箱庭の楽園

「俺から離れる必要があるのか?」
「必要はないですけど……でも、このままでは駄目な気がするのです」
「お前は今のままで十分だろ」
「私は、もっと、外の世界が知りたいの」

中学受験を機に彼から離れることを決心した日のこと、寮が設備されている地方の女学校に進学すると彼に打ち明けた時、彼を説得するのに相当の時間を掛けたことを昨日の出来事のように覚えている。最初は反対していた彼も『絶対に自分の元へ帰って来る』ことを条件に進学の件を受け入れてくれた。

その日が何時になるのかも分からない。自分が進学する女学校は中高一貫教育校で大学の附属もある進学校、最低でも六年は彼の元に戻らないと言うことになる。きっと、彼は自分の心情に気付いているのだ。

「(貴方のような人間になりたい)」

箱庭の世界しか知らない自分にとって、許嫁である彼自身がその世界の全てで、まるでこの現代社会に不可欠なヒーローのように大きな存在なのだ。しかし、彼の傍に居ること自体が自分に対する甘えに繋がる。完全な依存に陥る前に、誰かを守れる力をこの手に、そして、今度は胸を張って彼の傍に寄り添えるように、今日、大きな荷物を手に彼とお別れをする。もしも、彼が言う『その日』が訪れた時、自分は彼のような芯の通った強い人間に成長出来ているのだろうか。唯、初めて自分の意思を示したあの日から世界が美しく見えた。





「……名前?」

――あれから、三度目の季節を迎えた。

新たな環境に身体が馴染んだ頃、蝉の音が煩く鳴り響く炎天下の先に見えたのは、真白なワンピースと麦藁帽子と真夏らしい恰好で自分の前に現れたのは、焦凍様、そう丁寧な名称で自身の名前を呼ぶのは自分が知る限り一人だけ、陽炎の向こうで彼女が微笑んだ。

何故、彼女が此処に、その疑問を解消する前に彼女が自分の方に歩み寄る。あの頃から随分と雰囲気が変化した彼女は「お久し振りです」と、この三年間で女性らしく成長して、自分が知る箱入り娘の彼女は何処にも居ない。でも、それだけで彼女自身に大きな変化はない。彼女が自分の元に戻って来た事実だけで自分の抱える空虚感が埋まる。風に靡かれた彼女の黒髪と共に麦藁帽子も入道雲が描かれた空に舞った。

「貴方の元に、帰って来ました」
「……そうみたいだな」
「……怒っていますよね」
「怒ってねえよ」
「ごめんなさい」


――私の我儘に付き合わせてごめんなさい。


「(直ぐ謝る癖は変わってねえな)」
「ねえ、焦凍様、あの時の言葉、覚えていますか?」
「忘れるわけねえだろ」
「少し予定が早まりましたけど……」
「何処が早いんだ」
「高校卒業までは見込んでいたので」


――""その日""が訪れるまでに、私は私の答えを導き出します。


「答えは見付かったか?」
「この三年間、貴方の居ない時間はとても新鮮なものでした」
「そんな嬉しそうに言うなよ」
「……でも、私には焦凍様が必要なのだと改めて思いました」
「……そうか」

彼の居ない三年間は初めての経験ばかりで挫折もしそうにもなったが、沢山の景色をこの目に通して、家族以外の世界を知らない自分はあの箱庭の中で彼に守られていたのだと気付く。世間では普通だと言われるもの一つ出来ないこと、自分の無力さを思い知った数だけ、何時しか友達と呼べる大切な存在が現れていた。

(――それでも、貴方以上の存在は現れなかった)

外の世界を知っても自分の求める答えは何処にも見当たらなくて、その理由を自覚した時、自分は地元の空気を肺一杯に吸い込んでいた。結局、自分の求める答えは彼の元にしかない。誰かを守れる力さえも、全ては最初から此処に存在していて、自分にとって彼は最愛なるヒーローなのだと、だからこそ、到底、彼のような人間になることは出来ない。

羨望があってこの世界は美しく見える。それが重荷になる現実でも、それでさえも世界は鮮明に映えるのだろう。真夏の日差しが照り返す二人だけの空間、彼が伸ばした両手に自分の両手を重ね合わせた。

「おかえり」
「ただいま」



Thanks. hu-sui様