「…ってわけで俺は百円玉を見事ゲットしたわけよ」

「なるほど〜あの名字がねぇ…」

「へえ、あいつ名字って言うのか」

「ちょ、ちゅーか同じクラスなのに知らなかったの?」

「あー、うん、知らなかった」

真顔でそう言い切って百円で買ったジャムパンに噛み付く俺に浜野は呆れたようにため息を吐いた。だって見るからに影薄いじゃんあいつ、とジャムパンを頬張りながら適当な言い訳を述べると今度は苦笑いを返してくる浜野。

「ちゅーか、普通は同じクラスなら名前はともかく顔くらいは覚えるだろ」

「んやぁ、まじで知らねえわ」

しかし同じ教室で結構な時間を過ごしているはずなのにまったく知らないなんて俺にとって名字は余程興味の無い存在だったんだなと改めて思った。まあ今日の出来事で名字の印象はすっかり頭に焼き付いてしまったけれど。

「あっ、ほらあそこにいる」

浜野が指差した先にはさっきの女子がパンを抱えたまま数人の女子達と一緒いた。

「ちょっとおっそいよ名前ー。もう昼休み終わっちゃうじゃん」

「ごっごめん…凄く並んでて」

「もうホントトロいんだからー」

この会話を聞いた俺は名字が今どういう立場なのかすぐにわかった。彼女は多分俗に言う「パシリ」と言うやつだ。別にいじめという雰囲気ではなく、女子達が使いやすい彼女をパシッているという感じである。小学生の時にもあんな奴いたなあ。自分の意思が弱くてそれを理由に良いように利用される奴。
確かにあいつは容姿地味だし頼まれたら断れなさそうなタイプだから、使いやすいと思われるのも無理はない。
しかし俺は女子達に「トロい」と言われた時のあいつの一瞬歪んだ顔を見逃さなかった。
それでも名字はすぐに表情を変えて「えへへ」とへらへら笑いながらさっき抱えていたパン達を一人一人の女子に渡していく。

「…だっさ、馬鹿じゃねえのあいつ」

「まっ本人嫌がってる感じじゃないし、別に大丈夫なんじゃん?」

そういうのに鈍い浜野はけろっとした様子でそう言うけれど、俺にはあいつが無理してるようにしか見えなくて、嫌なら嫌だと言えばいいのに馬鹿な奴だと心のなかで毒づいていた。ああいう自分を主張できないで言いなりになっている奴は嫌いだ。
いらいらを紛らそうと豪快にジャムパンにかじりついてもどうもあいつらの会話が耳から遠ざかろうとしない。

「あれー、私の頼んだパンないじゃん、名前買い忘れたん?」

「えーどうすんのよ美紀の分。あっ名前の分あげれば?口つけてないし」

「…え、あ、そうだね…」

あいつははい、とためらいもなく封を開け食べようとしていたクリームパンをパンのない女子に渡した。それとともに昼休みの終わり五分前を告げるチャイムが教室内に響き渡り、女子達は「やばっ」と言いながら口に無理やり押し込むようにパンを食べ始めた。あいつは皆に気づかれないようにお腹を押さえながらこっそりと自分の席に戻っていき、俺の後ろを通った際にぐう、と間抜けな音を鳴らしていった。浜野が「うわ、かわいそ〜…」と机に突っ伏している名字を見て口に手を当てながら言う。俺は黙って今自分が持っているジャムパンを見た。ジャムパンは二口かじられているだけでまだ半分以上残っている。

あれ、おいおいなに考えてんだ俺。

心のなかで疑問を抱きながらも体は自然と動いて、俺はパンを自分が口付けた部分だけ引きちぎって椅子から立ち上がった。浜野のちょ、何しに行くんだよーという問いを無視して机でぐったりしている名字に「おい」と声をかける。ぴくりと肩を揺らしてから鈍い動作で名字はそのやつれた顔をこちらへ向けた。

「……え…?」

「これ、やる」

「え、え…?」

「腹減ってんだろ」

「そそっそんな、悪いです」

「元はと言えばお前がくれた金で買ったし、口つけた所剥いどいたから」

「で、でも…」

なかなか受け取ろうとしない名字に堪忍袋の緒が切れた俺は無理やりパンを彼女の口の中に突っ込んでやった。ああ俺なにやってんだろ。こんな奴ほっときゃいいのに。ふぐふぐと何を言ってるかわからない名字の言葉を無視して俺は無言で自席に戻る。席に座ると浜野がにやにやしながらこちらを見ていたのでとりあえず教科書かなにかでひっぱたくとしよう。


時間を進めて数学の授業のこと。キーンコーン、と皆が待ち望んでいた希望の鐘が鳴り響いた。やっと本日の最終授業が終わったのだ。日直の規律、礼の合図でクラス中は一気に騒がしくなった。今日は部活もないからのんびりできる。俺はんー、と足の先まで伸びをして後ろの方の席の浜野に一緒に帰ろうぜ、と声をかけた。浜野は「速水はどうすんの」と返してきたが今日はそんな雰囲気でもないだろうと思い、結局二人で帰ることにした。

ホームルームが終わり教室内は「バイバイ」と「じゃあね」の嵐に包まれる。俺は肩にエナメルバッグを引っ掛け浜野と教室から出た。階段を降りている途中に速水が横を通り過ぎたけど、相変わらず目も合わせてくれないのでムスッとする俺に浜野が苦笑いを浮かべる。

「まー明日になれば落ち着いてるさ」

「あいつすっげえ根に持つから、めんどくせえ」

「でも速水だって一生懸命作ったんだろうし、やっぱ謝った方がいいんじゃない?」

「…そうだけどさ」

しばらく速水についての話題とか、でもやっぱり弁当はまずかったとか、そんな話をしながらさわさわと生い茂っている緑の並木道を浜野と二人で歩く。すっかり散ってしまった真白い桜に時がたつのは早いななんてらしくもないことを考える。もうすぐ六月も終わってすぐに期末、そして夏休みだ。

「んじゃあ、俺こっちだから。速水に何て謝るか考えておけよー」

「るせー、あんま口出すな」

ぱたぱたと手を振る浜野を見送り俺はまたゆったりと歩き始めた。物で釣れないかなとか、手紙で謝ろうか、なんて考えながらなんだかんだで速水のことを考えている自分に少し恥ずかしくなる。あーもうやめやめ。その時に考えよう。

110723 / ぱしり