終わり・始まり・堂々巡り


「マスター、もう遅いわよ。それとも誰かを驚かそうとしているのかしら」
カルデアを模して作られたノウム・カルデア。吹雪しか見えないと殺風景だったはずの廊下の大きな窓は、ただ形だけのものとなりガラスの向こうに何が見えるでもない。出窓になったそこへ体操座りをし、顔を伏せる赤毛の少女へアナスタシアはそう声を掛けた。彼女はマスターである。魔術師としては全然だけれど、と前置きはつくものの、アナスタシアは彼女に好意を抱いていた。友人として生前出会えていたらきっと楽しかったでしょうね、と言葉にはしないけれど。
「…アナスタシア」
「ええ、貴女のアナスタシアよ。どうしたのかしら」
「ちょっと、眠りたくないだけ」
顔を伏せたままでマスターは言う。無礼ね、とアナスタシアは軽口を叩くことも忘れどうしたものかと小首を傾げる。彼女がここまで伏せってしまうことはこれまでにあっただろうか。自分が知らなかっただけで毎度毎度彼女はベッドでこうなっていたのかもしれない。推測の域を出ないけれど。
「…眠ったら、明日が来る」
朝も昼も夜もないこの空間に生きる彼女の言葉は、どこか滑稽に思えた。朝日が昇れば明日と定義するのならばここはずっと夜のまま今日のままだし、二十四時になったら明日であると言うのであれば眠らずとも明日は来る。彼女の言は破綻していた。
「来てほしくないの?」
その返しにはじめて、彼女は顔を上げた。消灯後ということで最低限の照明が照らす彼女の顔は、どんな感情なのかアナスタシアにはわからなかった。疲弊のような、安堵のような、悲哀のような、諦念のような。要素要素は言語化できても、それが集まればどうにもわからないのだ。きっと彼女自身にもわかっていないのだろうけれど。
「だって明日が始まったら終わっちゃう。今日が終わらなければ明日は始まらない」
その声に、いつもの生命力は微塵も感じられない。
「早くここへ来る前の生活に戻りたいはずなのに、もう前の生活には戻れないって知ってる。それならずっとこのままここへいたいけど、それも無理だもん」
ペチカの炎に似た瞳が揺れる。
「現状維持を、したいのね」
アナスタシアはそう言うと、背後に仄暗さの中にもはっきりとわかる影を揺らめかせた。マスターはそれでも虚ろな、ただじわじわぱちぱちと爆ぜる暖炉のような瞳をやめない。
「何を」
「科学者さんに聞いたわ。絶対零度というものがあるそうね」
絶対零度。摂氏マイナス二百七十三・一五度のその温度は、理論上の最低温度とされる。古典力学においてその点では、原子は振動を行わずエネルギーが存在しないとされる。
「ヴィイならできるけれど」
慣れ親しんだ頼もしいサーヴァントであるはずなのに、マスターの目にはアナスタシアがあの日カルデアを壊滅させた怪物に映っていた。違う違うと自分へ暗示し続けようやく振り払った幻覚が目前にあった。
「どうするの」
アナスタシアも知っている。絶対零度とはあくまで「理論上」の話で、絶対零度以下の温度は存在するし、そもそも原子が振動をやめることはない。ほとんど虚言に近かった。けれど真っ当に慰めたところでマスターが元気になるとも思えなかったし、どうするか考え倦ねた結果がこれだった。
「…できないこと、わかってるんでしょ」
マスターの言うできないこと、というのは、彼女がその選択をできないこと、だった。進みたくないと言いながらも彼女は足を止めることはないし、酷い言い方をすればもう途中で投げてしまう勇気も摩耗しきっていた。それなのにマスターは微笑んでその言葉を口にした。可哀想に、既に真っ当な慰めでは笑顔さえ作れなかった。
「ええ」
アナスタシアはそう返し、マスターが出窓から降りるのを手伝うように手を差し伸べた。マスターは白く彫刻のように綺麗なその手を取り、こつん、とリノリウムにブーツをぶつける音をさせ飛び降りる。
「そうだったわ、台所の弓兵さんがね、ロイヤルミルクティー?とやらを淹れてくれるそうよ。それを言いに来たの」
「えっ早く言ってよ」
「素晴らしいことは最後にとっておかなきゃつまらないでしょう?」
深夜の廊下に少女の笑い声がくわん、と反響する。王族の血を引いたがために暗殺された少女と、世界の希望になってしまった少女。背負うものをさておいて、この瞬間だけはただの少女になっていたのだった。


※@x_ioroi様の「文字書きの為の言葉パレット 言葉遊び」を使用し書いたものです。
タイトルはそちらからお借りしております。
素敵なお題をありがとうございました!



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