数時間前、彼ととても些細な喧嘩をした。その流れで、ぼくはふと彼のことを傷をつけてやりたいと思った。
「こんな非生産的な関係、とっととやめてしまえばいいんだ」
ささくれだった苛立ちに任せて放った言葉は、ぼくたちの関係に支障をきたしかねないような重大なものだったので、言った後自分でびっくりしてしまった。卑怯なやり方であったことは認めるが、いつでもまっすぐに、ぼくに愛情を与え続ける彼の表情を翳らせたことに幾許の快感が押し寄せたのは事実だ。

コンビニの袋をぶらさげてぼんやりと歩く。もはや何に腹を立ていらだっていたのさえ忘れ始めている。あの大きな手を思い出す。全て見透かしてるような緑の目とか、広い肩とか。もはや何もかもがばかばかしくなっていた。ただ会いたいと思った。

(きみみたいにはいられないんだ)
(惚れた弱みってやつ)

アパートに続く階段で鼻腔に届くマリン系の香水の香り。
ぼくはその香りを、誰よりも知っていた。それはすっかり嗅ぎ慣れた承太郎の匂いだった。足を止めて息を吸い込んだ。夜の冷たい空気に混じったそれは、ぼくの心臓を甘くしめつける。初めての情事のときのことを思い出した。いつもの余裕しゃくしゃくの態度とは裏腹に、いっぱいいっぱいになった彼の必死そうな声がぼくを呼んでいた。眩暈がして、幸福が体中を駆け巡ってどうにかなりそうだった。意識が飛んでしまわないようぎゅっとしがみついた首筋からは、この匂いがしていた。

(ああ、そういうこと)

ぼくの中のつじつまが合った。
ぼくは、あの時の彼が欲しい。



「そうしていると捨て犬のようだな」

予想通りそこにいた承太郎に声をかける。ドアに背を向け座り込む様子は、まるで従順に飼い主を待ち続ける大型犬。呆れと面白いものが見れたというお得感が半分ずつ入り混じった気持ちで承太郎を見下ろした。声に気づいてこちらを向いた彼には途方にくれた様子なんて一つもなくて、ただ自分の信念のもとに待っていたんだという様子が伺えた。寒空の中待つよりもスタープラチナでドアを壊して中に入ったほうが楽だったろうに。ぼくがゲーム屋やコンビニをはしごしていたこの数時間、彼はずっとそうしていたのだろうか。呼び鈴に応答しないぼくの居留守を疑わなかったのだろうか。ぼくには不可解なことばかりだったが、彼への愛おしさが体中を駆け巡っているのを感じていた。そして、そんな彼の強さには一生かなわないんだろうと途方にくれた。


「花京院、おれはお前が何に腹を立てているのかよく分からない」
「ぼくもすっかり忘れてしまったよ」
「そうか」
「うん」


大型犬は立ち上がって、ぼくの手の甲に小さく口付けを落とし、ぼくを体ごと強く抱き寄せた。
困らせてごめんなさい。大人気なくてごめんなさい。わがまま言ってごめんなさい。誰よりも何よりも愛しているんです。ぼくは目の前の首筋に噛み付いた。

「承太郎、ぼくはきみの足枷でいたいんだ」

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