▼可愛い子には何とやら 「随分腑抜けた顔ですこと」 「あ、姉上…」 背後から聞こえた声にテオドアは全身を震わせゆっくり振り返た。 此処は自室の筈だが何故、と言う疑問よりも先に嗚呼またか、と言う答えが生まれるのにテオドアは肩を落とさずにはいられない。 そこには自分と顔の良く似た女性が仁王立っていた。 テオドアは一言呟いては一気に血の気を引いていく。 姉。そう、彼女こそこの部屋の案内人の1人でありテオドアの一番上に蹂躙する姉、マーガレット。 彼女はテオドアが永遠に逆らえぬ絶対的な何かで彼の前へ常に君臨しており、彼にとっては姉弟というよりただ逆らえない存在だった。 そんな不穏な関係に彼等をしてしまった原因はほぼ彼女ともうひとりの姉の様々な行動が確実に関係しているのだが、彼女らに自覚を促すのは好条件の最上位ペルソナを創るより遥かに難しいとテオドアは思う。 自分を見て分かり易く怯えるテオドアにマーガレットは片眉を上げた。 「そんなに緊張しなくとも、姉は貴方をとって喰ったりはしないわ…精々天井から吊り下げて干す、程度かしら」 「とって喰うより質が悪いです、姉上」 ほくそ笑むマーガレットに彼女の言葉を頭で展開しては恐ろしくて動揺に目を泳がすテオドア。マーガレットはまさか、と微笑していたが彼女なら確実にやりかねないとテオドアは心の中で叫んでいた。 「そんな事より貴方、自分の今の顔見たのかしら?」 「身だしなみには気をつけていましたが‥何か不適当な所が?」 マーガレットが言うとテオドアは2、3度瞬きし自分の見える範囲の服装を確認する。勿論特にいつも通り、埃すら付いてはいないので彼は首を傾げた。 するとマーガレットの目が鋭くなり彼女はテオドアに詰め寄る。 「身だしなみ以前の問題よ」 「?…っ!?」 そう言いため息吐くと、マーガレットはいきなりテオドアのネクタイをひっ掴んで自分の方へ勢い良く引っ張り上げた。 不意打ちにテオドアは脳と体を揺らされ目を見開いて驚く。マーガレットの怒りにも似たような形相が間近なのに彼は悲鳴上げそうになった。 「お客人がほんの1日や2日来ないだけでそんなショボくれた顔するなら私が替わっても良くってよ?」 「も、申し訳ありません姉上…申し訳、ありませんから、放して、下さ‥その‥首、締まってます」 マーガレットは眉間に皺を寄せ言いながらギリギリとテオドアのネクタイを上へ引っ張り続ける。当然彼の首は締め上げられるので、テオドアは苦しさと恐怖で顔を青くし素早く両手上げ降参をしてみせた。 するとマーガレットは鼻を鳴らし顔を離すとテオドアのネクタイからも手を放す。解放されたテオドアは大きく深呼吸して胸を撫で下ろした。 「その顔が消えるならいっそ締めてやりたいくらいだわ。全く、寛大な姉をもって幸せねテオ」 「‥は、はい。寛大な対応、感謝致します」 マーガレットは、全く愚かだと言いたげに呆れている。 良く分からぬ理由に理不尽だと思いつつもとりあえずの身の危機は脱したのに、安堵も含めてテオドアは彼女に感謝していた。 そんな中マーガレットは口元に手を当て何やら考え込む。 「それにしても、どんな子なのかしら。貴方を其処まで腑抜けにしてしまう魔性のお客人は…」 「嫌な肩書きをあの方に付けないで下さい姉上」 マーガレットは自分に最近出来た客人の話をしに来たらしいと、テオドアは気付いてから更に嫌な予感がしてならなくなった。 客人である少女の事には特に姉達には触れられて欲しくないと思うテオドア。 彼は姉達の客人に対する接し方が少々色んな意味で自分より過度だと思っている。その為自分の客人に対しても容赦なく何か言ってくるだろうと危惧したのだ。そして案の定なマーガレットの発言にテオドアは苦い顔をする。 同時に何故そんな話を切り出してくるのかと彼には不可解だった。 「そんなに吊されたいのね」 「そ、そうではありません…ですが」 「従順な弟が意見する程に魅了させてしまうお客人‥益々気になるわね」 「姉上、私は別に‥」 マーガレットはにこりと微笑み親指立てて上を指す。テオドアは身震いして首を横に振るがまだ何か言いたげだった。それをマーガレットは彼にしては挑戦的だと目を細めながらも何処か愉しげである。 「ならその子に魅力は無いと?」 「そんな事は有りませんが…」 マーガレットが首を傾け口の端を上げる。テオドアは多い困っていた。 すると再び、今度はゆっくりとマーガレットはテオドアに詰め寄っていく。 「ねぇ、貴方‥気付いているのではなくって?」 「何を、ですか」 「私は素直な弟が欲しいわ、何事にも」 「ですから‥な」 「好きなんでしょう?その子の事」 マーガレットの遠回しな投げかけにテオドアは困惑するばかり。全く悟りもしない彼にマーガレットはため息ついて、とうとう核心的な言葉を彼女は放つ。 マーガレットの言葉にテオドアは大きく目を見開いてたじろいだ。 「何をいきなり‥そ、そんな事は…」 「私も主も別に気にはしてないのよ、貴方が何を思おうが仕事に差し支えなければ…まぁエリーは面白がるかもしれないけれど」 「何を…」 「どんな些細な想いも絆も、全てはお客人の心を育む礎となると思っていますもの」 「姉上…?」 テオドアは自分の鼓動は部屋中に轟いているのではないかと一瞬心配になるくらい自分が動揺しているのに焦った。 そんなテオドアの様子に、今頃気付いたのかと思うもこれで話は進むとマーガレットは微笑する。 テオドアの様子がおかしいと見抜いたマーガレットがその理由は彼の客人にあると気付いたのには差ほど時間を要さなかった。 恐らくそれはまだ妹も気付いてはいないだろうと彼女は思いながら、自分だけが気付いているそれに少しの興味と面白さを感じては日々の変化を期待する。マーガレットとしては彼の私情が特に禁じられたものであるという考えはない。寧ろ実に愉快な話が舞い込んだとさえ思っていたくらいだ。 しかし、待てど暮らせどテオドアは毎日同じ顔。しかも情けなく思い詰めるような悩ましげな顔しかしない。 そこで弟を労らないのは案内人として客人を第一に考えているからか、ただ弟に呆れているからか。どちらにせよマーガレットが何の進展も見せないテオドアに痺れを切らしたのは言うまでもなく。 一方マーガレットに改めて自覚させられたテオドアは自分では気づかぬうちに顔を赤くしまだ認める事自体に迷いを見せながらも、ならば一体どのように茶化されるのかと怯え気味だった。 しかし意外や意外、マーガレットの言葉は真面目に語られている。 それはテオドアを馬鹿にも面白がりも、果ては否定さえもしてはいなかったのに彼は混乱するような気持ちで唖然としていた。 これではまるで自分を応援しているかのようではないかと。 「だからそんな悩ましげな顔はお止めなさい。誰が貴方を咎めると言いました」 「…ですが姉上」 マーガレットが心底うんざりとした顔でため息吐く。 テオドアは暫く黙って目を見開いていただけだったがそのうち目を伏せるように俯き沈んだ顔をした。 それは自分がいつも見ていた顔だとマーガレットは眉を顰める。 「この気持ちは‥この想いは…姉上が思うよりもずっと、綺麗な想いばかりではないのです‥」 「…」 「それこそ彼女の進む道を閉ざしかねぬ程…」 「そんなに重症だったの貴方」 募れば募る程、気持ちは領分を越え渇望する心が湧くと。 苦しげなテオドアの言葉は言う程に彼自身を苛んでいるようだった。 マーガレットが少し驚くように呟くと彼は苦笑する。 「案内人としてお恥ずかしい限りですが」 「でもそのくらいが良いんじゃなくって?拒絶されて崩れる関係ならそれまでなのだし」 「私は‥あの方に拒絶されても姉上の様にさっぱりとした顔をする自信は、ない‥です」 「貴方さり気なく喧嘩売ってるの?」 マーガレットが平然とした顔で聞けばテオドアは落ち込むように答える。 恐らく彼は無意識だろうが、若干遠回し気味に自分は冷めた女だと言われた気分でマーガレットは苦笑に口の端を吊り上げた。彼女の微かな黒いオーラにテオドアは後ずさったがマーガレットはため息吐くだけで何処か困ったように感心している。 「全く‥気弱なクセに言うことは言う。けれど本当に伝えなければならない言葉は出て来ない」 「…返す言葉も有りません」 「‥まぁそれが私達の弟だから仕方がないことだけれど」 マーガレットが目を細め腕を組みテオドアを横目に見れば彼は萎縮したように俯く。 何とも頼りないと思いがらもマーガレットは微笑した。 「あのねぇテオ、後悔先に立たずとなっては遅いのよ?」 「ですが私達住人はあの方とは住む世界が…」 「貴方は逃げているだけです。この部屋と自分の存在を理由にするのはお門違いだわ」 「…」 「それとも貴方、本気ではないんじゃないかしら?所詮は外の世界に憧れただけ…」 「姉上」 言い聞かせるようなマーガレットにテオドアは未だ躊躇いを返す。するとそれを彼女は鋭く突っ返した。 何も言えなくなったテオドアにマーガレットは今度は挑発じみた言葉を仕掛ける。 すると彼の表情が途端に変わり彼は彼女を少し睨むようにしてきた。 「いくら姉上と言えど、私も我慢出来る発言と出来ない発言が有りますよ」 「なら…これ以上言われたくないのならけじめをつけなさい」 「っ……は、い‥」 自分の気持ちを貶されるのはまるで彼女を貶されるようだとテオドアは怒りに似た感情を抱いてマーガレットを見た、それはまさに力を司る者の瞳。 それを見て少しは増しな顔も出来るではないかと一瞬表情和らげてから、マーガレットは彼より数倍鋭い瞳で睨み付けて返す。 それには敵わずテオドアがまた肩を震わせ目を泳がすと彼女は深くため息を吐くのだった。 そうして、おおよそ自分の云いたかった事を言いたいだけ言い放ったマーガレットはテオドアの部屋を後にする。 自分があれだけ言っても彼が動くかどうかは分からない。そう思うのは確かに彼の悩む理由も、マーガレットには同じ存在として分からなくはないからだ。 それでもその背中を押してやる理由をマーガレットは考えてみる。 そんなのは至極簡単な話だった。 どんなに弱かろうが情けなかろうが弟には変わりないのだから。 姉としてのこれは単純な心配なのだ。 「私も案外甘いわね‥弟の恋の後押しなんて」 今日の自分の仕事へ向かう中マーガレットはそう呟く。 そして、愚弟を結局はほっとけない自分こそ愚かだと、彼女はひとり笑うのだった。 もどかしい (さっさと言ってしまえば 良いものを)(出来るならそう しますよ) (意気地のない子)(姉上…) |