▼始まる


「お手を」

「え、ココ外ですよ?」

「えぇ勿論承知しておりますよ。ですから、尚更です」

「えっと‥えと」

「?」


―それに彼は気付かないし悪気もない。
だから彼女はひたすら困るのみ。

それでも真っ直ぐな彼を断ることは出来ないから、彼女は彼の手を必ず取るだろう―





最早慣れたいつものベルベットルーム。

いつだかテオドアに1度外を案内したところ非常に喜ばれた桜。それきりだと何故か勝手に思い込んでいた彼女はまさか次もあるとは思っていなかった。

ある時妙に強調された新着依頼に目が行き内容を読んでから桜はテオドアを見上げる。
そこには“勿論連れて行ってくれますよね”と、言わんばかりに飛びきりの笑顔を湛える彼がいた。

一体誰がそれを裏切れると言うのだろう。


そうして結局桜はテオドアを連れ2回目の案内へと駆り出された。
今回は厳戸台駅前商店街。テオドアがどうしても気になる物があるという。
モノレールから降りエスカレーターに躊躇するテオドアを苦笑いしながら桜は彼と共に商店街へとやって来た。
テオドアは前回同様ひたすら桜を引っ張っては相変わらずのズレを生じた知識で彼女を悩ませつつ様々な店を回る。
更に彼女を悩ませるのは彼が常に自分の手を繋いで回る事だった。
テオドアのエスコート精神が彼の性格の範疇であるとやっと理解した桜ではあったが、外ではどう言われてもやはり複雑に思えずにはいられない。桜はそんな落ち着かぬ気分であまり周囲を見ずにテオドアに引かれて行く。

そうこうしながらテオドアはまわり尽くした最終にある店ではたと立ち止まった。


「素晴らしいですね。この色、艶、香り、そして味…どれをとっても最高の値です」

「そ、そんなもんなんですかねぇ…」

店の前のベンチで2人、並んで座れば少し奇妙な光景。
桜が買ってきた温かい箱を開ければ揺れるかつお節達が乗るソースの香りが食欲そそる丸くて茶色い物体。
桜もここ最近通うようになったこの商店街で学生達の小さな話題となっていたたこ焼き屋オクトパシー。
そこのたこ焼きをテオドアは本日のメインとして所望していたのである。
商店街の各店のこともままならない彼が何故此処だけは知っていたのか、それは良く分からない桜だったが兎に角彼の念願を彼の前へ差し出してみることにする。
たこ焼きに楊枝を差し目の前で暫し見つめては香りをしっかり嗅いで口にするテオドア。目を閉じゆっくり咀嚼してたこ焼きを吟味している姿が何故か可笑しくて桜はこっそり笑っていた。
それからテオドはカッと目を見開いたかと思えば顔を綻ばせ、うっとりとした顔でたこ焼きを見つめ感嘆の声を上げる。どうやらたこ焼きを非常にお気に召したらしく、彼はその後桜と半分にした自分の分のたこ焼きを口に運びながら何かしら感動めいた言葉を口から独り言のように終始漏らしていた。
それを端から眺める桜は、たこ焼きでそこまで感動出来る人はそういないと妙に感心しつつも大袈裟でもあると微妙な顔をする。するとテオドアがいきなり自分へ前触れなくその首をこちらへ向けたので彼女は驚いた。

「美味しくはないのですか?」

「へ?そんなことないですよ」

「では、笑って下さい」

「えっ」

まじまじと見つめられながらテオドアに聞かれ桜は食べかけていたたこ焼きに口を近付けたまま止まる。
桜が首を横に振った後のテオドアの言葉に彼女は開いた口にたこ焼きを運べない。
笑えと改めて言われて素直に笑えるなんてことが出来るだろうかと桜は顔をひきつらせる。
するとテオドアは悲しそうな顔をした。

「やはりお好きではないので?」

「ち、違いますよ!そんなに見られると笑いにくい、と言うか…」

「見ていてはご迷惑でしたか‥」

「そ、そういう意味でもないんですけどっ」

しゅんとしてしまうテオドアに慌てて弁解するも上手くいかず更に彼を落ち込ませ桜は困った。
羞恥心の価値観、と言うより全てにおいて少し違う自分と彼の感覚の差違はどうしようもない。
自分の意見が間違っているとは思わないがテオドアの意見も決して間違いだとは思っていないので桜は参った。
様々悩みつつかくなる上はと、桜はたこ焼きに頼る事に。
なるべくテオドアを意識せず普段の何気ない学生がする買い食いを連想して桜はたこ焼きを口に運ぶ。
そうするとより意識したせいかたこ焼きの美味さが強く桜の口に広がった。
そうなればやはり食は強い。美味しい物を味わえば自然と彼女の表情は緩みそこには笑顔が生まれた。
すると桜の幸せそうな笑顔を見たテオドアもつられるように微笑する。

「やはり、思った通りですね」

「何がですか?」

「貴女には笑顔が似合う、と言うことです」

「…あ、ありが、とう‥御座いマス」

ひとり頷くテオドアに桜が小首傾げると彼は優しく微笑んで答える。
恥ずかしげもなく言われた恥ずかしい言葉に桜は湯気が出そうな程顔を赤くしテオドアから顔を背けた。
純粋とは恐ろしいと彼女が思ったのは言うまでもないが、初めて言われた褒め言葉ととれるそれに自分の心が熱くなるのを感じる桜は、彼の言葉を素直に嬉しいと思うのだった。

そうして顔を緩ませ始めた桜に突如衝撃が走り彼女は思わず素っ頓狂な声を上げる。
何かと思えばテオドアが自分の頬を摘んで引っ張るようにつねっているではないか。今まで彼の言動に驚いてきたと思う彼女だったが、今以上にはまだ驚いてはいないと桜は思った。

「いひゃう‥何を!?」

「‥すみません。ですがちょっと悪戯したくなりまして」

「いひゃず…?」

「あの部屋では貴女はまだ少し緊張しているように見えましたから…」

「は、はぁ‥」

テオドアは変わらぬ様子で桜を見つめたまま言う。
笑顔とその行動が繋がらず桜は訳が分からなかった。するとテオドアは直ぐに桜から手を離す。
あの部屋とは恐らくベルベットルームの事だろう。確かに桜は未だその部屋で気は抜いていない。
抜く必要性自体あまり考えていなかったのだがテオドアがそんなことを心配してくれていたのかと、桜は意外に感じつつ何か落ち着かない自分の胸の内を確認する。しかし頬をつねられる必要があったのかは疑問に感じた。
一方のテオドア自身もこの衝動が何だったのかあまり把握出来ない己の行動に内心は心臓が出そうだった。
それでも思って口にした言葉は確かに本心であり今の気持ちは本物であると思うテオドア。

「それ以外のお顔が拝見したいと思いました。無礼をお許し下さい、痛かったですよね」

そう優しく微笑んでつねった桜の頬を撫でるテオドア。
彼のしている手袋のシルクのような肌触りを心地良く感じる桜は妙な気分でされるがままだった。


そうして何となく互いの体感温度が上がっている中、目的達成は成されていたので2人はベルベットルームへ戻ることに。
その帰路テオドアと並んで歩く桜はふと口を開いた。


「有難う御座います」

「え?」

「何だか気を使わせて…私、頑張りますから」

「…」

テオドアが桜を見ると彼女は柔らかく笑って彼を見上げている。
そして軽く彼のまわりを回り歩きながら照れたように振り返って言った。
その姿がとても健気で愛らしいと、思うテオドアは自分がとても冷静でいるのに気付き、それはまるで当然だと言っているよう感じて苦笑する。


そんな彼が何か言いかけようとしたその時。

ふらりとした桜の背後に車が突っ切ってくるのが見えたテオドアは我に返って叫んだ。


「桜様っ!」

テオドアが桜の腕を物凄い勢いで引き自分へ引き寄せると腕の中へ収めるようにして体を引く。
桜は一瞬の事に呆然とするが横切るエンジン音と頬に当たる温かな温度で状況を理解した。
だが桜は顔を上げられない。

「す、すみません‥っ」

「貴女は‥それだから目が離せないのです。お気をつけなさい」

「ごめんな、さい…」

何も考えられぬ桜はただテオドアの言葉を聞いてそれらしい返事をしていた。
彼が放った言葉の真意を考える余裕などないだろう。


「さぁお手を…放さないように」

テオドアにたしなめられるように言われながら桜は体を固くする。

助けてもらっただけ。むしろ感謝だ。
それなのにこんなにも苦しい気持ちは、何なのか。

桜は混乱する胸にギュッと手を当てて鼓動を落ち着かせたかった。
それから体は離されるも手は取られたまましっかりと繋がれ桜はテオドアに引かれながら歩くことになる。
その間も暫く、桜の心臓は痛いくらいに跳ねていた。




―気付いたのは彼女か彼か。


壁は今確かに2人の目の前に―






(あれ?何、今の)
(目が離せない、果たして
それ、だけ?)



10/05/06.
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