洗い立ての衣類を抱えて縁側を歩いていた名前は、ふと、先程はなかったはずの草履が庭先に転がっているのを見つけた。自分のものよりも小さいそれは随分と履き古されている。
草履の置かれた場所の、ちょうど前の襖は僅かに開いていて、隙間から覗きこめば見覚えのある頭が見えた。こちらに背を向けて畳の上に横になっている。


「マダラ?来てたの?」


畳に転がる少年の名を呼べば、僅かに身じろぎしたのみで振り返ることも返事をすることもなかった。名前は暫しその後ろ姿を見つめた後、小さくため息を零す。
自分より幼いとは言えこの少年が存外頑固なことを彼女は知っていた。ふてくされたようなその態度に暫くは無理かと諦めて、さっさと自分の仕事へ戻る。

ここ数日続いた雨が嘘のように晴れている。からりと昇った太陽は心地よい温度を届けていた。桶から皺の寄った衣類を出しては伸ばし、一つずつ干していく。名前は干し終えた後の、衣服が風に靡く姿を見るのが好きで、すなわちこの作業が嫌いではない。無言のまま没頭し続け、一息ついたところで視線を感じて振り返った。そこにはふくれっ面のマダラがいる。寝そべり片肘をついたまま襖の隙間からこちらを見ていた。
うわ、と名前の声が漏れる。


「あんた態度悪過ぎ。どうしたの」

「…うるさい」

「そんなあからさまに拗ねてさあ」


お姉さんに言ってごらん、と。そう言い終わる前にぴしゃりと襖がしまった。彼女はマダラのその様に驚いて、ぱしぱしと瞬きを繰り返している。ほっといて欲しいのかと思いきやそうでもないのだ。こういう時は。

名前は一度大きなため息を吐くと縁側へとよじ上りそろそろと襖を開けた。胡坐をかいて座る少年の後姿が見える。


「マダラ?」


小さくその名前を呼んで、触れれば怒るかと思ったが肩にのせた手を払われることはなかった。


「?なに、それ」

「……イズナが…」

「……」

「かじった」

「ぶっ、」


座るマダラの手には札が幾つか握られていて、どれも右上の角がごっそりと千切れて無くなっている。不思議に思った名前が尋ねたマダラの返事がそれだ。まさかの内容に思わず噴き出した彼女はすかさずマダラにぎっと睨まれて、なんとか口を噤む。
イズナはまだ赤ん坊だ。何でも口に入れてしまうのだろう。


「俺はちゃんとしまってたんだ。なのに気付いたらイズナが引っぱりだしてて」

「うん」

「かじってた」

「…うん」

「そしたら、父さまにちゃんと手の届かないところにしまわないと危ないだろうって怒られて」

「……」

「イズナが怪我したらどうするって」

「…そうかあ」


詳しい状況は不明であるが、お兄ちゃんなんだからちゃんとしなさいと、要はそう言う事だろう。それこそ印も何も記されていないから良かったものの、起爆札なんかをかじった日には大変なことになっていたのだから。


「誰にも怒れないから、困ってたんだね」


結局の所マダラは自分が悪いと思っているのだ。もう少し収める場所を考えるべきだったと反省していて、けれどそれを自分の中で消化し切れるほど彼は大人ではない。父に怒られればそれなりに落ち込む年齢である。
名前の言葉に黙り込んだマダラは、やはり拗ねた顔をしていたが先ほどの比ではなかった。その姿に困ったように笑いながら彼女は優しく少年の頭を撫でる。


「お兄ちゃんは大変ねえ」

「……」

「お兄ちゃん辞めたい?」

「…やめない」

「ふふ、そう」


あっという間に大きくなって、こんな風に悩みを打ち明けてくれることもなくなるのだろうと名前は思った。マダラの旋毛を見下ろせるのもいつまでか。きっと自分より華奢なのも今だけだ。


「…石鹸、」

「ん?」

「石鹸くさい」

「臭いってあんた」


マダラの台詞に呆れたような声が漏れたが、臭いと言う割にはずるずると名前にもたれ掛かっている。座る名前の太腿に頭を乗せて身を丸くしたマダラを見て、やっと落ち着いたかと彼女は思った。何やら騒いだ後に眠くなるのはやはり子どもの証である。


「お兄ちゃんは弟を守らないといけないもんね」


太腿に乗った頭を撫で、少年なりの日々の気苦労を労う。名前の前ではこんな姿であるが、家では相当振る舞いに気をつけているに違いない。


「……名前も、…」

「ん?」

「………なんでもない」

「あ、そう」


名前も守ってやると言うには甘え過ぎていて、マダラは口を噤む。名前
より大きくなったら、強くなったら。心地よい掌の温度を感じながらマダラが思うのは自分への誓いである。彼女と約束するには、自分はまだ頼り無いから。