、ほかには?」
 自分が言われたわけじゃないのに、まるで自分が言われたように嬉しくなる。桜は好きというわけではないけれど、それでも。とりあえず一つ、彼と感想を共有できたんだ、という満足感もある。
「あー…これじゃあすぐ散るだろうな、とも」
「うん、正解。最初の数輪が咲いて、そこから一週間くらいで満開…ここからはもって一週間かなぁ」
 桜の季節はすぐ過ぎる。満開から一週間もてば上等だ。
「儚いねぇ」
「それがいいんだよ」
 日本人に生まれた時点で刻みつけられた価値観とでも言うのだろうか。見頃の時期が短い花を、ここまで愛でる。散るからこそ美しいなんて言われるこの樹木は少しかわいそうだ。
「極東の一民族の意見だから聞き流していいけど…永くあるよりも、こう、すぐ散ってしまうものの方がいい。儚いものを特に美しいと感じてしまうんだよ。すべてのものは常に移ろい、いつかは消える。だから、」
「美しい、ねぇ」
 彼の手が私の前髪に触れ、いつの間にやらくっついていた花びらを一枚摘みとった。
「オジサンには難しいかなぁ」
「私も説明してて難しかった」
「…マスターも、そうありたいと思うのかい?」
 私…私はどうだろう。儚くあるのは嫌だ。もちろんそのために今頑張っているんだし。でも永遠にありたいか、と問われれば別だ。
「まあいいけどねぇ…西方の一民族は、美しいものには永遠を望むのさ。なぁ、俺のトロイア。」
 また彼の手が私の頬を撫ぜる。今度は籠手をしていない手。少しガサついた感触にゾクリとする。私を見上げる緑の瞳は、どこまでも深い。全くもって安全を象徴するような色なのに、うっすら恐怖を感じるのは気のせいだろうか。
「…あと正直ね、マスターが花びらに連れて行かれそうだ、とも思ったんだよ」
 なるほど、たしかに彼が私に声をかけたのは特に強い風が吹いてすぐのことだった。
「意外とロマンチストなんだね」
「オジサンだってそれくらい言うときだってあるさ。さ、マスター、そろそろ出発しようか」
 よ、と彼は上体を起こして立ち上がった。そうして少し伸びをして、私に手を差し伸べる。素直にその手を掴んで私も立ち上がった。ついでにマントを拾い上げ、ばさばさ振るってから彼の肩に掛ける。留め具はさすがにできなかったのでそこは彼が自分でやった。
「うん、行こう」
 また強い風が吹いた。桜吹雪に攫われそうだと彼は言ったが、その心配は晴れないらしい。私の手を握る彼の手の力がまた少し強くなった。そんなやすやすと消えてしまう私ではないのに。



back
しおりを挟む
TOP



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -