涙の数だけ抱きしめる

夫は、いつだってその病躯を削るように戦さ場に立つ。

戦の後は、いつだって帰って来るなり顔も見せずに倒れるようにして深く眠る。

顔を見せる余裕もないほど疲弊しきっている、と解釈してはいるけれど、本当はこの妻の顔を無理をしてまで見たいと思わないだけかもしれない。が、夫が妻である私に向ける感情が如何程のものであるか、そんなことはどうでもいい。私は夫に今日も命あることが喜ばしくてならない。

夫が眠る部屋に行くと、敷かれた布団の上に倒れこむ姿が目に入った。その傍らには輿が落ちている。

女中や小姓たちに輿の手入れを指示し運び出させ、戦さ場の泥に塗れた夫――吉継様の着物と包帯を薬師と共に剥いだ。

戦の後の夫の眠りは深い。何をしても起きた試しはない。

薬師と共に体を拭き、薬を塗って新しい包帯を巻いた。此度の戦で負った傷は見受けられなくて安心した。

しっかりと布団に眠らせ、部屋に戻ると、いつものことなのだけど、涙が溢れてきた。嗚咽を漏らしながら自分の体を支えるように抱いて泣く。

安堵の涙が顔中をめちゃくちゃにしてしまう。

今は吉継様のご無事を喜ぶ涙だけれど、夫が戦さ場にいるうちは、不安と恐怖で満たされた心から溢れるように涙が流れて顔だけでなく心までもがめちゃくちゃになる。

はやく、はやく無事に戻って、と自分の体をきつく抱きしめ狂いそうな心を縛り付ける。

私には、吉継様しかいないのだ。吉継様がどんな考えでろくな身分もない私を娶ったのかは知らないが、たとえそこに微塵の情すらなかったとしても、私は吉継様さえいれば。

涙が現実から輪郭を奪い、足場を失いつつある意識を夢へと引き摺り込む。いちばん深いところへ、そして、浅いところへ。深いところ、浅いところ、深いところ、浅いところ…………

そうして夜が更け、空が明るくなった頃。
いつものように眠りから覚め、目を開くとそこに夫の顔があった。

いつもなら、まだ夫は泥のように眠っているはずの時間だ。まだ夢の中なのかと目を瞬かせていると、

「なんという面よ」

と吉継様の抑揚のない言葉が降ってきた。

「生まれつきです」

「そういう話ではない」

「ですよね。……赤いですか?」

「泣いておったのか」

夫のその問いに、「さあ」と答えにならない言葉を返しながら身体を起こした。

「顔を洗って参ります」

「待ちやれ」

「? なんでしょ……か……?あの……え?」

吉継様は立ち上がろうとした私の腕を強引に引っ張り、私は夫に倒れこむようにして抱きとめられてしまった。これは、どういう状況なのだろうか。

「何故、泣く。何がぬしを泣かせる」

なぜ吉継様は私にこんなことを尋ねるのだろう。そして、正直に答えるべきか悩む。が、

「……われか?」

と聞かれてしまうと考えるより先に首がコクリと正直に白状してしまった。

「左様か、われか」

「いえ、あの」

「われが嫌か、名前」

「……? なぜそうなるのです?」

「ぬしの意思に構わずこんな病躯の元へ引き摺り込んだゆえ。恨み泣きであろ?」

「ぷっ……ふふふ」

堪えきれず笑ってしまった。あまりにも的外れなことを言うものだから。吉継様は怪訝そうに私を見ていた。

「いえ、ふふふ……ふふ、寧ろ逆です吉継様。なにをお考えになって私のようなものを妻としたのか知りませんし、今更どうでも良いことですが、私は貴方様がいなくなってしまうのが怖いのです。ですから、吉継様が戦さ場に出ている間などは……」

「案ずることはない。われが死んでもぬしの当面の生活は考えてあるぞ」

「ふふふふ……っいやだ、そんなのどうでもいいですよ……私なんて、どうでも……っ」

死ぬだなんて、死ぬだなんて、死ぬだなんて!!一気に頭に血が上り、体に留めておけないくらいに膨れ上がった感情がそのまま目から零れ落ちる。

「や、やれ、名前や、やれ」

狼狽えた様子の夫の姿は涙で滲んでよく見えない。

「貴方のそばにいられれば他はどうでもいいのです!!貴方が、吉継様が、ご無事でおられれば、私など!!」

「落ち着け、名前。ぬしがそんなことを思っているとは微塵も考えなんだ」

先程まで少しだけ声にあった茶化すような色は失せていた。
吉継様は泣き続ける私を引き寄せて優しく抱き締めると、あやすようにに背中をぽんぽん、と叩いた。

余計に涙が溢れた。

「……。妻がいた方がなにかと面倒がないと思うてな。こんな醜い病躯の元へ来て文句も言わぬ女が良かった。ゆえにぬしのような者を選んだ。

今は特に、ぬしに、ぬしがわれに向けるほどの感情はない。ホントウを言うと、ぬしは少し、面倒よ」

「……離縁なさるなら、せめて下女として置いて下さいませんか」

「待て、マテ。そう逸るでない」

吉継様からヒッヒッと声が漏れている。何故だかはわからないけれど、笑っているようだ。

「そんな面倒なぬしに興味を持った。それに、ぬしにはもう少しわれを信用させねばならぬようだ。……ヒヒッ、シンヨウ、とは、ヒヒッヒヒヒヒ」

「吉継様?」

何がおかしいのか、自分で言った信用という単語に反応して笑い続けている。信用。

「あの、吉継様。私は吉継様のこと信用していないわけでは……」

「では、なぜ泣く」

「それは、吉継様に戦さ場で何かあったらと思うと怖くて」

「ハァ、そんなに頼りなく見えやるか。こんな体でも、われは斯様に弱くはないし、為すべきことを為すまでは死ぬるはずもなし。当面の心配は杞憂よキユウ」

為すべきこととはなんだろう。とは思ったものの、どうでもいいかと思い直して頷く。吉継様がこう言っているのだ。私の夫は強い。そう心から信じることができればこの不安や恐怖が安らぐかもしれない。

吉継様の胸元に置いた手に力を込めると、吉継様は応えるように私の体を抱きしめてくれた。心があたたかいものに満たされ、満たされ。溢れて零れた。