ひたすら越前くん! | ナノ


「なんで正座してんの」

越前くんが帰ってくるまでに、女将さんたちが食事の支度をしに部屋にやってきた。女将さんたちがてきぱきとお膳を運んで、豪華な料理を並べてくださった。今晩の料理はすき焼きだった。越前くんと向い合わせになって食べるのはとても緊張したけど、口にしたお肉は今まで食べたことのないくらいおいしく感じた

ところが問題はここからだ。食事をおいしくいただいたのはいいものの、女将さんたちはせっせと寝床の準備を行い始めた。越前くんはその間、旅館の温泉へ行ってくると私をひとり残して出て行ってしまった。あたしもお風呂に誘われてんだけど、もう温泉には入ったからいいと言ったら、越前くんに妙な顔をされてあっそう、と襖を閉められてしまう

越前くんが帰ってくるころにはすでに完璧な寝床ができてしまっていた。しかもとんでもないことに綺麗に二つの布団が一つの状態になっていた。私はその布団の外側から正座をして虚ろに眺めていた

「い、いや…………その…………」
「ふあぁ、俺眠いから、もう寝るよ」
「えっ……!?あ、はい……」

浴衣姿の越前くんは早々に並べられた布団の窓側に入り、あたしの顔から背を向けて眠る体勢に入った。電気消してと頼む越前くんに、あたしは仕方なく電気を消して仕方なく布団にもぐりこんだ

「………………」
「………………」

まさかこのまま本当に寝てしまうのか。いや、警戒していたあたしにとっては好都合だけど、えっと…まだ10時なんですが。バスと温泉で疲れちゃったのかな…。とりあえずそっと寝かせておこうと思い、あたしは越前くんと背中を向い合せにする形に眠ることにした

「ねえ」
「えっ…!」

びっくりした。眠ったかと思った越前くんがいきなり喋りだした。あたしは越前くんのほうへ振り返った。越前くんはあたしに背中を向けたままだ

「……………俺のこと、苦手?」
「えっ……」

背中を向けたまま喋る越前くんの声は、いつもの意志のはっきりした声ではなく、どことなく自信がないような声だった

「……どうなの?」
「…………最初は、苦手…かなって思ってた……」
「最初は?」
「うん……。でも今日、一緒にいて、越前くんのいろんな一面が見れて、苦手なんて思わなくなったよ」
「………………」

とくに、バスの中から温泉を目の前にした越前くんの顔は、今までに見たことがないくらい瞳をきらきらと輝かせていた。あのときの越前くんはとても可愛くて、欲しがってたおもちゃを手に入れたときの子どものようだった

「ただ、男の子と二人きりで泊まるなんてことしたことないから、いろいろと戸惑っちゃって…。緊張はしてる…かな」
「……………そう」

会話は、ここで間を置いた。静けさを取り戻した空間にはそよ風が木の葉を揺らす音や、音は小さいがどこからか宴のたのしげな笑い声が聞こえてくる

「じゃあ、俺の事、好き?」
「………………え?」

すると越前くんは、くるりと体勢を変えてあたしと向かい合う形になった。あたしは恥ずかしくなって越前くんから顔をそむけようとしたが、越前くんに肩をつかまれて無理やり向き合う形になってしまう

「逃げないで」

越前くんのまっすぐな瞳に捕らわれてしまい、あたしは目をそらすこともできなくなってしまった。これはもはや越前くんという名の金縛りなのだろうか

「俺は、あんたのこと、好きだよ」
「…っえ…!!?」

あまりの衝撃の出来事にあたしはとっさに手を口に当てて声を押し殺した。越前くんが……あたしを好き……?そんなばかなことが…あるのだろうか。え、どうして…?あたしと越前くんは何一つ接点もなく、話さえあまり交わしたことがないのに

「い……いつから…?」
「………………わかんない」
「え…」
「気が付いたら目が追ってた」

越前くんはあたしから目をそらすことなくじっと見つめる。あたしはその視線に当てられてか、徐々に体が熱を帯び始めてしまって呼吸も不安定だ

「そ、そんなこと……」
「信じられない?」
「……あっ」

薄暗いくらいの闇の中で越前くんの顔はあまり見えないが、突如その暗闇が深くなった。と思ったら、いつのまにかあたしは越前くんの腕の中にいた

「えっ、越前く……!!」
「ねえ、聞こえる?俺の心臓の音」

頭を越前くんの胸に押し当てられ、耳を当てているわけでもないのに、心臓の高鳴る音はあたしの耳に真っ先に届いた。その音はきちんとリズムを刻んではいるものの、通常より小刻みに収縮している

「……………わかる?結構、どきどきしてんだよね…」
「っ……!!」
「これでわかった?俺の気持ち」

そのまま越前くんの腕に囲まれてしまい、逃げられないかたちになる。越前くんからは温泉特有のボディソープの匂いがした。柑橘系の匂いだ。お風呂あがりの越前くんに温められているせいか、それともあたしが越前くんに抱きしめられているせいで顔が熱いのかよく分からなくなってきた

「……ごめん」
「え………」
「俺、強引だから…あんたの気持ちも無視して、こんなことして」
「………」
「でも俺、本気だから…」

越前くんの抱きしめる力が強くなって、一層体温があたしの体に伝わってくる。そして、急に離れたかと思えば、越前くんの顔が間近にあって、目の前には越前くんの唇が…。大きな瞳を閉じた越前くんにつられて、あたしも自然に瞳を閉じる

「目を閉じるってことは、いいってことだよね?」
「……………ん……」

あたしが答えることもなく、越前くんは自分の唇をあたしのに交えて、強く、口づけをした

「っ……はぁっ……」

長く続いた口づけのあと、息苦しくなって唇が離れた瞬間吐息を漏らした。ぼんやりと見えるのは越前くんの微笑んだ表情

「その顔……そそるね」

越前くんは口角を上げた直後、二度目の口づけを交わした。そしてその最中、体勢は移動し、天井を見上げる位置に越前くんの顔が映った。自然と心臓は高鳴り、呼吸も荒くなってしまう

「好きだよ……」

それは今までに見たことのないような、越前くんの優しい顔だった

2011/10/08