正しい暴君の作り方

 あいつが泣いている。
 はらはらと、人を救うしか脳のない涙をふんだんに俺の顔へぱたぱたと落としていた。涙によって微かな傷が治り、血や泥が洗い流されていく。お前はなんで泣いてんだ。どうしてこんなに身体中が重いのか。なあ#名字#、聞いてっか。俺はもうすぐ死ぬかもしれないんだよな。

「死なないで」

 うえっとまた泣き始めた#名字#に手を伸ばしたかったが、腕全体が痺れていて動きそうにない。かすかに呼吸を続ける口から長めの息を吐いて俺が困惑している意思を伝えたかったが、#名字#は気付かずにまだべそべそ泣いていた。いい加減にしろ。目の前で拭いもできない好きな女の泣き顔をじっと見続けるなんて、どういう拷問だ。

「死なないで……」

 この俺が死ぬかよ、と伝えたいがどうやっても体が動かない。ずっと違和感があった腹に#名字#の手が置かれ、撫でられる。ぽわ、と暖かいなにかが注がれていた。#名字#の個性が使われていることに気付き、そしてようやく俺は自分の土手腹に穴が開いていることを知った。
 大量の出血だ。加えて敵の個性にやられて体が動かない。どうやら周りに俺たち以外の人間はいないようだが、俺が倒れたらしい前後の記憶がないため今この状況が安全かどうかもわからない。ヒーロー失格だ。

「にげ、ろ」
「やだよ」
「に、げ」
「嫌だよ!」

 爆豪くんを置いてなんていけない! ぶんぶん頭を振って涙を撒き散らす。この野郎、俺がかすかすの声帯振り絞って紡いだ言葉を無視しやがった。こいつに最後に伝えるならもっと別の言葉もあったのに。


「私が爆豪くんの帰る場所になるから! 美味しいご飯と暖かいお風呂を用意して待ってるから。……だから、死なないで。生きて! ねえ生き抜いてよ! 私を一人にしないで!」


 ……どんな愛の告白だよ。なんて酷い告白だ。というかプロポーズだろ、これ。告白にしろプロポーズにしろ場所も状況も最悪だな。#名字#の顔は涙でぐしゃぐしゃだし俺は死にかけている。周りは荒野でなにもなく、せめてプラスになる要因としては真っ赤な夕焼けぐらいか。血みたいだけどな。
 は、と口元が緩んだ。生きて、ね。生きるわ。全力で生きてやるよ。お前のために。お前だけのために、俺は生きてやる。

 ぐ、と僅かに自由になった左手で#名字#の腕を掴んだ。お前の個性のお陰でだいぶ傷は塞がっている。俺は腹筋を使って起き上がり、未だ呆然としている#名字#の顔面を鷲掴んで蛇口みたく垂れ流しになっている涙をべろりと舐めた。ひ、と#名字#が悲鳴のようなものを上げたが無視だ無視。

「……誰が死ぬかアホ」
「わ、私の個性のお陰でしょ!」

 吃驚して涙は止まったようでわずかに安心する。それににやりと笑みを返し、俺は震える足を踏ん張ってふらつきながらも立ち上がった。今の俺は無様な告白を聞けて存外気分が良いらしい。こちらを見上げる#名字#の頭をぐしゃぐしゃに撫で回し、口元だけを綻ばせた。

「行ってくる。留守は任せたぜ、俺のヒーロー」

 大きな黒目がちの瞳を真ん丸にさせてアホ面を晒す#名字#がこんなにも愛おしい。
 絶対帰ってきてよ! と叫ぶ声を背中で受け止めて俺は走り出した。



Thanks 赤川様