▼それは、まだ 「こんにちは」 「ようこそ、ベルベットルームへ。本日はどの様なご用件でしょう‥」 「はい、えっと…」 誰も通ることのない路地裏の奥にある扉を開いて少女は其処へやって来る。 来訪数はまだ数える程で未だに扉へ入るのに躊躇するくらいだ。 ひと度入ると目の覚めるような青が印象的な、明るいのにどこか薄暗さ感じる広い部屋。そしてそれに魂を奪われたように立ち尽くしていると聞こえてくる声。 気付いて振り向けばいつの間にか少女、桜の隣には浮き世離れ、と言う言葉が良く似合う美しい男がおり彼女に微笑んでいた。 少なくとも外の世界でこれ程まで容姿端麗な人間に出逢ったことのない桜は差し出された手を取るのにいつも戸惑う。初めてここを訪れ己の力について一通り説明を聞いた後、手助けをする者を選べと言われ彼を選んだのは確かに彼女であるが、その選択はとっさの勘と無意識のイメージ。 まさかこんな待遇が待っているとは思わない。 かしこまってエスコートされるのを桜ははじめ断ったが、それが仕事だと言われてしまえば抵抗は忍びなく。大人しくされるも妙に堅い表情はまだ消えない。 そんな彼女の手を取る彼、テオドアが優しく、少し可笑しそうに微笑むのにこの少女が気付くことはないだろう。 部屋の中央にあるテーブルと椅子に案内され座ると気配に気付く。 桜が顔を上げれば老人と呼ぶには些か失礼のような、けれどもそれ以外に言葉は見つからぬ少し風変わりな人物がこちらを凝視している。 名をイゴールと言う彼から悪意は無いと感じていても何故か畏怖したくなる気持ちで背筋を伸ばす桜に、彼女を連れてきたテオドアが声を掛け彼女は我に返った。 「ペルソナを作ろうと、思って…」 「かしこまりました、ではこちらの表と全書をどうぞ」 桜が言うとテオドアは彼女の目の前のテーブルへどこから取り出したのかメニュー表のような物とそれとは比べものにならぬ程分厚い本を差し出す。 それを開けば自分が所持しているペルソナが何故かいつも最新で更新されているのを毎回不思議に思いつつ、桜はそれらと見つめ合った。 「ん〜‥これ、じゃ‥ない、かな…えっと…」 桜は表を見つめながら首をひねっている。 それをただじっと見ているだけの部屋の住人達。 それが少し居たたまれなくなるような緊張を桜に与えていたりもするのだが、まだ新米な彼女がそんなことを言える筈はなかった。 するとイゴールがふと座っていたソファを下りる。桜が顔を上げると彼はにたりと笑ったままだった。 「所用が出来てしまいましたな。暫し、此方はお客人の気の済むまで吟味しておいでなさい、頃合いにはきちんとペルソナを生み出しましょう‥では」 イゴールはそう言い、桜がほんの少し彼から目を放した隙に忽然と部屋から消えていた。唖然としつつも桜は目の前で自分を凝視していた存在の消失に少し安堵する。 「他にもお仕事が?」 「そうですね…恐らく姉の方の客人の元へ赴かれたのかと」 「お姉さん‥」 桜が聞けばテオドアは口元へ手を添えイゴールが消えた跡を見詰めながら返す。 桜も何となくでしか把握していなかった彼の姉と呼ばれる存在を彼の口からはっきりと聞いた彼女は途端に興味が湧いた。 人間離れしているようにも見えるテオドアに姉がいると聞いて少し身近に彼を感じることが出来たからである。 そんな桜の表情は分かりやすかったのかテオドアは小さく何処か困ったように笑い口を開いた。 「そう言えばお話していませんでしたね。私には姉が2人いるのですよ」 「へぇ2人も…きっと素敵なお姉さん達なんでしょうね」 「え……えぇまぁ…そう、ですね」 桜が楽しそうに笑みを浮かべ言うとそれとは反対に引きつるテオドアの顔に彼の返事は微妙。 彼が何故そんな顔でそれ以上語らないのか不思議に思いつつも、桜は他愛のない会話が出来たことで緊張を解いていくことが出来た。 そうして場の空気は緩んだのだが、桜はまだ唸りながら難しい顔で表を見つめている。 「うーん…」 「なかなか良いものが見つかりませんか?」 「ん〜‥なるべく良い子を作ってあげたいですから」 「…」 随分時間をかけている桜にテオドアはいつの間にか用意した、紅茶の注がれたティーカップを彼女が表と共に開く本の横へ置いて声を掛けた。 桜は顔を上げふんわりと笑顔を見せる。 それをテオドアは揺れる胸の内の騒ぎを聞きながら微笑し返した。 ペルソナとは自分自身であるもその姿は様々で個々に違う。それは自分のパートナーとも言える絶対的な仲間。 そんな彼らと戦いに赴くのならばいつ出逢ったとしても1つ1つとしっかり向き合いたい。 決して誰も蔑ろにはしない真摯な桜の優しさと誠実さ。 それがごく自然でひたむきだと思う彼女の姿にテオドアは単純な感情を浮かべる。 美しい、と。 そんな彼の口から次に出た言葉は彼自身無意識の言葉だったのかもしれない。 「きっと嬉しいでしょうね」 「え?」 「貴女に選ばれるべくして選ばれ生み出されたペルソナ達は、とても大切にされて」 テオドアは何か物憂いげな顔でぼんやりと口にする。 彼の言葉とその表情の艶に桜は気恥ずかしくなって妙に慌てた。 「そ、そう思われてたら私も嬉しい、なぁ‥」 「私も…」 「え?」 「その様にこの全書を扱わせて頂きます」 テオドアがそっと本の端に触れる。 その瞳のしとやかな光に桜は体の熱が上がるのを感じた。 「いや、そんな別に…」 「いいえ。これは貴女の大切に思うペルソナ達の書。言わば貴女様ご自身をお預かりしているようなものです」 桜は軽く笑って手を振る。 テオドアはそれに首を横へ振り彼女に微笑んだ。 「これから、貴女を手助けするこの身です。私も同じように接し、貴女と共に前へ進んで行きたいのです」 「テオ‥さん」 テオドアの瞳は真っ直ぐと偽りは感じられない。 それを真正面から受けた桜の心は緩やかに絆されそして、今まで感じたことのない熱さをもって鼓動する。 その感情が何なのかまだ分からぬ彼女はそれを信頼という言葉で納得し、今はただ純粋な嬉しさで笑顔を浮かべた。 「宜しいでしょうか?」 「…はいっ、こちらこそ宜しくお願いしますっ」 テオドアの小首傾けた微笑に桜は満面の笑みで頭を下げる。それを彼もまだ気付かぬ熱情秘めた笑みで静かに見つめていた。 確かに隔たりを崩した筈のその瞬間。 それが意味するものを理解し次なる壁に彼等が気付くのは まだ先の話。 淡い何か (これはきっと単純なもの) |