放課後、いつもより長引いた委員会活動を終わらせ、部活にも入っておらず大して友達のいない私は今日も一人で帰ろうといつもより教科書の多い重いスクールバッグをよいしょと持ち上げた。その中にはこっそり買いためておいたたまのすけの餌も入っている。今日はどこの部も活動があるはずだから昨日のようなことは多分ないだろう。
たまのすけと二人きりで楽しく遊ぶ情景を頭に浮かべながら胸を弾ませて歩こうとした時、聞こえるはずのないその声が、私の足を止めた。

「あっ名前!委員会もう終わったよね?一緒に帰んない?」

なんで。

「あっ、え、美紀ちゃんたち今日部活じゃ…」

「なんか今日はダルいからサボることにしたんよーだから帰りゲーセンも寄るんだけどどう?」

ペラペラと私の理想の帰り道を容赦なく崩していく美紀ちゃん。"ごめん、今日は用事があるから一緒には帰れない"頭ではそんな言い訳がすぐに思い浮かぶのに、口はそれを言おうとはしなかった。開きかけた口から出るのは吐息のみ。言わなきゃ、はやく、答えなきゃ。

「あ、えと…うん、わかっ…」

「あー、悪いけど今日こいつサッカー部の見学だから無理」

私の言葉を遮り平気で嘘を並べた彼は一体どこから来たのだろう。突然現れた彼に女の子達は勿論私も開いた口が塞がらない程驚愕していた。美紀ちゃん達の言葉も待たずに「んじゃ」、と別れを告げ倉間くんは私の手首を乱暴に掴み早々とその場を去る。サッカー部で鍛えられたその足はとてもじゃないがついていける速さではなく私はがむしゃらに走っていた。突然なことだらけでパンクしそうな私の頭は考えれば考えるほど混乱していく。南沢先輩とは少し違う白いユニフォーム。小さな背中を必死で追いかけた末にやっと辿り着いた場所は今朝目にした光景と重なる。朝のようにしいんと静まり返った靴箱。その静けさにやけに安心してしまう。

「あいつらついて来てねえよな?」

「た、ぶん…あ、あの、たっ助けてくれてありが…」

「はあ?別に助けてなんかねえよ。見てるとイラつくの、お前みたいな言いたいことはっきり言わずにうじうじしてる奴」

「は、ハヒ…」

「なんでいつも言い返せないわけ?今日だって本当は一人で帰りたかったんだろ?」

「そ、そうです、けど」

「馬鹿じゃねえのマジありえねえ。一緒に帰りたくないくらい言えんだろ、はっきり言えよほんっと情けねえな」

ぐさりぐさりぐさり。いつも以上に酷い罵倒が私の心を痛めつける。確かに本当のことだけどさ、本当のことだけど、そんなハッキリ言わなくたっていいじゃないか。こっちの気持ちも知らないで言いたいことをズバズバと言って私の話なんてちっとも聞いてくれやしない倉間くんにだんだんと腹がたつ。何故私ばっかりいつもこんな屈辱的な思いをしなきゃいけないのだ。言い返そうと思っても出かけた言葉は膨らみかけて破裂する泡の如く消えていく。これじゃさっきと同じ、何一つ変わってない。
ずっと周りのことを気にして自分の気持ちを伝えるのが怖かった。一人になりたくなかった。だけどそんな日々は毎日楽しくなかった。パシられて、馬鹿にされて、笑って、そんなのはもうごめんだ。言われっぱなしなんてもう嫌。そう思っていたら私は気がつけば口を開いていて。

「わっ私の気持ちなんて、わからないくせに、なんでそんなこと、言えるんです…」

無意識にそう呟いた私に倉間くんの眉間がぴくりと動く。怖い。だけど、それでも一度動き出した口は止まることを知らない。

「本当は、一人でやりたいことだって沢山、あるっ、いつも馬鹿にされて、言い返したい、悔しいっ…でも嫌われるのが怖くて、悪口言われたりしたらって思っ、たっら、言いなりになることしかできなく、て、そ、それに私パシリなんかじゃない、私の気持ち考えないでそうやって馬鹿にする倉間くんの方がっ、よっぽどありえない!」

今まで言いたかったぎゅうぎゅうに詰め込まれていた言葉達が一気に放たれて、私の体は酸素を欲しがった。ぜえぜえ、と肩で息をしながら「やってしまった」と思ったけれど心は風船みたいに軽く、不思議と後悔が湧き上がってくることはなくて。

「って、わ、わたっ私、ごめんなさ…」

倉間くんの方を盗み見ると、いつものような鋭い視線で私を真っ直ぐと見据えていた。ああそのメドゥーサの如く鋭い目つきで睨まないでください、石になりますまじ動けないですって。

「ほ、本当に、ごっごめんなさっ…」

「ちゃんと言えんじゃん」

「…え?」

思わず塞いでしまった耳に届いたのは思っていたのとはあまりにも違う言葉で、聞き間違いかと彼の方を見れば、目つきは相変わらずだけどそこまできつくもない表情で私を見ていて。

「そんな喋れんだから言い返すくらい簡単にできんだろ」

ま、行動に移すかはお前次第だけど、とぎこちなく視線を私からずらす倉間くん。もしかして、励まそうとしてくれているのだろうか。短気な倉間くんが私なんかにありえないなどと言われ怒らないわけがないと思っていたのに。むしろ私に優しい言葉をかけてくれているだなんて。信じがたい現実に頭の中がぐちゃぐちゃと渦巻いて混乱する。何故だ。何故だ。どういうことなんだ。

「おい倉間、部活保護者会の申込書ちゃんととってきたか?」

突然何の前触れもなく(というか多分私が足音に気づかなかっただけだが)、ワカメのような…じゃなくてゆるゆるとウェーブがかっている茶髪の中性的な顔立ちの男の子が私達の前に現れた。神童くんだ。隣のクラスの学級委員を務め成績は常に上位を維持、スポーツ万能、おまけに顔もイケメンということで南沢先輩の次の次くらいにモテるとか。
神童くんの言葉を聞いた倉間くんは顔を真っ青にして「げっやば、忘れてた!」と慌ててUターンをして超高速で走っていった。何故行ったのに忘れたんだ…と呆れ顔で呟いた後こちらに視線を送る神童くん。

「お前も部活ないならあんまりゆっくりしてないで早く帰れよ。」

「あっ、はっはい!」

軽く頭を下げて挨拶をし、急いで学校から出ようと足を進めた。するとなぜか後ろからくすくすと控えめな笑い声が聞こえてきて、そしておかしそうにこう続ける。

「靴、上履きのままだぞ」

指摘されて気づいた。そう、自分の足元を見れば私の足に収まっているのは確かにローファーではなく名字と自分の名前が書いてある上履きだったのだ。その様子から自分がどれだけ焦っていたのかがわかってとても恥ずかしくなる。もう、穴があったら入りたい。そして埋まりたい。はあ、と人知れずため息をついて自分の靴箱から茶色のローファーを取り出し代わりに上履きをしまった。
それにしても神童くんの笑顔はとても可愛いというか、綺麗だ。いつもお堅いイメージが染み着いているせいかその笑顔が余計輝いて見える。そこらへんのゲラゲラ下品に笑う男子とは相反に、やんわりと静かに、上品に笑う神童くん。これが女子にモテるひとつの理由なのかもしれないな。

気をつけて帰れよ、と手を振るという年相応の動作で練習に戻っていく神童くんは先程とはまた違う雰囲気の優しげな笑顔を浮かべていて、私の胸はちょっぴり熱くなる。そんな顔、反則じゃないですか!
王子様スマイルで走っていく彼を見送った私はいつもと違う、ちょっぴり色付いた火曜日と、心の軽さに笑みを零していた。南沢先輩といい神童くんといい、今日はイケメン運がいいようです、なんて。





110729 / とうそう