牛乳程度の話でもなし

※オケアノスのキャスター、エルドラドのバーサーカーの真名バレあり

「あー……」
 温泉って良いものだなあ、とリツカはしみじみ思う。一応二十年も生きてない女子だってのにこんな声まで出させるのだから恐ろしくもある。
 さて。温泉と言っても別に慰安旅行ではない。その傍にそびえる塔は、酒呑童子が作り上げた百重塔。それを踏破するには疲労とも取れる「酔い」を覚まさねばならず、一階ごとにサーヴァント達は温泉に入り回復しているのだった。
「おや、マスターじゃないか」
 すっかりくつろいでいる(骨抜きになっている、と表現したほうが良いかもしれない)リツカにそう声を掛けたのはキルケーだった。
「あ…ごめん、邪魔だったかな」
 そうリツカが言ったのには訳がある。この温泉は基本的に戦ってくれているサーヴァントのためのもの。それでもやはり温泉の魅力には抗えずちょっと使わせてもらおうと利用者の少ないこの夜中を選んだのだった。
「ああいや、お構いなく。寧ろ温泉に入らないマスターを皆で心配してたところさ」
 再臨状態を弄ったのか、キルケーのさらりとした桜色の髪は短く顎のラインで揃えられていた。すべすべとした白い肌が目に眩しく、同性だというのにリツカは少しどきりとしてしまう。
「まあそれに。ちょーっと話したいこともあるし。一緒に浸かろうじゃないか」
 リツカは首を傾げた。―話したいこと。何だろう?以前聞いて続きは今度!と打ち切られたキュケオーンについてだろうか?それとも…ああ、身体の傷のことだろうか?―
「単刀直入に言うぞ?きみ、アキレウスと恋仲なんだってねぇ」
 パシャン。あまりの単刀直入ぶりにリツカは思わずずるりと体勢を崩し、水面を叩いた。音は湯けむりの中にやけに響き、そしてリツカは以外な手のひらの痛さにっつぅ…と顔をしかめた。
「あ、あぁ…うん…そう…です…」
 照れ隠しのようになってしまった一連の行動を恥ずかしく思いながら、リツカはそう返答した。キルケーの質問に対する答えは是であるが、それでも「そのとおりだけど?」と言い張れるような自信はリツカにはどこにもなかったのだ。
「そうか…」
 そんなリツカとは正反対に、キルケーは苦虫を噛み潰したような顔をしている。そうして暫くあー、その、などと意味のない言葉を繰り返し、そして口を開いた。
「…なぁマスター。悪いことは言わない。薬だって作ってどうにかできる。だから、」
 彼との恋愛は終わりにしないか。
 キルケーはそう続くはずだった言葉を飲み込んだ。相対するマスターが、きょとんとするでなく、悲しそうな顔をするでなく、あまりにも儚げな笑みを浮かべていたからだ。
「マスター、」
「…ごめん。なんだか、心配してもらっているのが嬉しくて」
 たははー、とまるで転んでしまったことを笑って済ますような雰囲気でリツカはそう言う。対してキルケーの顔は絶望でもしたかのような表情だった。
「きみ、まさか、」
「あぁいや、知ってるよ。呪いのことでしょう」
「知ってるならどうして、!」
 呪い。「彼の槍はいつかアキレウスの愛しく思った相手を穿つ」という呪い。ペンテシレイアが呪ったものだった。キルケーはリツカの両肩を掴んで声を張り上げた。どぶんと大きな水音もして、そうしてまたゆったりとした水面へと戻っていく。
「…悲しい話をするね」
 男湯と女湯で区切ってもなお広い浴場で、ぽつりとリツカは切り出した。
「別れの話。わたしの役目が終わったときの話」
「…きみは一般人だったっけ。家に帰されるんだろう?」
 先程の取り乱しは大人気なかったか、と少し静かな声でキルケーは返答した。
「…多分、そうはならないと思ってる。だって、本来魔術師しか触れてはいけないことばかり経験してきたし、タブーを犯してばっかりだった。記憶を消されるだろうと思ってたけれど、完璧に記憶を消すことなんて不可能だ。そりゃあ貴女だったらできるだろうけれど。じゃあ、もう、殺すしかないでしょう」
 それに正直魔術師的な感覚でいけばわたしなんて邪魔者だもの。ハハ、と乾いた笑いをして、リツカは他人事のように言ってみせた。
「きみは、殺されるために彼を好きになった、彼に愛されてるっていうのか?」
 リツカのそんな様子に若干の怒りを覚え、キルケーはそうぶっきらぼうな返答をした。別にそうは思っていない。だけれども、この楽観的に悲観的なマスターに腹が立ったし、何より、自分が大切に思っている人を、そんな風に言わないでほしいという思いが強かったのだ。
「言い方が悪かったね、そんなわけないよ…勿論、彼のことは好きだ。愛なんてよくわかんないけれど、きっと本物だと思う。でも、こんな不遜な感情、墓場まで持っていかなきゃならなかったんだ」
 そこで初めて、リツカは悲しげな顔をした。
 リツカがアキレウスへ好意を吐露したのは、カルデアの誰かが悪戯に彼女に仕込んだ薬のせいだった。毒物の類は効果のないリツカであったが、魔術的な要素も絡んでいたのだろう、自らの気持ちを包み隠さず吐き出す薬―所謂「正直薬」が見事に作用し、丁度ライダー仲間と盃を交わしており真っ当な判断もできないでいた彼に直接、愛の告白なんてものをすることになってしまったのだ。アキレウスもアキレウスで、酒の勢いもあり彼女と一夜を共にし、何度かそんなことが続き―そうして気付けばすっかりリツカに入れ込んでしまっていた、という状態だった。偶然に偶然が重なった、不幸で幸せな事故だったのである。
「…まあ、だから、うん。どうせ近々死んでしまうんですから、できれば、彼に。もしこんな関係になっていなくても、きっとわたしは彼にお願いしてた。こんな我儘で、不埒で、彼には申し訳ないと思ってる。だって、彼の純粋な感情を利用して、自分の幸福のためだけに使って、彼がどんな不幸を被るかも考えずに。こんなの、愛し合ってる仲でなくともしちゃいけないことだ。何度生まれ変わったその先でも許されちゃいけないってことはわかってるんです。」
 ぴちゃん。背にしている岩から雫が滴る。
「…キルケー、もう上がろう。肌が真っ赤になってるし、のぼせちゃう」
「きみは、…いや、なんでもないや。うん、上がろうか」
 キルケーは何か言いかけて、止めてしまった。リツカも追求はしなかった。
「牛乳おごるからさ、今日のことは、内緒で」
 ざばざばと湯をかき分け進んでいく中、リツカはそう伝えた。にこり、とそんな笑顔で言われてしまえば、キルケーもその提案を飲むしかなかった。




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