きらびやかな人工の光が、闇に呑まれた街を覆い尽くす頃。仕事終わりに私を呼び出した常人よりずっと背の高い男は、挨拶も無しにそう尋ねた。
「理性があるか、とか?」
「一理ある」
顰めっ面を崩さないこの男は、名をサー・ナイトアイという。
サー・ナイトアイはヒーローだ。
彼に最近まで平和の象徴の相棒を務めていた過去があり、そして何かと自分を蔑ろにする傾向のある男だった。
ヒーローとユーモアが大好きで、そのくせ滅多に笑わない。頑固で頭でっかちで、堅実を何より善とする。金色のメッシュの入った落ち着いた深緑の髪を七三分けにし、金縁の華奢な眼鏡をかけた、サラリーマンと呼ぶには無茶がある風体の。そんな、男だった。
「私は、闇や夜を恐れるかどうかだと思っている」
サー・ナイトアイはそう呟くと、淡い金の目を眇めた。
また小難しい話が始まるのかと、取り敢えず当たり前のことを返してみるが。
「だけど獣だって、闇とか夜が怖いんじゃないかしら?」
「……夜行性の獣が闇夜を怖がるか?」
「それもそうね」
なんだか随分と頭の悪い会話になってしまった気がする。呆れられただろうか。
しかし彼はというと、変わらない仏頂面のままだった。
きっと私たちのラストシーンだと思われる、今でさえも。
「ヒトは闇を恐れる生き物だ」
「ええそうね。暗がりも、狂気も、闇に例えられるものはきっと誰だって怖いわ」
「だから、私は敵よりもヒーローこそ……獣のようだと思えて止まない」
だが君は、賛同してなどくれないだろうな。
諦めたように、ほとほと疲れ果てたように、私の恋人は。
私のヒーローは、ようやくほんの少しだけ口角を上げた。
「……じゃあ、オールマイトも獣なの?」
「別格の、だが」
「そう。そうなのね」
きっと彼のことだから、「オールマイトは他のヒーローとは違う」だの、「喩えるならば神獣だ」だの言い出すのだろう。案の定言い出したから話半分に聞き流し、先ほど彼が言った言葉を思う。
別格、その言葉に同意はしないが理解はできる。
何故って、社会に跋扈するヒーローは往々にして、人の心に付け入る闇を体現した敵をエサに生きていると言えるからだ。ヒーローは敵を喰らって生きる獣。
恐れはするだろうが、立ち向かわずに逃げ帰るなど滅多にないだろう。
しかしオールマイトは別格だ。闇など恐れていない。それどころか、いっそ美しいとすら思えるほどに荒々しく。喰い尽くすような勢いで敵を倒し、人々を救ってきたのだ。
「じゃあ、サー・ナイトアイは?」
「私はヒトに過ぎない」
「嘘」
「真実だ」
緑髪の獣は最後まで、悲しげな目で私を見ていた。
サー・ナイトアイ。夜の目の騎士。果ての無い暗がりを、未来を見通す目を持つ者。
私だけのヒーローだと、思っていた。思いたかった。
その名の通り、その身に宿った力の通りに、貴方は往ってしまうのだろう。
誰の手も届かないほど、遠いところへ逝ってしまうのだろう。
他の誰でもない、彼が敬愛しそしてついぞ理解することのできなかった、平和の象徴の為に。
きっと。いつか。かならず。
そして私は、今更どう足掻いたって、彼を『こちら側』に引き留める「エサ」にはなり得ない。そんな確信にも似た推測が私にはあった。
逡巡すれば目の奥が熱くなって、夜の街に街灯の青い光が滲む。
名前、と低い声が響いた。
「やはり私たちは、ここまでのようだ」
彼は去らない。去ることを望まれたのは、私なのだから。
「そうね」
ようやっと絞り出した私の声は、酷く震えてしまっていた。
二人の間の微妙な距離は、ヒトと獣の境界線だったのだ。
超えられなかった。とっくにそこを超えてしまった彼が、寄り添わせてくれなかった。
それを彼の優しさと呼ぶには、私たちにはあまりにもつたなく、そして積み上げた時間が足りなかったのだ。
「じゃあ、これでさよならね」
「ああ。どうか、幸せに」
踵を返す、白いスーツを着た背中。
いつかきっと彼も、全能を冠したあの金色の獣と同じ場所に逝くのだろう。逝ってしまうのだろう。
反対方向に歩き出した私は、小さくぽつりと呟いた。
「……ヒーローが獣なら、貴方だって」
闇を喰らって生きていく、獣じゃない。
Thanks エス様