生チョコレート

 遠征から帰還し、夕餉を済ませた日本号は審神者からの呼び出しを受けて気だるげな足取りで廊下を歩く。
 厨から漂う甘い香りに短刀脇差に打刀や太刀が賑わう声を聞きながら、審神者の部屋に続く廊下を渡り途中階段を登って部屋につく。

「俺だ、何か用か?」

 閉まっている襖の前で一言声をかければ、どうぞ入ってと澄んだ声が返って来た。
 入室の許可を得て襖を開けると、端末機を卓上の上に置いて向かい合わせになるよう審神者が細い身体を向けた。
 彼女の前には予め座布団を用意してくれてか、入ってから遠慮なくその上に腰を下ろして胡座をかいた。

「遠征お疲れ様でした。急に呼び出してごめんなさい」

「構やしねぇよ。で、用ってのは?」

 用件を聞くと、何処からともなく小さな包みを日本号の前に差し出した。淡い桜色の包装に赤い紐で結ばれた小箱だった。

「何だこれ?」

「あ、開ければ解ります」

 答えない審神者に特に追求せず小箱を手に取り紐を解く。包装を取り除き蓋を開ければ、焦げ茶色の塊が視界に写った。その箱を開けた瞬間に嗅覚を擽った。厨から流れてきた甘い香りと同じものだった。

「甘味か」

「チョコです。良かったら食べて下さい」

 綺麗に四角形の形を作り、粉末状が表面に降りかかっていて、その数は全部で12個。まじまじと焦げ茶色の塊を見ながら、一つ指で摘まんで口の中に放り込んだ。
 滑らかな舌触りと粉に混ざって香ばしい苦味と甘味が口に広がる。噛もうとすれば熱で溶けて瞬く間に液状となって形を失う。香りと二つの味が何時までも口の中に占拠していた。

「美味ぇな」

 元々甘味は好きだし、燭台切や審神者が作る菓子は美味な物ばかりだ。馴染みのおやつから南蛮の菓子まで作ってくれて、夕餉の後の菓子は酒を飲む他にも楽しみの一つであった。
 率直な感想に審神者の表情が花咲くように明るくなった。

「それは良かった」

「飯の後にもあいつらに配ってたが、今日は何かあんのかい?」

 素朴な疑問を問えば、咲いた花が羞じらいで色づくように頬が赤くなった。

「あの、きょ、今日はバレンタインと言うことで日頃から頑張ってる皆さんに少しでも労いが出来たらと思って……」

「何時も作ってる甘味とは違うのか?」

「え、えぇ。本来異国の行事と言うか、祭日みたいな物です。異性が意中の方に想いを伝え、大切な方への感謝と敬愛を込めて贈り物をする日でして……」

 澄んだ声がしどろもどろと歯切れが悪くなりつつ今日がどんな日かを告げた。

「異性って言ったって、本丸じゃあ野郎しかいないだろ? 燭台切から貰って惚れ込む奴なんているのか?」

「それは言ったら駄目です。大丈夫です、私からも皆さんに配っているので……」


 その言葉が脳裏に引っかかった。異性が意中の者に贈る――つまり審神者の意中も含み全員に今配っているとなると、自身もその内では? そう考えると胃に鈍い痛みが沸いてきた。

「配ったって事は誰彼構わずか?」

「そっ、そんなつもりはありません! 労いを兼ねてです。
 あのっ、誤解無きよう言いますが、今日本号が食べたチョコは内緒で作った物です! 光忠さんに教えてないし見てないですし、長谷部も知りませんっ!」

 ふと思った発言を審神者が強めに捲し立てながら反論を返した。直後に羞恥が遅れてやってきて耳まで赤に染めて俯いてしまった。
 そして自身にだけと発言を聞き胃の鈍痛が嘘のように消え、酒を飲んだ時と同じくらいの高揚感が全身を巡らせた。
 それもそうだ、刀と審神者と言う主従関係の壁を越えて一つの男女関係を楽しんでる日本号からすればこの日は格別の日であると言う事だ。小さな妬みで台無しにするのは無粋だ。

「また粋な計らいじゃねぇか。食って良いんだな?」

「その為に作りましたので……」

 俯いてからの上目遣いに自然と口角が上がって、次のチョコを口に頬張った。

「指で食べると汚れますよ。トゥスピックありますから」

「何でも南蛮の言葉いれんなよ」


 青色の楊枝を差し出しても構わず指で摘まみ、審神者の目前に差し出す。

「え?」

「食うか?」

「あのっ」

 突き出されどんどん近づけて口元にくっつけてきた。

「ほれ」

「あ、ちょ……ん」

 熱に溶けるのを解ってか否か、渋々口を開けると軽く押し込まれる。
 甘い、甘くて美味しい。自分で作っていながらこんな味だったのだろうかと口に広がる甘さを堪能しながらゆっくり咀嚼する。

 その後も日本号は一つ摘まんで食べて自分が食べ終えれば審神者の口にチョコを入れる。
 そんなやり取りを繰り返していく内に身体が前へ進み、気付けば密着する程の距離だった。
 残り少なくなる頃に審神者の手を引いて抱き寄せられ、日本号の胸元にすっぽりと収まる。足りなかったパーツが一つになって合わさるように、満たされる感覚が温かい安堵を呼んだ。
 大きくて広い胸元に頬を寄せて埋めてみた。まだお酒は飲んでいないのであろう微かな男性の体臭が鼻を擽った。
 一粒食べて咀嚼し終える彼の顔を見上げて気づく。


「日本号」

「あ?」

「口元汚れてる」

 食べるのに夢中だったのか日本号の口角に粉がうっすらとついていた。手を伸ばして指先で粉を拭い取ると、眉を潜めて苦い顔で見下ろした。

「ガキじゃねぇんだから」

「でも美味しそうに食べてくれて嬉しい」

 くすりと笑えばプイッと顔を反らされた。
 否定するものの本当にそう見えてしまう。壮年の表情から垣間見る意外性が胸の高鳴りと母性に似たお節介が擽らせてしまう。
 拗ねた口調でありながらも機嫌を損ねることはなく、続けて審神者の口にチョコを軽く差し入れる。何となく餌付けされてるような気分になるけれど、嫌では無かった。

 あと一粒。あっと言う間に完食となってしまうのを見た日本号は咀嚼を止めて暫し黙考する。やがて手を伸ばし、最後の一粒を摘まむと審神者の唇に持って来た。

「どうぞ食べて?」

「いや、あんたが食いな。それ貰うから」

 言っている意味が解らない、だがその考えもすぐに消えた。


 口にチョコを差し入れられて噛もうとした瞬間、大きな片手が顎を引き上げて日本号の顔が一気に近付いた。逃げる間もなく唇を塞がれ、無遠慮に舌が侵入してきた。

「んっ……ふ」

 突然の口吸いに抵抗も忘れて混乱する審神者に構わず、器用に舌の上のチョコを転がしながらゆっくり溶かす。
 生温かい舌がチョコの味と舌の柔らかさを楽しみ、角度を変えながら溶けて無くなったチョコの後味を飲み込んだ。

「ふぁ……」

 鼻にかかった声が漏れて、唇を解放されるも一瞬だけ。また日本号の唇が塞いで口内に舌が入り込んだ。
 今度はチョコではなく甘くなった舌を味わうように舌を絡めて押しつけられた。
 口吸いを甘受する内に酸素が足りなくなって脳が理性を麻痺させる。
 口から漏れる空気と絡む舌が熱くて時折くちゅ、ちゅっと、粘着質のある水音を立てて頬と耳が熱くなってじんじんする。
 甘くなった唾液を飲み込み、また溢れてくる唾液が溺れそうな程の甘い苦しみを生んで身も心も熱くて溶けそうになった。
 漸く解放されて空気を肺に送っても互いの吐息が熱く、扇情的で猟奇的な紫藍の目が此方を捕らえて離さなかった。

「美味かったぜ、ご馳走さん」

 軽く舌舐めずりを見せて抱き寄せていた身体を静かに解放して立ち上がった。

「ひとっ風呂浴びてくるわ、また後でな」

 足音を鳴らして部屋を退室する日本号の後ろ姿を見送り、遅れて全身が恥ずかしさで熱くなった。
 甘い時間が過ぎ去って、けれども『また後で』の言葉がまるでチョコレートに似ている。
 一口食べれば美味しくて、でもあっと言う間に溶けてなくなる。また食べたくてもう一度口に含んで甘味を堪能する。

 ああこの後はもっとあの人と蕩け合う時を刻むのか――そう思うと身体中が恥ずかしさで溶けそうになった。
 残った小箱を片付けよう、徐に立ち上がって少しでも熱を追い出そうと小箱を手にとって足早に部屋を出た。



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