嗚呼、彼女に祝福を!

※終章ネタバレ、現パロ表現



 夢を見ている。

 全力疾走に息が詰まる。身体中痛くて、でも指先は黒く壊死していて感覚がない。むせ返る煙と血の匂いに吐き気がする。そこら中で響く跳弾と剣戟の音。先程転んで切ったのだろうか、それとも唇を噛み締めすぎたのか…いずれにせよ口内は血の味がする。

 そして、敵(かはわからないが、夢の中のわたしは敵だと認識していた)と戦う血だらけの人々―いや、わたしは彼らを知っている。鎧や大袈裟な衣装に身を包んでいるが、彼らは。あの顔は。家族が見える。友人が見える。知り合いが見える。最も近くには、後輩の姿。身の丈に合わないような大きな盾を持って、わたしに敵の攻撃が当たらないよう守ってくれている。皆、わたしの知らない格好でわたしの指示を仰ぎながら戦っているのに、違和感はなかった。むしろ現実で普通の服を着ていることの方がおかしいような気さえした。
 敵の姿はそれぞれ。兵士の形をしているもの。ドラゴンのようなもの。見たことのない怪物。柔和な人々が黒くおぞましい何かに作り替えられた。目玉ばかりの大きな触手(もはや柱と言った方がいいサイズだ)。角の生えた人型。

 そこでいきなりプツリ、とテレビのチャンネルを変えるように場面が切り替わる。
 鹿、いや鹿に似た神獣の角を持った人型が目の前に立ち塞がる。そこに先程まで戦っていた家族や知り合いの姿はなく、わたしと後輩だけ。人型は光線を放つ。防ぎようがないと目を瞑る。どうせ夢だ、目が覚めれば。しかし一向に覚醒には至らない。目を開く。後輩が大きな盾を構えていた。光線は尚も盾に当たり続ける。彼女の悲痛な叫びが聞こえるようだった。やめて、もうやめて。声は出せない。やがて光線は止まる。後輩に縋ろうとする。そこに彼女の姿はなく、盾だけが立っていて、



「――マシュ」

 漸く彼女の名前を呼んだのは、現実のわたしだった。けれどもそれは後輩の名前ではない。Aという人物をBという人だと認識してしまうといった感じだ。まあ夢の中ではよくあることだけど。
 枕元に置いているスマホを確認するが、時刻は夜中の2時。何時間も、いや何日、何ヶ月とその夢を見ていた気がするのに眠ってから数時間も経っていない。

 部屋の電気をつけて自身の身体を確認していく。
 指先に感覚はある。全身が痛いということもない。じっとりと不快な汗をかいているが、すべて正常だ。当然のことなのに何故かとても嬉しいことのように思えた。

 目元を擦る。泣いていたのか、そこは濡れている。目も少し腫れぼったい感じがする。夢に感覚は伴うけれど、さっきみたいに実際に声を出したり泣いたりしていたのは初めてだった。

 はぁ、とため息を零す。
 久しぶりの悪夢だ。けれど今日も学校だし、眠れなくても眠らなければ。シャワーでもすれば少しはすっきりするだろう。




「あれ、パパ」

 シャワーを浴びてすっきりしたので水でも飲もうとキッチンへ行けば、リビングに明かりがついていた。そこには父親の姿がある。

「ん、まだ起きるには早いが」

「…目が覚めちゃって」

 ソファーに腰掛け映画を見ていた父の横に座る。テーブルには缶ビール、つまみとして食べているだろうナッツ類。そのうち一つを摘んで口に放り込んだ。しょっぱさと少しの甘味が染みる。夢の中のはずなのにこびりつくように残っていた血の味が薄れていく。

「…太るぞ」

「パパこそビール禁止じゃなかったの」

「これはビールじゃなくて発泡酒。それにパパ頑張ったからいいの」

「ほんとかなぁ」

 そう笑いながらコップに汲んできた水を飲む。しっかり冷えたそれは喉を通っていくのがよくわかり心地よい。口の中の血の味はもうしなくなっている。
 テレビに映るのは洋画の俳優。内容的にB級コメディといったところか。深夜にだらだらと見るには丁度いい内容だ。

「そうだ、パパはさ、ヘクトール?って知ってる?人の名前だと思うんだけど」

 暫く一緒に映画を見て、CMに入ったので父にそう聞いた。録画したか借りてきたかだと思っていた映画はリアルタイムで放送しているものだったようだ。
 先程の夢の中での話だ。敵と戦う味方の一人に父がいた。緑の服に赤だったか黒だったかマントを羽織って剣の柄を伸ばしたような武器で敵を薙いでいた。そんな父を、わたしは”ヘクトール”と呼称していたのだ。わたしの父はそんな名前ではないはずなのに。

「パパ?」

 返事がないので父の顔を見ると、こちらを驚いたような顔で見ていた。なんだろう、わたし、そんなに変なこと言ったのかな。

「ああいや、リツカがよくそんな高尚な名前を知ってるもんだと驚いてなぁ」

 首を傾げる。これは馬鹿にされてるんだろうか、それとも本当にとんでもない人の名前だったんだろうか。

「古代ギリシャの吟遊詩人にホメロスってのがいてな、そいつのイリアスって叙事詩に出てくる奴の名前だよ。多分図書館に本があるんじゃないか…ってホメロスも叙事詩もピンと来てないだろ」

「うん…初めて聞いた…」

 多分これは馬鹿にされてない…はず。本なら、後輩が読書家だから知ってるかも。うん、暇があったら聞いてみよう。

「で、その名前どこで聞いたんだ?」

「んー…夢の中で出てきたっていうか、わたし夢でパパのことヘクトールって呼んでて。というかその夢が最悪で今起きてきてるんだけど」

「そうか…その夢、どんな夢だった?」

 いつもおちゃらけた父が真面目な顔をしていてぎょっとする。そんなわたしの様子を見て、父はまたすぐにいつも通りへらっと笑って「いやぁ悪い夢なら言っちまった方がいいと思ってな」と続けた。確かにそういうの聞いたことあるかも。それなら全部話してしまおう。怪物のこと。家族やら親友やらがそれらと闘っていたこと。後輩のこと。

「…そりゃ散々な夢だったな」

 まるで父も同じ夢を見たみたいに、顔をしかめる。苦虫を噛み潰したような、とでも言えばいいのか。

「でしょ?しかも感覚があるから本当にリアルで。銃弾の音なんて聞いたこともないのに再現されるし」

 ぐちぐちと文句を言うけれど、父に話したことでちょっとは楽になったようだ。落ち着いたのか不意に眠気が襲ってきて欠伸をひとつ。

「さ、明日…って今日だな。学校だろう、早く寝なさい。歯磨きも忘れんなよ」

「ん…わかったぁ…おやすみなさい」

「はいおやすみ」






 帰りのホームルームが終わり、ばらばらと皆教室を出て行く。部活に急ぐ者、自習室へ向かう者、そして帰りに遊んで帰ろうと喋っている者。帰りに遊ぶという彼女たちとはそれなりに交流はあるので誘われたが、あいにくそんな気分ではない。ごめん、また今度。そう言えば彼女たちはちょっと残念がったけれどすぐにどこどこのカフェのケーキが美味しいとかいう話を始めていた。女子高生ってそんなものだ。

 今日一日、いつもより随分と疲れたのだ。全てあの悪夢のせい。
 1時間目の数学で先生に目をつけられてかなり当てられた。ぼーっとしてたわたしも悪いんだけど、その先生も夢に出てきていたのだから仕方がない。青いちょうちょを纏っているようなマントを着て白い棺桶?みたいなのを振り回していたっけ。おかしいなぁ、腰が痛いとか言ってあんなの持てないだろうに、なんて考えていたら数度呼ばれていたのに気づかず…といった具合。
 先生だけじゃない。クラスメイトや先輩、後輩も。売店で出くわした部活の先輩は弓を武器としていたし、クラスのおとなしめの男子は真っ黒なコートに身を包んで先の尖っていない長方形の平たい剣?を武器にしていた。極めつけはクラスの委員長。彼女はUFOを召喚していた。ううむ、オカルトな話に興味があるようには思えない子なんだけどなぁ。
 もちろん読書家の後輩も例に漏れない。けれど彼女と話すと泣き出してしまいそうだったのでわざと会わないように行動した。イリアスについてはまた今度聞こう。

「あ」

 スマホにメールの通知が来ている。差出人は…ああ、行きつけのカフェの店主さん。父と店主さんは仲がいいようで、小さい頃に父と一緒に行った店の雰囲気をすっかり気に入ってしまって、今でもときどき顔を出しているのだ。メアド交換してるのはパパには内緒。
 メールの内容は、「良い豆が手に入ったから是非来るといい」という簡素なもの。ひっそりして居心地のいいあのカフェは好きだ。ついでに店主さんにいろいろ聞いてもらおう。




「―っていうわけなんですよ…散々じゃないですか?」

 店主さんがコーヒーを淹れてくれている間に、今日のいろいろをただぐだぐだと語る。悪夢に出てきた人が知り合いばっかりでとても疲れたと。彼は頷きもせず作業をしているが、ただそれだけで親身になって聞いてくれている気がした。

「…悪夢は早く忘れるに限る。夢は偶然の産物だが虚無と現実の区別がつかないことは罪深いぞ」

 コトリ。ソーサーに乗った可愛らしいカップが目の前に置かれる。いい香りだ。
 いただきます、と店主さんに言って一口啜る。以外だと思われるけどコーヒーはブラック派だ。

「あ…美味しい…さすがですね」

 それも当然だ。店主さんはものを見る目があるのだと父も言っていた。コーヒー豆はもちろん、カフェの内装、食器、ゆったり流れる音楽に至るまで全て彼がセレクトしたもので、どれもこれも一級品なのだと平凡なわたしでもわかる。

 そういえば。
 彼も夢に出てきていたっけ。くすんだ緑色のスーツ(みたいなもの)を着て、同じ色の外套と帽子、それにバチバチと黒い電気のようなものを身に纏っていた。確か、わたしは彼を、

「…エドモン」

 ぼそり、口から転がり落ちた声は、静かな店内にこだまする。

「その名を何処で」

「え?」

「その名を何処で聞いたのかと聞いている」

 気難しそうだけど優しい彼からは想像もつかない声にゾクリとする。深夜父と話したときみたいにまた変なことでも言ってしまったんだろうか。

 カウンターの向こう側からこちらへ来た彼は、私の肩を掴む。赤い瞳が炎のように揺れていた。

「ゆ、夢、で、店主さんが出てきて、わたしはあなたをそう呼んで、大きな目玉の化物に、立ち向かうように、と…」

 そう言いはしたものの、金色の彼の目に見透かされるようで怖くなる。瞳の中の十字がわたしを捉えて、?先程まで彼の瞳は赤色ではなかっただろうか。そうだ。白い髪に赤い瞳、不健康なまでに白い肌と、彼はアルビノだったはずだ。なのに、どうして、

 ぶわ、と頭の奥から膨大な情報が溢れてくる。件の悪夢の内容、見たことのない施設、雪山、大きな地球儀、それから―

「あ………わたし…まだ、戦わなく、ちゃ」

 わからない。わからないけれど、わたしがいるべき場所はここではない。わたしのすべきことが他にある。わたしにしかできないことがあったはずだ。それなのに、どうして、

「リツカ!」

 ブツン、と眠りから覚醒するように我に返る。

「あ…店主さん、わたし、」

「大丈夫、大丈夫だ、リツカ。少し悪い夢を見ただけだ。お前はお前だ。そうだろう、リツカ」

 その声を聞いて、先程まで流れ込んでいた膨大な情報は途絶え、見えかけていたものも靄がかかったように見えなくなる。
 そして気づけば彼の腕の中にいた。ゆっくりと背中を擦る彼はわたしを落ち着かせようとしてくれているのだろう。しかし彼のほうが焦っているように思えた。伝わってくる彼の拍動、横髪を揺らす呼吸。まるでわたしがパンドラの匣を開けようとしていたような慌てぶりだな、とどこか他人事のように感じた。

「…あの、」

「気にするな。しかし…今日のことは公言してくれるな。夢のことも忘れろ。いいな」

「…はい」

 そう言って彼は2、3回わたしの髪を梳くようにして頭を撫で、一際強く抱きしめた。
 彼の瞳は、赤いままだった。



□□□□□



「先輩の、マスターの命が危険だと」

「どうにか匿わなくちゃね」

「情報操作は職員がやるんだろ?マスターが不慮の事故で死んだことにすりゃあいい」

「それだけでは足るまい、職員の記憶もそう書き換えるべきだな」

「マスターの記憶も消すべきだと思うがね」

「血腥い記憶を持っていては普通の生活は送れない」

「キャスター達、可能かい」

「なに、この人数なら造作もないわ」

「シールダー、お前の記憶も消すことになるが」

「構いません、先輩のためですから」

「その後はどうする」

「家族のもとに返すわけにもいくまい、危険が及ぶだろう」

「ええい、そいつらの記憶も改竄だ」

「では我々が家族となりましょうぞ」

「設定は任せておけ」

「最高の舞台に仕上げましょう」

「聖杯はいくつ余っている、希望する奴が受肉すればいい」

「その必要はないよ、魔力の探知ができない細工を施すからね」

「天才の名は伊達じゃないな」

「それでは、役割を決めていきましょうか」



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