▼募り、恋し ―いつから思うようなったのでしょう 貴女がこの部屋から出ていく度に、寂しさが募るなんて― その悩ましげな顔も。素直な笑顔も。 見ていては飽きないからほんの少しでも、長く見ていたいと思うのは本音で。 けれどそんな事を思う自分がいることに私は戸惑いを隠せずにはいられない。 何故ならそれは私にはあってはならぬ感情だからだ。 「よしっ、これで良いです!」 「今日はいつもよりお早く出来ましたね」 大分ペルソナを扱うことにも慣れた彼女は今日もこのベルベットルームで繰り返し己の心と向き合う。 その表情は以前と比べ飛躍的に穏やかに気を許したように思う。むしろ生き生きと輝いて充実さえ窺えた。 見ている此方までが嬉しくなるようで私は彼女をいつまでも見続けている。 けれど今日はそんな時間もほんの一握にしかならないような気がした。 どうやら早々に上手くいったようで。なら彼女はもう此処にいる必要は無い。 そう思うと途端に胸が締め付けられた。 どうしてそんな痛み抱くようになってしまったのだろうと我ながら呆れる。 「うんっ、ラッキーってやつかもですね」 「それは、良かった‥」 彼女は笑顔で話していたと言うのに。 私は自分でも苦笑いせざるを得ないくらい声に極端な落ち込みを含ませていて。 けれどそんなことは彼女が部屋から消える虚無感には、勝ることがないから私はそのまま弁解も出来ず無言だった。 「テオさん?」 「‥え?あ、これは失礼を‥お客人を前に考え事をしてしまうなんていけませんね」 彼女の心配そうに私を呼ぶ声で必死に自分を正常に働かせようとする。 そんな私は恐らく空回りしているような気がした。 彼女は尚も心配した様子で私を見上げている。 嗚呼、それ以上その瞳を私の為に揺らさないで欲しい。 それに瞳を合わせればきっと彼女以上に私が揺らされてしまうから。 「疲れてるんじゃないですか?表情あんまり優れてないですよ?」 「申し訳ありません」 「や、あの責めてる訳じゃないんです。ただ心配で‥」 「‥私のような者にご心配などなさらなくとも良いのですよ、貴女の為の‥貴女あってこその私共なのですから」 彼女が立ち上がるようにして身を乗り出し私に触れようとした。 とっさに首を横に振り不自然がられぬ程度に半歩身を引いて頭を下げる。 彼女は慌てて手を振り否定をしていた。 彼女が申し訳無く思う必要も、私を心配する必要も有りはしない。 だから私の言った言葉は正しかった筈。 なのに何故、心の痛みは増すのか。 彼女が少し悲しそうな顔をした。そんな顔、彼女には似合わない。 「でも、心配しますよ…だって私の為にここの皆さんは協力してくれて、それはすっごく助かってるから…」 「桜様…」 「だから…私だってそんな皆さんのことは誰よりも心配したり分かってあげたり、したいっていうか‥」 真摯でひたむきな彼女の声は酷く優しい。 客人はもてなされる者。それだけで構わないのだ。 なのに彼女は私を、この部屋の住人全ての身を案じて下さると言うのか。 客人がいてこそのこの身に個としての意味を与えられた気がした。 それはとても喜べる筈なのに同じくらい苦しみが増していくばかり。 私は今自分がどのような顔をしているのか分からない。 分かりたくも、なかった。 「へ、ヘンなこと私言ってますか?」 「…いいえ。ただその様なこと、この部屋で過ごしている中で言われたことが無かったもの、ですから‥その…」 彼女の不安そうな声に我に返って首を振る。 私の心に渦巻くのは純粋な戸惑いだけではない。複雑に様々な感情と呼ぶべき嵐が渦巻いて呑み込まれそうだ。 いっそ呑み込まれてしまえばなんて、愚かな考えまで浮かぶ始末。 全くそんな考えで案内人を勤めるなど失礼にも程がある。 そこまで思うと彼女の声で意識が呼び戻された。 「そ、そんな顔しないで下さい」 「私はどの様な顔をしていましたか?」 「何だか凄く、苦しそうに見えました」 「苦し、い‥?」 重症だ。そうとしか言いようがない。 何て恥ずかしいことを告げられているのだ。 「最近テオさんは帰りがけによくそんな顔しますね」 「私としたことがとんだ失礼を‥」 「良いんですよっ‥ただ、何かあるなら言って欲しいです。私に出来る限りの相談は受けますから、ね?」 私の手を取り彼女は優しく微笑んだ。 彼女のその手も心も温かいのが分かる。 優しさが残酷だなんてそんな矛盾を、何故この感情はもたらしてくるのだ。 「お気遣い有難う御座います‥ですが、本当に大丈夫ですよ」 私が微笑すると彼女は手を放す。 きっと彼女は察してそれ以上詮索しようとしなかったのだ。胸が痛みつつも彼女に要らぬ考え事はさせたくない。させるべきではない。 けれど私の切り捨てるようなこの言葉が良いものだったのかどうかは、私には分からなかった。 彼女が部屋を後にしようとする。 今日最後の彼女の姿。 次と言う機会を私はこの時間という概念のない部屋で過ごさなければならない。 必ず訪れてくれると思えば短いが、待つ間は途方もない。 嗚呼、また私は寂しさを感じてしまう。 そう思うと、口が勝手に開いた。 「桜様…」 「はい‥?」 「‥いえ。では…またのお越しをお待ち申し上げます‥」 どうしたかったのだろう。 呼び止めてどうにかなるものではないのに。 私と彼女の境界線はその扉1枚隔てた世界の違いだけではないのだ。 互いの存在自体に壁があるのだから。 私はやんわりと笑みを浮かべ首を振り一礼した。 するとすぐ近くで彼女の声がする。自分の足元に影が重なった。 「…テオさん」 「はい」 私が顔を上げると彼女は何やらスカートのポケットに手を入れ探し空いてる手で私の手を取ると、ポケットから何かを掴んで来たその手を私の掌に乗せてきた。 彼女の手が離れると其処には淡い色の包み紙が両端を捻られ何かが包まれた差ほど大きくない物体が2つ。 「これは?」 「今日はあんまり種類持ってないんですけど…」 「桜様‥?」 形状、感触からしてそれは飴玉だろう。 どうしてこんなものを、と言いたげだっただろう私の顔に彼女は少し目を泳がせ恥ずかしがっているように見えた。 どう言うことなのか分からないでいると、彼女は柔らかくそれは明るく笑った。 「次来るときはもっといっぱい持ってきます。楽しみにしてて下さい、だから…」 私は目を丸くした。 何を言って良いのやら。上手く口が回りそうにもない。 そうこうするうちに彼女は俯いてしまった。 「その‥こんなので気分転換は無理かも、ですけど…元気出して欲しいって言うか…」 「…」 「やっぱりへ、ヘンですね、私…」 彼女は軽く笑って首を傾げた。どうやら私を精一杯の気持ちで励まそうとして下さったらしい。 飴玉でなんてまるで子供扱いではないかと、思って苦笑したのは最早自分の照れ隠しだと思う。 この気持ちは上手く隠せているだろうか。 単純で難解なこの気持ちは。 嗚呼、その優しさが嬉しくて嬉しくて、切ない。 「…いいえ。此方は大切に…大切に味わいたいと思います。ですから‥」 私は貰った飴玉を大切に握り締める。 一介の案内人にこの様な気遣いは要らない。 案内人だから? 否、そうではない。 私自身が望んでいるのは。 嗚呼、衝動が止まらない。 「お早くに…またお越し下さい」 「…はい」 口に出して彼女の返事を聞いてから顔に熱が上がった。 扉が開かれて閉まる音がする。最後彼女がどんな顔をしていたかは思い出せなかった。 「何を言ってるのでしょう、私は…」 自嘲しつつも心は少し軽い気がした。 悪くないと思う私は浮かれているのか。 さて、どうしたものか。 彼女から頂いた此でこの寂しさ紛れるなら。 勿体無くて口には出来ない。 ―愚かだと知っている それでも気持ちは 抑えることが出来ない― さびしい (いえ、苦しいのです) |