突然だが、私は"忘れっぽい女"もしくは"忘れる女"である。自覚は早かったし、クラスメイトにも周知の事実だし、直そうにも中々難しい。例えば大事な修学旅行のプリントを期限までに出すのを忘れていたとか、課題を忘れていたとか、友達の誕生日を忘れたこともあるし、なんなら好きな人 -- 黒子テツヤ君の誕生日だって、覚えておこうと一ヶ月前にプレゼントを買ったのに、いつの間にか過ぎていて渡す機会を逃して、押入れの奥深くにしまったのを -- そう、今ぼんやりと思い出していたりする。

「僕、とっても楽しみにしていたんですよ」

目の前で不貞腐れている黒子君の頭には、電池とリモコンで動く猫耳がついている。さっきまでぴこぴこしてて可愛い可愛いと連呼していたのに、今はそんなことを考えている余裕はない。最近急激に仲良くなってきたついでに、本日のハロウィンイベントでお菓子をあげるという約束をしていたのだ。黒子君の"楽しみにしています笑顔"がとても嬉しくて、その日のうちに頑張ってバニラプリンを作ったのに(流石にシェイクは味気ない気がしてやめた)、やはり私は、今日がハロウィンということを忘れて、バニラプリンを冷蔵庫に入れたまま学校に来てしまったのだ。折角誠凛がハロウィンと文化祭を一緒にしてくれていたのに、こんな機会を逃すとは‥自分の頭は一体どうなっているというのか。

「今日のこと、忘れてた‥ということですか?」

アッ‥なんか呆れかけてる。黒子君の顔が歪みかけている。だって、昨日黒子君も帰り際に声をかけてくれたもんね?"明日から文化祭ですね"‥‥うん、覚えてる、覚えてるよ、‥ハロウィンは忘れてたけど。

「‥馬鹿みたいじゃないですか。僕だけがわくわくしてたみたいで」

そう言われて、いやいや、そうじゃないの!と言いたかった。元々口数が多いはずの私なのに、こんな時に限って喉から声が出ない。いやもうホント、"これはやっちまった!!"という事実が脳内いっぱいになって、唇が開いたり閉じたりするばかりだ。

「‥、‥」

バニラプリンの出来がすごく良かったから絶対食べてもらいたかったのに。こうなったら明日、‥‥ううん、今日の文化祭が終わったら取りに帰ろう。黒子君、試合近いから放課後も部活あるんですって言ってたし。私はひらひらする黒のスカートから伸びる黒い尻尾を手で握りながら、おずおずと声を絞り出す。やば、掠れたっ。

「き、きょう、」

「?」

「あの、今日!!一回帰って体育館に届けます!!」

ビビり過ぎて大きな声が出て、慌てて口を手で塞ぐ。ここが屋上でよかった。廊下なんかで叫んだら、色んな生徒の視線が刺さる所だった。いや‥うん、黒子君の視線は刺さっているんだけど‥。

「‥トリックオアトリート」

「へっ?あ、いや、なので、」

「僕は、今がいいんですよ」

「無茶言わないでほしいというか‥!私が悪いのは分かっているというか!いやそれはごめんなさいというか!後で!絶対忘れずに届けに行くから、‥待っててほしい‥です!」

「今」

「く、黒子君‥」

黒子君が駄々っ子!!!
むすっとしたままじりじりと距離を詰めてきて、扉の壁にぶち当たった私の背中。驚いた拍子にずるずるとお尻が床に落ちて行く。これからはiPhoneのアラームを見た時にメモを残して、冷蔵庫にもメモを残して、ああ、お母さんに頼んで玄関にコルクボードを置いてもらって、そこにもメモを書いておこう。それで、帰ってきたらすぐメモを書けばいい。そうしたら忘れない。‥ああ、でも書くことを忘れたらどうしよう。よし、まずは手に書こう。‥手が真っ黒になるかもしれないけど、忘れるよりマシだ!

「知っていますか?」

「え?」

いつの間にか私と視線の位置を同じにして、両手を壁について、逃げられないように囲い込む黒子君が何かを思いついたようににこりと笑った。何を知ってると?私が知っていることは知っていますよ。忘れてなければ。首を小さく傾げると、黒子君はそっと私の後頭部に手を伸ばした。

「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ。‥って意味なんですよ、トリックオアトリートって」

「それはさすがに知ってるというか、忘れることはないというか」

「じゃあ問題ないですね」

「問題はない!そこは大丈夫!」

そう言い切った私に、黒子君は華が咲いたように笑う。つられて私も笑うと、髪を結っていたシュシュが解かれて、首元に長い髪が散らばった。

「どんなこと、しましょうね」

そっと耳元で囁いた黒子君の声に吃驚して、呼吸が止まる。‥まあ、呼吸が止まった理由が他にもあったなんて、今の私からはとても恥ずかしくて言えないけど。