「倉持くん」

階段を登り教室へと向かっている途中に小走りに上から階段を下る名前ちゃんとすれ違い、彼女独特の心地良いソプラノで名を呼ばれ足を止める。

「久しぶりだね」
「久しぶり。急いでんの?」
「うん。ちょっと職員室に呼ばれちゃって」
「用事があんなら仕方ねーけどさ、階段走って降りてたら危ねーから」

気を付けろよ、と言おうとした瞬間、階段の真ん中隅に寄り、足を止め話していた俺たちの横を男子生徒が勢いよく走りながら階段を駆け降り、男子生徒の肩が名前ちゃんにぶつかり、その衝撃で名前ちゃんがぐらりとよろける。

「危ない!」

とっさに手を伸ばし、名前ちゃんの腕を掴んで引き寄せる。

「おい!もう少しで下まで落ちるとこだったじゃねーか!気を付けろよ」

怒鳴る様な声を出してしまい、それに驚き肩を大きく上下に揺らして顔を青くした男子生徒はぺこりと頭を下げ去っていった。

「ありがとう」

引き寄せて俺にしがみついていた名前ちゃんの薄い身体が離れる。

「倉持くんが助けてくれなかったら下まで転げ落ちちゃってたね」

本当にありがとう、と再度名前ちゃんは感謝の言葉を述べてゆっくりと瞬き、黒々とした長い睫毛を揺らす。

抱き寄せた肩が余りにも細く、骨々しくて

「ちゃんと食べてんの?」

思ったことが率直に口から溢れ出てしまった。

「…ちゃんと食べてるよ」

急にどうしちゃったの、と名前ちゃんは冗談交じりに笑い、目を泳がせたのを見逃したりはしない。

「本当に?」
「うん」
「じゃあさ、何で俺と目あわせてちゃんと食べてるってハッキリ言えないんだよ」

真っ直ぐに名前ちゃんの目を見詰め、視線を逸らすことのしない俺から距離をとる様に、名前ちゃんは後ろに半歩退がる。

「御幸が心配してるぞ」
「…私、職員室に行かなきゃ」

ごめんね、と俺に背を向け階段を降りようとする名前ちゃんの手首を掴んで引き寄せる。

「そうやって、誤魔化して、逃げんのかよ」
「いやっ、はなして」
「逃げんじゃねえーよ」
「やめてよ、はなして!」

悲鳴に似た声を上げ、手首を掴んでいた手を勢いよく振りほどかれる。

「御幸がさ、名前ちゃんが早く俺の言葉を信じてくれるようになって欲しいって言ってたぞ。御幸の言葉、まだ信じてあげれねーの?」
「…私だって、一也を信じたいよ!」

両眼に溢れていまにも頬を滴り落ちそうな涙を、名前ちゃんは唇を固く一つに結びそれを堪える。

他人の色恋沙汰に土足で踏み込み、柄にも無く熱くなり、彼女に対し強く言い過ぎて安易に傷をえぐりすぎたかもない。

けれど最近の御幸は部活中や試合中、部員たちの前ではそれを決して出す事もなく毅然とした態度といつもの胡散臭い笑顔を断固として貼り付けて体裁を取り繕っているのだが、ふとした時にみせる何かに思い悩んでいる様な憂いを含んだ表情がもやもやと胸に引っかかっていた。御幸が何を考え、思い悩んでいるかわからない。それは俺にも名前ちゃんもわからない。御幸にしかわからないことだ。他の部員に聞こえない程度の声色で名前ちゃんと何かあったのか、と聞くと何もねーけど急にどうしたんだよとやはり胡散臭い貼り付けた表情のままに聞き返されてしまった。

「倉持」

後ろから名前を呼ばれ振り返ると階段の下から御幸がこちらを見つめていて、ゆっくりと階段を一段づつ登り名前ちゃんの横に並ぶと、俯いたその小さな頭を優しく撫でた。

「悪い。余計なお世話だって分かってんだけどさ、言い過ぎちまった」

悪かった、と再度二人に向け頭を下げて謝ると俯いたまま名前ちゃんは首を横に振り

「倉持君は悪くないよ」

私こそごめんなさい、と謝った。

「はい!じゃあ、これで仲直り」

ね?と御幸は口角を上げにっと笑い、俯いたままの名前ちゃんに保健室まで行ける?と呟き、それに小さく頷いた名前ちゃんの手首を握り御幸は踵を翻した。

「倉持、ありがとうな」

こちらを振り返り、律儀にお礼を言った御幸は名前ちゃんの手を引いたまま階段を下り、二人の姿は曲がり角に消えていってしまった。


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