すっかり暗くなった夕方の繁華街。
私が待ち合わせ場所について暫くすると、ローが人ごみをかき分けるようにして私の側へとやってきた。
「遅いよ」
別にそこまで待ったわけでもないけど意地悪くそう言ってやる。すると彼は少し不機嫌そうな顔をしながら「夜勤前に呼ぶんじゃねぇよ」とため息交じりに言った。

「いーじゃん。夕ご飯くらい一緒に食べよ」
「…」
私はそう言って仏頂面のローの手をくい…と引いて駅ビルの中にある、かつて二人でよく通っていた店へと向かった。そこはバーであるけど食事がおいしくて気に入っている。まだ時間も早いからお客さんも少ないだろうし、久しぶりだからローも喜ぶかな?と思った。

お互い…というか、医師であるローが日々忙しそうで中々まともに会うことのできない日々が続いていた。
だからせめて出勤前のひと時だけでも一緒に過ごしたくて夕食に誘ったのだが、どうやら彼の機嫌はよくなさそうだ。私はちょっとだけため息をつきつつお店のドアを開ける。すると、カウンターにいたシャッキーさんが私たちを見るなり「名前ちゃんいらっしゃい」、と妖艶に笑いながら言ってきたので私たちはカウンター前へと移動した。

「そっちの彼は随分と久しぶりね」
「うん。ロー、最近忙しくて構ってくれないの。だから今日は無理やり仕事前に連れてきちゃった」
「あら。…ワザとなのかしら」
「うん。フフ」
「おい、どういう意味だよ」

シャッキーさんがクス…と含むようにそう言って笑いそれに私も笑い返していると、ローが椅子へと座りながら訝しげにそう聞いた。「さぁ」。私はそれにそっけない返事をしつつローの隣に座った。
「ウーロン茶ください」
そして可笑しそうに笑っているシャッキーさんにそう告げた。彼女はあら?と首をかしげながら「お酒にしないの?」と聞く。
「ローは仕事で飲めないから今はノンアルにしとく。ローもウーロン茶?」
私がローへと顔を向けてそう聞くと、ローは何か隠し事をしているような私たちの態度に多少不満そうにしつつ、ああ…とそれに答えた。私は彼ににっこりと笑いながら食事メニューを広げて渡した。


「じゃあ、アルコールの一杯目をサービスにするわね」
シャッキーさんはウーロン茶のグラスを二つ持って来てくれた時そう言った。私はそれを受け取りながら「わ!ありがとう。ちなみにローはお医者様≠チてコトでサービスの対象になったりする?」と言ってみる。すると、シャッキーさんはすぐさま少しだけ片方の眉を上げたものの、ふふふと笑って「そうねぇ。じゃ、カワイソウな彼氏さんには特例ってことで」と言ってくれた。

「あはは」
私はそれに笑う。すると、まるで話の内容がわからず蚊帳の外であるばかりなことに憤慨し始めたのかローが怒った声で言った。
「おい名前。さっきから意味がわからねぇ。何なんだよ。サービスだとかなんとか…」
「よぉ。お二人さん」

…と。その最中、楽しげにそう声をかけてきた人物がいた。
私が振り返るとそこにいたのはキッドで、彼は私を見るなりニィ…と笑い、けれどその後ローを見遣れば「なんだ、普通じゃねぇか」と少しだけ意外そうに顔を驚かせた。
「仕事なの」
私はすぐさまそう告げた。
そうすればローはますます顔を険しくさせ「何だよ…普通って」。そう言って私に鋭い眼光を向けた。
「そう言いつつ、キッドも普通じゃん」
私はそんなローを無視して、キッドを見つめそう言った。キッドは私がそう突っ込むと、くつりと笑いながらポケットから何かを取り出しそれを口に当てた。そして暫くして大きな手のひらが除けられると、そこから見えたのは不自然なくらい大きな八重歯で。

「フフッ!!ドラキュラってこと?」
「…テメェ…何だよその歯は」
「似合ってるだろ?そう言うお前はどんな仮装をしてきたんだ?」
「仮装?…おい名前…今日は」
「私?私はねー。じゃーん」

そう言われた私はスツールから降りて立つと、着たままだった薄手のコートをさっと脱いだ。すると、隣のローが途端に息を飲む音がし、その反応に私はクス…と心の中で笑った。
「あら、かわいい。ナースちゃんね」
カウンターの奥でシャッキーさんが明るい声でそう言ってくれる。
ちょっと丈が短いのは気になるけれど、こんな恰好今日のような日にしかできないものね。私が「どう?」とキッドに首をかしげてみせると、キッドは片方の口の端をあげて「…こりゃヤベェなぁ」と言った。


今日はシャッキーさんのバーでイベントがある日、だった。その名も「ハロウィンナイト」。何かの仮装をしてくれば、いつもはぼったくりをしてやると豪語するこのお店が珍しくドリンクを一杯無料にしてくれるという。楽しいこと好きな仲間たちにその事を伝えてみれば、大多数が仮装して参加すると言ってくれた。というわけで、私は今夜ナースになってみたのです。

「…」

ローは私のそんな姿を見てわなわなしていた。「お前…そんな事…一言も…」。途切れ途切れの声でそう言ってきたので、私は「一応はローの事も誘ったよ?」と言ってやった。
「この日空いてる?って聞いたらすぐに『仕事だ』って言ってきて、それで話が終わっちゃったんじゃん」
「…」
「でしょ?」
…とまあこんな風に。
私たちの日々の会話は時にかなりつまらないものになっていたりする。


「見えてんぞ?」


そんな私たちを見て笑いながらキッドは私を指差してそう指摘した。今着ているナース服のボタンはかなり下の方からしかなかったので、彼の指差す胸元は大きく開いてしまっているのだ。「ホント?」。私は胸付近の布を両手で寄せるとそっと下着を隠した。
ローにも見えてしまっただろうか??
…きっと見えただろう。
暗めの照明であっても、今日のために購入した真新しいその布の鮮やかな色は白いナース服にはよく映えただろうから。


ローはその後運ばれてきた料理を顰め面を浮かべたまま無言で食べていた。
怒ってるなぁ…
それはもう見てすぐにわかるので、私は何も言わず自分のごはんを彼の隣で静かに食べた。


時計を見ればそろそろ9時になろうとしている。
私たちが入ってすぐは人の少なかったこのバーも、食事を終える頃には仮装した人がどんどんと増え、ナースやドラキュラの他にキュートな魔女だったり童話のヒロインだったり、海賊やカウボーイらが溢れかえっていく。
食事を終えたローはフォークをガツンと乱暴にお皿へと置けば「…俺は行く」と言って私をもう一度睨んだ。
「仕事なら仕方ねェなぁ」
キッドが私の隣で嫌味たっぷりにそう言うと、ローは先ほどより激しい殺気すら孕んだ目つきで「急性アルコール中毒で夜間救急にぜひ来い。見捨ててやる」と吐くように言っていた。

「名前」

そしてローは紙幣をテーブルへと置き、私の側までやってくるとぐい…と自身の顔を間近にまで寄せて言った。

「…覚えてろよ」

ガリ…。
そしてなんと素早く耳朶を噛まれた。ビリ…とした突然のその刺激にびくりと身体が反応して、私は思わず目を閉じ首をすくめてしまった。


「お待たせ〜!遅くなっちゃった。ねえ名前。さっきトラ男くんとすれ違ったけど、彼は今日帰っちゃうの?」

そうしていると、ナミがそう言いながらやってきた。
彼女の着ている真っ黒いぴたりとしたワンピースのお尻からは長い尻尾が伸びていて、頭に猫耳のヘアバンドを付けた彼女はとてもセクシーだった。私は耳にかけていた髪を下ろして噛まれた耳朶をさっと隠す。
「顔も赤ぇぞ」
くつり。
キッドはそんな私を見てせせら笑った。「慣れてもねぇ癖に誘惑なんかするもんじゃねぇよなあ?」。そしてまるで小馬鹿にするみたいにそう言ってきたので、私は彼を小さく睨んでからぷい…と目を逸らした。…が、その睨み目に威力なんてちっともなかっただろう。


「え?どうしたのー?名前、ローとまだ倦怠期中?」
「ナースはお医者様が忙しくて寂しいらしい」
「あはは。でもトラ男くんもかわいそ。そんな恰好見せられて、じゃあ今日は仕事なんだ」
「…うん」
「下着見えちゃってるし…。あーあ。トラ男君、ますますかわいそうに」
「クックック。男には拷問だよ。お預け食らわされて」

そしてキッドは未だに嘲笑を続けながら一言私に言った。
彼のその警告は、今宵ドラキュラに扮しているからだろうか?言葉が与える以上の恐怖心をこちらへと与えてこの身を竦ませた。だから私は彼らに苦笑いすら…浮かべられない。


「明日は充分に用心しろよ?名前」