「…声がでけえよ」

「す、すみませんすみませんすみませんびびっびっくりしちゃって…」

防衛心から手を前に出しながら必死に謝る。けれど、勿論いつまで経っても拳や蹴りなんかが飛んでくることはなくて、固く閉じられている瞼を恐る恐る開いて声の主の姿を確認すると、見覚えのある人だった。
この人は確か南沢さん、という人だった気がする。後輩いじめに定評のある先輩だとか、ちょっと危ない方面の先輩と裏で色々やっているとか、毎日毎日告白して振られる人があとをたたないとか、影でファンクラブができてるとか、女遊びが絶えない、だとか。誰と話すまでもなく、空気が飛び交うのと同じように、彼方此方で先輩の噂を耳にする。しかしそれらの噂は根も葉もなく、矛盾した点も多いため、何が真実なのかは最早わからなかった。ただ間違いなくわかることは、彼が並外れた美貌を持ち合わせているイケメンだということだ。

「で、もう一度聞くが、何やってんだこんなところで」

「はい!?はっ、え、えと…ちょ、ちょっと見学…?を…」

理由が思いつかず、頭にぱっと浮かんだことをそのまま口に出すと先輩が元からしかめ面だったその顔でさらに怖い表情を作ったのでぎちりと心臓が大きくびくついた。鋭い眼光。どこか軽蔑や警戒の色も混じったその眼で睨まれたら口を噤んで背中を丸めることしかできない。

「へえ、何?お前も男目当てのマネージャー志望か?」

「えっ!?ち…っ、ちちっちが…いま、」

突然凄く低い声で言われ恐怖でもごもごとしたはっきりしない返事になってしまったためとりあえず首をとにかく、とにかく一生懸命横に振って意思表示をする。そんな私をじっと心理を探るような目で睨みつけてくる先輩。でも私は本当にマネージャーをやりたいなんて思っていないし、男の子は苦手だからむしろ嫌だ。信じてもらえるようにこちらも負けじと見つめていると、先輩はそんな私を見た後暫くしてはあ、とわざとらしく息を吐いた。

「…その様子だと本当に違うみたいだな」

先輩は気が抜けたように壁によりかかってずるずると私の隣に座り込む。そして肩にかけていたタオルで自分の髪をかきあげるとグラウンドの方に目をやった。一見キザなその仕草も先輩がやるとかっこいいっていうか、あの、凄く色っぽい。

「あ、あの…」

「何」

「ど…どうして、男目当てって…」

「…最近顔の可愛い一年が沢山入部してきたせいで男目当てでマネージャーを希望する奴らが沢山いんだよ。だからお前もその一人だと思ってな」

「な、成る程…」

先輩はため息混じりにそう言って持っていたスポーツドリンクを口に注いだ。そっか。サッカー部はかっこいい人沢山いるもんなあ。神童くんとか、南沢先輩とか、霧野くんとか。ああ、あの子はどちらかと言うと可愛いの部類に入るのかな。

確かにこれらの人達を追ってきた女の子達がマネージャーの仕事を真面目にこなすことはないだろうし、真剣に練習をやっている部員の妨げにしかならない。先輩はそれが許せないのだろう。そしてそれは練習をちゃんとしたいという意欲から来るものであり、先輩はサッカーが大好きなのだなあとしみじみ思った。

「先輩は休憩中、ですか?」

「ああ、別に疲れてるわけじゃないけどな」

「…その割には汗沢山かいてますよ」

「うるせえ、暑いだけだ」

見栄を張る先輩にくすりと笑うと拗ねた子どもみたいな顔をする先輩。さっきまでの怖い顔とは打って変わったその表情にさらにおかしさがこみ上げてきて余計にやにやが止まらない。何笑ってんだよ、と言って先輩はスポーツドリンクの入っている水筒で私の頭をこつんと叩いた。思わず「イテッ」と声を漏らすと先輩はざまあみろという顔で私を睨みつけてくる。

「…み、みんな、サッカーお上手なんですね」

「まあサッカーの名門校だからな。上手くなきゃ困る」

「そうです、ね」

噂通り性格が悪くて冷酷な人なのかななんて思っていたけれど案外そうでもなくて、話してみるとそんなに悪い人では無さそうだった。ほんとヤリチンなんて言ったの誰だろう。

さりげなく先輩の横顔を見てみると、やっぱりすごくかっこよくて目を細めた。少し変わった目だなぁとは思うがイケメンの基準を満たすには十分で。汗が滴るいい男というのはまさにこの人のことなのではと思うくらいだ。
私の視線に気づいたのか今までグラウンドの方を見ていた先輩の視線がこちらへ向く。お互いの視線が宙でぶつかり合うと少し気まずくなって私は不自然に先輩から目を逸らしてしまった。

「…あんま人のことじろじろ見んじゃねーよ」

「すすす、すみません!」

その時先輩がぽそりと変なヤツ、と呟いたのはしっかり私の耳に届いていた。しかしここであなただって十分変なヤツですよ、と言い返せる程私は強気な人間じゃないため心を無にして何も聞こえなかったように流しておく。

「…じゃ、そろそろ行ってくるかな」

「あっ、が、頑張ってください!」

勇気を出してそう声をかけると先輩は「ん」と短い言葉だけど、ちゃんと返事を返してくれた。小さなことなのに相手が先輩だとそれが嬉しくて自然と笑みが零れる。これじゃあモテるのもわかっちゃうなあなんて思いながらかっこいい後ろ姿にほう、と見惚れていると突然さっきまで自分が何をしようとしていたのかを思い出し急いで教室に向かった。そうだよ、こんなことしてる場合じゃない。早くしないとクラスメートが来てしまう。
隣に置いてあるスクバを持ち上げ「廊下は走らない!」というベタな先生の注意を綺麗に流して廊下を全力で走る。心なしか廊下を駆け抜ける風がちょっぴり気持ちよかった。明日も朝練見に行ってみようかな。なんて。





110724 / せんぱい