たぶんずっと、きっともっと

――大きくなったらヒーローのお嫁さんにして。


まだ男女の違いも分からないような幼い頃。私がまだ純粋無垢で可愛かった頃。私は、寧人にそんなお願いをした。しょうがないなって頷いてくれた寧人に小指を差し出して、二人でゆびきりげんまんを歌ったっけ。
今となってはお互い思い出したって口にできないそんな日のことを、私は今でも夢に見る。








「名前は本当可愛くないよね」


もう何度目かの夏。クーラーの効いた部屋で、ベッドにもたれながら寧人が独り言のようにそう呟いた。

「ちょっとどういう意味」
「そのまんま………あっ、しまった、名前が話しかけるから凡ミスした」
「先に話しかけたのは寧人でしょ」

ベッドに座って雑誌を読んでいた私は「聞き捨てならない」と雑誌から寧人へと視線を移す。
かちかち、ぴこぴこ、寧人の手元から聞こえてくる音はそのまま。寧人の視線もこちらへ向くことはない。さっきからこの男はずっとゲームに夢中なのだ。
寧人が突然私を貶すなんてのはよくあることだから別に気にしないけど、なんだか癪に障るのでちょっと強めに頭を小突いておいた。


私と寧人はいわゆる幼馴染というやつで、高校生になった今でもまあそれなりに上手くやっている。
中学生の頃は周りに囃し立てられるのが恥ずかしくてよそよそしく接していた時期もあったが、何だかんだメールで連絡は取っていたし家も近所なせいか小さい頃と変わらず二人で遊ぶことも少なくなかった。
ゲームが好きな私の影響か、ほぼどちらかの家ばかりではあったけど。小さい頃寧人が男友達と公園で楽しそうにはしゃいでいる姿を見たときは、ああいつも私に合わせてくれてるんだろうなって嬉しくなったりもする。
昔は私も寧人も素直そのもので、恋愛的な意味はさておき好きだよとかずっと一緒にいようとかそんなことも言い合っていた。
もちろん男女というものの意味が分かってきた頃からはお互い言わなくなったし、何となく素直になれなくてバカやらブスやらと暴言が飛び交うことも増えたのだ。
高校生となった今ではもうそんな幼稚な言い合いも減ったけれど。


「昔はもっと可愛かったのに」
「…なによ急に」
「何となくだよ」

いつものすまし顔で寧人はまたゲームへと視線を戻す。
寧人が手に持って夢中になっているゲーム機は私のもので、そのセーブデータも私のものだ。数か月前までは私が一人でこつこつ進めていたのに、いつの間にか知らないアイテムが増えていたりゲーム内の通貨が減っていたりもした。さも当たり前のように鼻歌を歌いながら寧人が操作しているその画面を見たとき「それ私のデータじゃん!!」と悲鳴を上げたのが記憶に新しい。
ゲームに限った話ではないけれど、気付けば私の隣には寧人がいる。そんなことがもう当たり前のようになってしまった。
そういう日々が鬱陶しくならないのは、きっと私の心だけは昔のままだから。


――大きくなったらヒーローのお嫁さんにして。


その言葉が、また頭に浮かび上がる。
私のこの気持ちは、恥ずかしげもなくそんなことを言っていたあの頃と何ひとつ変わらないのだ。

ヒーローに憧れる私とヒーローを目指している寧人ではいつか進む道が全く違うものになって、過ごす時間も変わっていくのかな。
寧人は見るたびに背丈も伸びて、筋肉もついて、どんどん男らしくヒーローらしくなっていく。まあ、そうだよね。努力してるんだもんね。自分が努力していないかと言われるとそうではないけれど、鍛えられた彼の背中がこうもあからさまに目に見えてくると少しは不安になったりもする。
体を倒して枕に顔を埋めれば、なんだか一緒に居る今でさえも寂しいような気になった。

いつか寧人も立派なヒーローになって、私のことなんか忘れてしまうのだろうか。


「……かわいいっていってよ」
「え?ごめん聞いてなかった」
「……なんでもない、ばか、しね…」
「何拗ねてるのさ」

枕に頭を預けたまま、閉じていた目をうっすらと開ければ寧人の後頭部が視界に入った。
寧人はそりゃもうあからさまに成長してるけど、私だって寧人から見たらきっとそうなのだ。いつの間にか私たち大きくなったんだな、なんて眠くなってきた頭でぼんやりと考える。

「…大きくなったなぁって思って」
「何の話?」
「……年齢?」
「まぁ僕らもう高校生だし、大きくはなったね」
「……うん…」

じゃあお嫁さんにしてよ。
寧人にバレないように口をそう動かした。
当たり前だけど反応はない。

「………寧人」

今度は声に出して彼を呼んだ。なに、という返事すらなく寧人の視線だけがゆっくりとこちらに向けられる。
目が合って、寧人が少しばかり目を細めたような気がした。

「名前はさ」
「…え、なに」

私をじっと見つめる寧人の視線がいつもと少し違うような気がして、一瞬だけど怯んでしまう。
あれ、寧人ってこんなに顔整ってたっけ。
そんなことを一瞬考えたが、すぐに寧人の口が薄く開かれて私の頭は真っ白になった。

「いつまでそうやってそこに居てくれるんだろうね」
「…、……」
「本当、可愛くないよ」
「は…?」

いつの間にかゲームを置いて私の髪に手を伸ばした寧人に、私は過剰なくらいびっくりして肩を揺らす。
こんな真剣な顔は初めて見た。寧人ってこんな顔もするんだ。寧人の言動に警戒しつつも変なところに関心する余裕はあるようで、私はもう一度「寧人」と口にした。

「…今日の寧人、なんかいつもと違う」
「変なのは名前もだけどね」
「変だなんて言ってないんですけど」
「いたたた」

右手で頬を抓ってやれば寧人はいつもの表情に戻って私の腕を掴む。
触れられた手にどきりとして体が固まったけど、きっと寧人は気付いていないだろう。

その掌は、私からしてみればもう立派なヒーローだった。
大きくて温かくて、誰だって救ってしまえそうな心強い手。
私が憧れたヒーローは寧人そのものなのだ。


「可愛くないから、安心するんだって話」
「…はい?」

何を言い出すかと思えば、寧人は私に抓られた頬を摩りながらそう零す。
意味が分からなくて首を傾げると寧人はまた私に背を向けて、小さな声でぼやくように言った。

「昔みたいに可愛いままじゃなくたって、こうして一緒に居てくれるんだから」
「?………うん」
「まだ理解してない?相変わらずアホだね」
「う……、……っるさいな」
「何で溜めたの」
「……理解したの」
「あぁ、そう」

それってつまり私が居てくれることが安心するって意味、なんだと思う。
そう理解したとたん急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。
寧人は相変わらず私を馬鹿にするように小さく声を出して笑っている。あー幸せだな、やだな、寧人のそういうところが好きなんだよ。言ったって信じてもらえないけど。

枕に顔を埋めて目を閉じれば、嬉しいのか寂しいのかわからなくて涙が出そうになった。


「じゃあ寧人が今と変わっても…寧人は私と居てくれるの」
「………」
「……いや、いやなんか言ってよ」
「…居るんじゃない?」
「何で溜めたの…」

私が無理やり言わせたみたいでいたたまれないんだけど、と続けようとして顔を上げれば、今度は寧人と目が合うことはなくて。
どうやらまたゲームに夢中になっているらしい。もしかしなくても生返事だったのではないかと思ったが、変わらぬ声色で寧人が言った言葉に私はまた顔を熱くさせる羽目になる。


「だって昔、約束したし……それ思い出してただけ」
「…え?」
「えって何。名前が言い出したのに」

まさか忘れた?と聞かれて、私はもう何が何だか分からなくなる。
過去最高に寧人には見せられない顔になってる気がして私は寝転がったまま寧人に背を向けた。

「まぁそれなりに大きくはなったけど、まだヒーローじゃないから。もう少し待っててもらうことにはなる…けど」
「………」
「…黙ってないで何か言ってくれない?僕だってこれ結構恥ずかしいよ」
「あっ、はい……あの」

もうシーツと壁しか見えないけど寧人が私の背中をじっと見つめているのが分かる。痛いくらい視線を感じてあまりの恥ずかしさにこのまま死んでしまいたくなった。
ずるいよ寧人それは本当にずるい。
だって寧人は、そういうおままごとみたいな昔の約束事を今でも大事にするような性格じゃないじゃん。そう思ってたのに。
そんなのもう昔の話でしょって、切り捨てられていると思っていたのに。



「……今朝…その時の夢見た」
「…へえ」
「…だから、変だったのかもね」
「まあいつも変だけど…痛ッ」
「ほんと寧人のばか……」
「えっ、名前もしかして泣いてる?」
「泣いてない」

寧人がベッドに体重をかけたのか、ぎしりと小さく音が鳴ってついに私は泣いてしまった。
こんな寧人が、いつかヒーローになって色んな人の命を救うんだなって思ったら、たまらなく心が満たされた。今だけは寧人にとって特別な存在であることに優越感を抱かせてほしい。この男が世に出るまでは、ううん世に出たとしても。寧人を一番想うのは私でありたい。
幸せのあまり溢れた生ぬるい涙を拭おうとした手はいつの間にやら寧人にがっしりと掴まれて、挙句の果てに泣き顔まで拝まれてしまった。

私の涙の意味に気付いているのか、寧人は満足そうな顔で
「その泣き虫は一生変わらないだろうね」
と言って笑った。
ああきっとあの時も、私は寧人のこんな笑顔を見て、あんな言葉を口にしたのかな。





「絶対……絶対、世界一のヒーローのお嫁さんにしてよね」



もう男女の違いだって分かっているし、私は純粋無垢ですらなければ可愛くもなくなってしまったけれど。しょうがないなってあの頃と同じように頷いてくれた寧人に小指を差し出して、二人でそっと約束し直した。
誰も知らない、私と寧人だけの変わらない約束。


たぶんずっとこの想いは変わらなくて、それどころか、きっともっと寧人を好きになってしまうのだ。



央様