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隣の席の誰かは刀に体重を預け涎を垂らしながら寝ている。
座っている前の方の誰かは教本をじっくり見ている。
もう1人の前に座る誰かは目の前の人物をただ見ている。
そして、1番前に立つ誰かは、本片手に微笑んでいる。
当たり前のその生活が、私にとっての全てだった。



そこから十数年。
私の当たり前は日常はあの頃と何ら変わりない緩やかで穏やかで温かいものだ。

「銀時、いい加減にしたら?」
「ってもよー、ここから来るかもしんねーじゃん?」
「そう言ってもう随分来てないからね。2万くらい飛んでるからね。」


現実的な額を言えばうっ、と痛い所を突かれて顔が歪む。
それを見て思わず笑ってしまった。
本当にバカ正直な人だ。

こんな風にダラけた人になるなんて幼い頃は想像していなかった。
確かにあの頃からこうなる空気はあったのかもしれないけど。
仕事もそこそこせずに遊びに明け暮れるなんて……。
傍に私がいるというのに、これじゃあ先生に怒られそうだ。
今からは多分違う人達に怒られるけど。


「そろそろ帰んないと、新八くんに怒られるし神楽ちゃんにも殴られるよ。行こう。」
「ちっくしょーなんであそこで出ねぇんだ。」
「銀時は日頃の行いが悪いし、運が悪すぎるからね。」
「んな、正直に言うなよ。」


2人で並んでパチンコ屋を出る。
明るい店内とは違い、沈みつつある太陽の光は徐々に夜の闇へと変わっている。
銀時は損失しかしていなかったが、私は当たったので注ぎ込んだ額とその損失すら補えるほどのお金があった。
これで、多分許してもらえる。
良かったね、と笑えば、良くねーよと膨れ顔の銀時から返事が返ってくる。


「なんでいっつも名前ばっか当たんだよ。俺が何したんですかコノヤロー。」
「給料をまともに払わないからじゃない?お金はちゃんと管理しないと入るものも入って来ないって聞くし。」
「あー……あいつらには飯食わせてるから大丈夫。」
「何が大丈夫だ。先々月の家賃払ったの誰だと思ってるの?」
「げ、………名前です。」


万事屋として働いている銀時とは一緒に暮らしているし、私も万事屋の一員として働く。
しかしそれ以前に私は真選組の隊士の1人としても働いている。
昔の大暴れのせいで捕まりかけた時に捕まえない代わりにここで命を懸けて働くと案を出した。
何かあれば私は叩き斬られる状態でずっと働いていることになるが、まあもう抗うことはそうないので問題はない。
ただひとつあるとすれば、


「やっぱさ、真選組で働くのやめね?」
「またそれ?無理。辞めたら捕まる。」
「そこんとこはゴリラとかマヨラーとかももう分かってんだろ。名前がもう攘夷しねーって。怪しいことなんてなんもねーだろ。」


お前だって攘夷志士だっただろうが!時たま、まだ攘夷してるヅラを家に入れてるのは誰だ!!と言いたい気持ちは抑えて黙り込む。
ついで言うと、銀時だって未だ副長から疑いの目を向けられているのに。
行いが良いから何も言わないだけで。

確かに私はもう攘夷なんて全く興味がない。
小太郎みたいに国を変えようと大きな目的もなし、晋助みたいに国を壊そうという野望もなし。
私は現状が維持できたらそれで良い。
それだけでもう良い。


「確かにもう捕まりはしないと思うよ。でも、局長達には恩がある。捕まえずに給料も人並みで働かせてもらったっていう恩が。それを今裏切りたくはない。」
「……どーしても辞めねーの?」
「うん。」


隣の銀時を見ると少し不安そうに揺れる緋の瞳があった。
ああもうその顔に弱いって分かってるでしょうに。
辞めると言いそうになり、ぎゅっと拳を握った。


「あのね、銀時。私は今の日常が凄く好き。銀時は変わらず甘党で新八くんはお通ちゃんのファンで神楽ちゃんは怪力の大食らい少女の万事屋が好き。局長は妙ちゃんのストーカーで副長は鬼のマヨラーで沖田隊長は副長を狙うドSの真選組も好き。…昔のあの頃が壊れたのは多分運命で仕方のないことだったとして、今の日常が壊れるのを運命だからって逃げたくない。壊れることに怯えて何もしないでいるのはもうごめん。折角強くなったのに、弱いからって何もしないのは嫌だ…………」


思っていること全てをぶつけるように吐露すると、ふわりと近くに甘い香り。
こうやって抱き締められるのはいつぶりだろう。
長いこと感じていなかった気がする。
いろいろな人に頼られてそれら全部を守っていくことを知ってる私は普段銀時にほぼ頼らないようにしているから。
弱い部分を見せたらそれを守ろうとするから。
背中と腰に回された力強い腕に反応するように私も腕を回した。


「バッカヤロー……そういう事じゃねーよ。」
「でも、」
「何度言えばわかんだ。俺はあんな男だらけのとこに置いておきたくねーんだよ。危機感あったって避けらんねーこともあんだろ。それにな、俺は別にこの日常を壊せって言ってんじゃねぇよ。」
「じゃあ、どうして……。」
「名前は俺に頼らねーだろ?俺を知り過ぎてるから辛くてもわざと笑うだろ。そんなもん見てきてんのに黙って抱え込んどけとか言えねーよ。」


その言葉にハッとする。
私が銀時の性格を知っているように、銀時も私の性格を知っている。
そんな当たり前で単純な事、気づきもしなかった。
馬鹿だなぁ、もう十数年一緒なのに。
知らないこともまだ、あるんだ。
手のひらに感じる温度に目を閉じた。


「ごめんね、頼らなくて。」
「無理強いはしねーけどさ、なんかあればすぐ言え。そしたら、辞めろなんて言わない。」
「ん……分かった。」
「とか言って分かってないのが名前なんだけどな。」


身体を離しケタケタ笑う銀時はいつもの銀時だった。
死んだ魚のような目で意地悪を含んだ笑み。
ずっと見てきた顔だった。


「……そろそろ行こう?本格的に2人に怒られそうだね。」
「おぅ。あいつらに殴られんのごめんだ。」


気づけばもう夕飯の時間。
まだかと待ちくたびれている2人を思うと急がなければいけない気持ちになる。
行こう、ともう一度言うと、前を行く銀時に腕をさらりと掴まれる。
触れる温度が、あの頃を不意に思い出させた。

先生の後ろを4人で賑やかに歩いた夕暮れ。
少しだけ遅れた私を急かすように銀時は腕を握って引っ張ってくれた。
変わらない温度を大事にするのだとあの頃が壊れた時に誓ったのだ。
誰も失わないと誓ったのだ。


***


夕飯の後、携帯で仕事に呼ばれていった名前の背中を見送る。
やはり彼女は鈍感らしい。


「男が仕事辞めて欲しいなんざ言うのは、その他にもっと言いたい事があるからだなんて、名前には無理か。」
「まあ名前さんには無理ですよね。」
「銀ちゃんの女々しい気持ちに気付くなんて恋愛経験値ゼロの名前には絶対無理アル。」


溜息と共に零した言葉は予想以上に大きく2人にも聞こえていたらしい。
恥ずかしさに目を細める。
いや俺の心を知ってるのは知ってたけどそんなはっきり言わなくても良くね?
さすがに傷つくって。


「でも帰ってきてからの名前さんは少し嬉しそうでしたよ。」
「確かに表情がダラけてたネ。銀ちゃん、何かあったアルか?」
「……まーな。お子様にはわかんねーことだよ。」


なんだなんだと質問攻めにあうのは純粋な応援だけでなく、ガキの好奇心だろう。
それほど厄介なものはない。
しつこく迫るコイツらを交わしつつ、もう一度溜息をつく。
俺の心を知らない彼女が慌てるであろう様子を想像していらない欲が湧く。
今はまだ、何も知らぬ少女のままで。


何も知らないのは君の方だと、
教えてやる必要性すらない