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「うわ、キーンときた」
情けない声が左隣から漏れてきたので、黒子テツヤは視線をそちらへ向けた。
「大丈夫ですか?」
「だいじょばない」
隣にいた人物――苗字名前は、少し涙目になりながらその問いに答えた。左手で額をおさえ、あーとかうーとか、生まれたての赤ちゃんのような呻き声をあげる。
「そうみたいですね」
「頭痛い」
「だから、ボク、ゆっくり食べた方が良いって言ったじゃないですか」
「はい……」
黒子の目に呆れが混じったのを察して、名前はちょっとたじろいだ。
(しょうがないじゃん、かき氷の前じゃあ、そんな忠告、聞き流しちゃうんだからさ)
蝉の鳴き声も聞こえ始めた今日この頃。空はからりと晴れ渡り、太陽はここぞとばかりに照りつけ、夏服では涼を取りきれず。夏の暑さに早々と白旗を揚げた名前が、部活帰りの黒子を連れ立ってかき氷を所望したのは、ごく自然な流れと言えた。このままじゃあ、私はバーベキューのお肉になっちゃうという名前の愚痴を、黒子はかき氷を買うまで五回くらい聞かされた。
かき氷は(名前の渾身のおねだりで)黒子が奢ってくれた。降り積もった雪山のような氷に、見るのも食べるのも楽しいいちごシロップが惜しげもなくかけられている。しかも練乳までついているから、名前の黒子への好感度は絶賛上昇中である。
公園の、木陰になっているベンチで待ちに待ったかき氷を頬張ったのはいいのだが……。あの、冷たい物を食べた時に起こるキーンとした頭痛が襲ってきたのだ。
「黒子はならないの、これ」
「苗字さんと違って、ゆっくり食べているのでなりませんね」
「うぅ」
名前は再び涙目になった。文字通り涼しい顔でブルーハワイを楽しむ黒子を恨めしく思う。
「そういう時は、おでこを冷やせば良いらしいですよ。かき氷の器とかで」
「そうなんだ!? もう、早く言って欲しかったよー。じゃあ、遠慮なく!」
「え」
「いただきます!」
止めようとした黒子をスルーして、名前は元気よくかき氷を食べ始め――パクパクという擬音が似合う程の勢いで――すぐさま例の頭痛に備えて額を冷やそうとする。が、
「あ……」
かき氷はまだ山盛り器に残っている。これを額に持っていくのは難しい。しかも、この器、屋台で売ってあるようなプラスチック製の丈夫な物だ。氷の冷たさはあまり伝わってこない。
よって――
「あーっ、あーっ! つめっ、たっ!」
頭痛は容赦なく名前に襲いかかった。
「い、痛い……」
「……」
頭痛に叫ぶ名前を、黒子は再び呆れ顔で見つめていた。……口元がぷるぷる震えていることに気付く人は誰もいない。
「苗字さん」
やがて、黒子は至極落ち着いた様子で鞄からペットボトルを取り出すと、ピタリと名前の額に押し当てた。
「おお、す、すごい……」
「良かったです。さっき、かき氷のついでに買っていたんです、お茶」
「助かったあ」
波のようにすーっと頭痛が引いていく。すっかり元気になった名前が「ありがとう」と笑いかければ、
「ボク、苗字さんといると『バカな子ほど可愛い』の言葉が痛いほどよく分かります」
「な、何。私がバカって? そりゃ、そうかもしれないけど」
「いえ、苗字さんはバカというよりはあ――いえ、何でもないです」
「ちょ、アホって言いかけたでしょ!」
「いや、主将やカントクがバカ担当は火神君だと言ってたので……」
「くっ……否定してくれないっ」
(フォローしてくれたっていいのに!)
泣く真似をしてみるが黒子にはお見通しだった。動じることもなく、ただ淡々と名前を見つめている。
「いえ、ボクが言いたいのは苗字さんがバカとかアホとかそういうことではないんです」
「え?」
「むしろ、強調したいのは可愛いの方です」
「えっ」
「苗字さん、本当面白い反応しますね」
名前の顔は一瞬で真っ赤になっていた。いちごシロップ程ではなかったけれど、見事に赤く染まっていたのである。
「いやいやいやいやっ! そんな、黒子に可愛いとか、言われたら、その……、うん……あの、嬉しい」
「言いますよ、彼氏ですから」
「ソウデスカ」
「そうです」
「そっか」
「かき氷溶けますよ」
「食べる」
「そうして下さい」
(黒子のこういう不意打ちが、なんか、慣れないんだよね)
付き合うようになってから、嬉しくなるような言葉をよくかけてくれる。素直に受け取れなくて、心がむず痒くて、でも、不快ではないのだ。
それに、
「ボクに何かついてますか?」
「ううん」
何もないよ、と名前は返事をした。かき氷を食べながら、バレないように黒子を盗み見る。彼の口が微かに緩み、滅多に見られない微笑みを拝むことが出来る。
(私も黒子のこういうとこ、可愛いって思うし。多分、私しか見れない表情だよね?)
もう、致命的に黒子の虜なのだ。悶えるくらい。思わず叫び出したいくらいに。
(黒子は知らないんだ。私がどれくらい好きかって。ま、口で言っても伝えきれる自信ないなあ)
何気ない仕草や言葉で嬉しくなるものだから、もう取り返しがつかないくらい彼を好きになっている。
「あっ、そうだ黒子。ブルーハワイの方、ひと口ちょうだい」
「良いですよ」
黒子は持っているスプーンでかき氷を掬い、名前に向けた。
「はい」
「んん?」
「口開けて下さい」
「えっ、あっ!? あ、あーん……?」
断り切れない迫力でスプーンを出されたからには食べないわけにもいかず、渋々名前は口を開けた。雛鳥に餌をやるような手つきで、黒子はかき氷を味見させた。
「美味しいですか」
「う、うん。美味しい」
正直、味がちゃんと分からなかったが。
(『あーん』してもらった! マンガでしか読んだことないっ!)
深呼吸で、ドキドキと高鳴る鼓動を落ち着かせようとする。暑いのは夏の暑さだけではないのだろう。
動揺する名前の心情を知ってか知らずか、黒子はトドメとばかりに次のような言葉を放った。
それも、名前のかき氷をひと口貰って食べながら。
「関節キスですね」
その後名前がどんな顔をしていたのかは、彼氏である黒子だけしか知らない。
どうしようこの人かわいすぎる