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じり、じり。と、コンクリートが焼けて視界が揺れている。みん、みん。と、ようやく地上に這い上がってきた蝉が鳴いている。ぴちゃ、ぴちゃ。と、湧き出す水が地面を濡らしている。耳を澄ませば夏ばかり。
そんな或る日のこと。


何でこんなクソ暑い日に遊園地なんか、ぶつぶつと苦言を呈す青峰くんに、さつきちゃんお得意の小言パンチがクリティカルヒットした。「俺あれ乗りたいんスけど!黒子っち!」「良いですね、どうぞお一人で」「これ美味しいよミドチンも食べる?」「歩き食いは見苦しいのだよ」幼馴染組の口喧嘩はまさにいつもの光景で、巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに各々のスルースキルが遺憾なく発揮されている。
しばらく続いたふたりの攻防は、突如目を丸くした青峰くんが発した「あのワンピースの子すげぇボイン」という言葉をきっかけに苛烈を極めた。


ーーみんなで遊園地に行こうよ。

何日か前にわたしのスマートフォンを鳴らしたのは、中学の同級生だった。電波を跨いだその向こうでさつきちゃんがニヤニヤ、もといニコニコとした笑顔を浮かべているのは容易に想像できる。

ーーせっかく赤司君が戻って来たんだもん、久しぶりにみんなで遊ぼ。

洛山高校を卒業した赤司くんは、京都の地を離れ東京に帰ってきたらしい。
連絡は取っていなかった、と言えば嘘になるけれど、3年間にほんの幾度か他愛もない内容で電話をした程度の繋がりだった。元気?ああ、勿論。最近はどう?順調だよ。身体に気を付けてね。お互いにな。と、そんな程度。赤司くんとわたしは、特別な関係にはない。胸が張り裂けそうな夜にだって、逢いたい、なんて、口が裂けても言えるはずはなかったのだ。


真っ白な制服に身を包んでいたわたしたちは、その色に違うことなくただひたすらに純粋でただひたすらに幼かったと言える。過信することで顕示欲を満たし、鋭く尖った自尊心で誰かを傷つけそして傷付けられた。透き通るような白と淀んだ灰色が混じり合うような3年間だったと思う。
あれから早数年、大学生の今となってはもう昔話でしかないが、あの頃儚く散った青春という苦味をわたしは今なお大切に仕舞いこんでいる。真っ白なキャンバスに染み込んだ感情とはひどく厄介なもので、結局わたしはあの日さつきちゃんの誘いに肯定の意思を示したのだった。


「あ、」
前を歩く6人の背中が、少しずつ小さくなっていくことに気付く。赤司くんの耳朶は零した音を拾わなかったようだ。

わたしは歩くのが遅かった。それはまさに亀のように、と自覚したのはつい何年か前のこと。プンスカと否定してみても幼き日から何回何十回と指摘され続ければ遅かれ早かれあれれもしかして、となるのも至極当然のことであった。中学生の頃だって今まさに隣を歩く彼に「ほら行くよ」、と促された数を数えれば片手では収まらない。
けれど今日、赤司くんは相も変わらずモタモタモタモタと歩くわたしを咎めることもなく隣を歩いていた。何も言われないのを良いことに、ほんの少しだけ、意識して歩みを遅くしていく。
こんなわたしを知れば、赤司くんは笑うのだろうか。


3年という時間と、ひとり分の距離。それが赤司くんとわたしの間に在る空白。もどかしくて苦しくて切なくて縮めたくて、けれどわたしにはそんな勇気も覚悟もない。時を重ねて今またこうして隣に立っているというのに、結局あの頃と何も変わらず、焦がれることしか出来ないまま。
「本当に暑いな」、と。ふいに、まるでそんな様子は見せない赤司くんが涼しい顔をして呟くものだから、ぐわんぐわんと頭の中で回っていた思考など放棄して、思わず笑ってしまった。

「何故笑うんだ」
「だって、赤司くん全然それっぽくないよ」

わたしの言葉を聞くなり赤司くんは瞠目し、ほんの少しだけ考え込むような素振りをしてから、そんなことはないさと笑った。

「俺だって夏の熱に絆されている」

少しの沈黙を挟んでから、名前、と呼ぶその声はやたらと優しいものだった。上がりそうになる口角を唇を噛むことで必死に隠し、「うん?」、何でもないかのように返事をしてみせる。
斜め上から降って落とされた言葉は予想もしていなかった言葉で、これまで何度も妄想に妄想を重ねては欲し続けた甘い響きだった。「もし二人で居なくなったとしたら」、ふたりで、って、

「彼らはどんな顔をするだろうね?」
「どういう、こと?」

睫毛の奥から覗く赤司くんの、真っ赤な瞳が揺れている。外されない視線がむず痒い。何処と無く不安そうに見えるその表情が、ふんわりと微笑むような柔らかいその表情が、ただただわたしを見つめるその表情が、とてもとても色っぽいものだから。ごくりと思わず息を飲んでそれから、それから、それから?

歩みを止めたわたしの右手に、感じる体温がひとつ。熱い。痛い。苦しい。恋しい。もっと欲しい。赤司くんは、どう思ってるの?
言葉になる音など何も紡げないまま、握られた手に力を込めた。これは何だろう。夏に住み着く妖怪の、魔法か何かなのだろうか。赤司くんが言うように、熱にやられて可笑しくなってしまっているのだろうか。だってこんなこと、まるで信じられない。けれど期待するなだなんて、そんなのは無理な話じゃないか。


わたしの身体が熱いのは、熱を落とし続ける太陽のせいか。それとも。

「数年来の問題だ」
「あかしくん、」
「今、此処で。答え合わせをしようか」


今なお燃え続ける、恋のせいか。


限界になる前に
教えて下さい