更衣室から出ると太陽の真っ白い光が私の目を鋭く貫いた。遠くからぱしゃぱしゃと涼しげな水音が聞こえてくる。私も皆が利用するシャワールームに溜まっている少量の水を少し強く踏んだ。飛び散った水が膝まで届いて冷たくて、一人なのにつめたいっと濁点のついた発音で叫んだ。
プールサイドには既に数人がスクール水着を着用して談笑しながら授業が始まるのを待っていた。私はその中に混じることなく短パンから出したTシャツをひらりとはためかせて日陰のさしている見学席へ歩いた。足の裏が湿気を帯びたプールサイドの床を踏むたびにぺたぺたしてすこぅし気持ちが悪い。プールサイドの床はカラフルだからあまり目立たないけれど、色々な人の髪の毛とか、足の裏の汚れとか、虫とか、たくさん不潔な物が落ちていて、どうも好きじゃない。
見学席にすとんと座って続々と増えるクラスメイト達が整列を始める姿をぼうっとしながら眺める。中に体育着が混じっていないかと見渡してみるけれどどうやら誰もいないようで、しょん、とすこしさみしい気持ちになった。誰かいたところで、別にどうにもならないのだけれど。
整列というのにふざけてじゃれあっている人達に先生が叱咤する光景を太陽の眩しさに半開きになっている目で見つめながら、膝を抱えた。
先に言っておくが、ずる休みではない。全くそんなことはない。確かに私は水泳が嫌いだし、塩素アレルギーで休む云々と言い訳を考えたりしたものだけれど、そんなことを言いながら授業をずる休みしたことなんてないのである。
言ってしまうと、私は生理だった。中学一年という早い時期に始まった私は、身の周りに同じ境遇の子がいないため、なんとなく不安な気持ちである。それにお母さんから教えてもらったのだけれど、どうやら自分が生理であることは、あまり吹聴しない方が良いらしい。それ故に、余計不安だし、孤独感を感じる。
生理になると、なんだかいつもよりイライラしやすいし、授業中とっても眠いし、家に帰ると疲れてしまってすぐにベッドに寝転んでしまうので、生理は嫌いだ。こんなもの何のためにあるのかと腹立たしい気持ちで生理の先輩、お母さんに聞いてみたところ、どうしてか教えてくれなかった。いずれわかると言った。気になってしようがない。

長さが十何メートルくらいもあるこの見学席にぽつんと女子がひとり座っているこの絵はきっとおもしろおかしいものだと思う。時間がたつにつれてぎらぎらと一層輝きと熱さを増してみんなを照らすお天道様。照らす、というよりは、焦がす、焼いている、などの表現が適切のように思う。そんなお天道様の光を受けてみんなが泳ぐたびにきらきらと青く揺らめくプールの水。必死に自分の体に塗りたくった日焼け止めの匂いと桃の甘い制汗剤の匂いがふと鼻をつついた。夏だ。目の前に広がる「夏」にわたしはただ茫然としていた。どこかで蝉が泣いている。水の弾ける音がする。教室で一人取り残され待ちぼうけをくらいながらも健気に教室内を冷やすエアコンの唸る音が聞こえる気がする。

あぁ、小学校低学年くらいまでは、わたしもあの中で一緒にきらきらしていたっけ。

いつからか周りの友達の目を真正面から見られなくなっていた。みんな変わっていた。心がどんどんおおきくなった。大人になった。話し方も仕草も笑い方もすべてが変わってしまった。諸行無常という言葉の意味を、私はもう知っていた。よわむしだと自分でも思ったけれども、足がすくんでしまった。遠い場所からそんなみんなを見ているのがわたしの精一杯だった。

する会話といえば、すれ違うときに肩が触れ合って「すみません」だとか、そのくらいだった。先生とは、授業中でさえしていなかったかもしれない。
寂しかったけれど、だんだん寂しいのが普通になってきて、最終的にはどうでもよくなっていた。

中学に入って心機一転頑張ろうとも思わなかった。小学校のときと同じように過ごしていれば不自由はあまりないだろうと思ったから、わたしはできるだけ一人でいるようにした。
美紀ちゃん達のグループに入ることになったときも、美紀ちゃん達がならび、その後ろにわたしが金魚のフンのようにつく形だったから、特に小学校のときと変わることはなかったし、むしろいじめられたりするのがこわくてニコニコ笑いっぱなしなのが小学校のときよりも疲れた。

でも、倉間くんが現れた。突然だ。パン拾ってくれて、口の中につっこまれるし、嫌なことばっかり言ってきて。小さいし。
だけどちょっと優しくて、気づいたら一緒にいるようになって、浜野くんと友達になって、速水くんとぽそぽそ話をして、日を重ねるたびに色を失った廃れた世界に明るい色がひとつひとつと足されていった。

楽しいと、思った。だからこそ、一人の寂しさをまた寂しいと強く思うようになってしまっていた。一人は、こわい。倉間くん達と、いたい。なんて、なんでこんな贅沢をわたしは言うようになったんだろう。ただ少しの時間いないだけなのに。一人になると、学校に家の鍵を持っていくのを忘れてしまったときのような、そんな焦りと不安がよみがえる。
そして実感する。あの人達以外に、わたしには誰一人いないなんて。なさけない。
ずっと一人だったんだから、大丈夫。大丈夫。
そう思っても一度触れてしまった人の温かさはなかなかわたしの体を離れてくれない。なんだ、私まったく成長していないじゃない。

また、逆戻りになってしまう。嫌だ、そんなの。わたしは微かに震える手にぐっと力を入れて目の前の光景に目を背けた。

先生がみんなをプールから上がらせているのを見て、授業がもう終わることを悟り、そっと見学席から腰を上げるとのそのそと更衣室に向かった。すると次の瞬間、私はひょう、と奇怪な声をあげた。何もないのに、こんな声をあげるはずはない。私は誰かによって自分の首元を掴まれたのだ。

「ようパシリ、ズル休みか?」

「ち、ちがいますよぅ…てか、つっつつつべたっ」

涙ながらに後ろを振り向くと倉間くんがにたにたと嫌な笑いを顔に浮かべて立っていた。夏の暑さに浮かされた私の体温とずっと冷たいプールの中で泳いでいた倉間くんの体温には随分と差がある。突然掴まれた首に冷たさが鋭いもので刺すようにひしひしと伝わってきた。

「じゃあなんで休んだんだよ?体調わりいの?」

「まぁ、そんな感じ、です」

ふうんと言って私をしげしげと見た後じゃ、いくわと身を翻してさっさと倉間くんは行ってしまった。じくり、と少し胸が痛んだ。今日はその去っていく姿が、なんだか寂しい。
物憂い気持ちを抱えながら、私も皆が来ないうちにさっさと着替えようと早足で更衣室へ足を進めることにした。少し濡れた首元に倉間くんの手の感触がまだ少し残っていた。



131026 / しちがつ