倉間くんと二人きり。そんな考えがふと頭を過った私はここが図書室ということも忘れ吹き出し、混乱する頭を落ち着かせようと努めていた。ちょ、ちょちょちょっと!ちょっと!私はどうしたんだいきなり!昨日立ち読みした少女漫画に頭を侵されてしまったんだろうか。いやいや、でもよく考えてみれば、ていうかよく考えなくても、図書室には図書委員の人もいるし、私たちと同じように勉強をしにきている人だっている。それに倉間くんと二人きりだとしても、別にそこまで不思議なことでもない。むしろ二人きりの時の方が多いし。何故今になって意識しなくてはならないんだ。あれか、図書室か?図書室というこの静寂な空間がいけないのか?いやいやしかし、私と倉間くんの間にロマンチックな展開なんて今までに一回でもあっただろうか。答えはノーだ。いつもいつも口を開けば命令罵倒。第一倉間くんと恋人らしい雰囲気だなんてこちらからごめんだ。きっとあちらも同じ気持ちだろう。

「キャッ」

「ご、ごめん…」

「う、ううん、全然大丈夫…(うそ!うそうそどうしよう!消しゴム取ろうとしたら倉間くんの手と重なっちゃった!)」

「…(赤面中)」

「…(赤面中)」

「…あ、あのさ(赤面中)」

「うん…(赤面中)」

「俺、実は、さ、お前のこと…(赤面中)」

まてまてまてストーップ!ストーップトーキン!
試しに昨日の漫画にあった場面を登場人物だけ私たちに置き換えてみたら物凄いことになった。うわあすごく気持ち悪い。主に倉間くんが。ていうかどれだけ赤面してるんだこれ。
いつから私はこんな乙女な知識を身につけていたのだろうか。恐るべし少女漫画。
自分の凄まじい妄想力に吐き気を覚えながらさっきからずっとこちらを変な目で見ている倉間くんに慌てて謝罪しようとするけれど「ああああすみませんなんでもないでち!」と思いっきり噛んだ。あれ、私何がしたいんだろう。倉間くん超引いてるよ。今ちょっと椅子後ろにずらしたよ。
頭を抱えながら机に額を擦り付ける私にさらに引いているであろう倉間くんが「お前大丈夫かよ」と心配してくる。あの倉間くんに心配されるほど重症なのか、私。

「ほんとうに!ほんとうにすみません!」

「いや、別にいいけど、いやよくねえけど」

「え、えーと、お爺さんは川へ芝刈りに、でしたっけ!」

「もう行ってこいよ川へ芝刈り」

「すみません」

ようやく落ち着いてきて、私はしっかりしなきゃと頬をぺちんと叩くと説明に入った。
「ここは黒板に書いてなかったですけど、多分出ると思い、ます」「ふうん」私の言葉をすらすらと自分のノートに書き写していく倉間くん。ふあ、と小さく可愛いあくびをする彼はちょっぴり眠そうだ。
まったく、やる気があるのかないのかわからない。

「あ、そーだ」

「はい?」

「今日一緒に帰るからな」

「あえ…と、たまのすけにせめて餌だけでも」

「…しゃーねーな」

「あ、ありがとうございます!」

「…お前さ」

「は、はぁ、なんですか」

暫くそこで言葉を止めると倉間くんは「やっぱなんでもねえ」とシャーペンを動かすスピードを早めた。え、そんな。

「ちょちょちょっと、そういうのすごい気になるんですけど」

「んー、なんか、敬語やめろって言おうとしたけど、敬語じゃないお前想像したらなんかむかついたからいいや」

「あー、はい。私もなんかむかつきました今」

「ふーん」

あ、あれ!なんだろうこの人すごいいらっとする!

とは言えずイライラをそらすように敬語、かぁと考えてみる。「おっはよー倉間!」とか言う自分を瞼の裏に描いてみると確かにないな、と思った。

「く、くーらま!寝癖ついてるぞっ」

「…」

「すみませんでしたすみませんでしたすごい調子乗りましたあと寝癖はついてないですはいほんとにすみませんでした」

遊び心で試しにタメ語で話しかけたら無言でものすごく嫌そうな顔をされた。これは消しゴム攻撃来るか…?それともゴム射撃…!?と教科書をばっと目の前で構えると教科書越しからくつくつと笑い声が聞こえてきて思わず身を緩めるとそこにはにやりと笑った倉間くんがいて、気づいた時にはもう遅い。「隙あり」と投げられた消しゴムはスコーンと間抜けな音を立てて私のおでこを跳ね返り、跳ね返った消しゴムはころころと机を数回でんぐり返ししてやがて止まった。

「もうっなんなんです!」

「ははっおもしれえ…」

何が面白いのかわからなくて私はただ笑う倉間くんを見ていることしか出来なかった。なんなんだまったく。人に消しゴムを当てておいて面白いだなんて、本当に失礼な人だ。まあいつものことなのだけど。

「いつまで笑ってるんです…もう」

「あー、なんかすごい調子乗りましたにウケた」

「そ、そですか…」

笑わせようと思って言ったんじゃないんだけどな
あ。複雑な気持ちになりながらシャーペンをいじっていると「じゃあ一通り終わったし、次は俺が数学教えてやるよ」と倉間くんが数学の教科書を取り出して思わず「うげっ」と声を漏らしそうになる。私の大嫌いな教科。その名も数学。それも倉間くんに教えてもらうなんて。「お前こんなのもわかんないわけ?」と罵られる自分の姿が安易に予想できて私は嫌だ嫌だとひたすら首を振った。

「んだよ、俺がわざわざ教えてやるっつってんのに」

「数学は…嫌です…せめて英語を…」

「はぁ?今回の英語は単語の問題だけだろ」

英語さんが空気を読まなかった。
理科と社会は倉間くんも得意ではないみたいだし、どうやら諦めるしかないらしい。

「や、りますよ…わかりました」

「ん、じゃあわかんないとこ言って」

「えっと、ちょっと全部がわからないです」

「なるほど。話になんねえな」

「ええ、じゃ…じゃあ、ここで」

「ここって正負の数じゃねえか。こんなのもわかんないのお前」

「悪かったですね、生憎私には数学など必要のない教科と割り切っているんです…」

「今すっげー教える気失せたんだけど」

「私は教わる気なんて最初から少しもな…いわけないじゃないですか!」

「チッ」

「ハヒィッ」

「…」

「…」

「チッ」

「ハヒィッ」

「はっ、おもしろ」

「やっやめてくださいなんか!」

こんな平凡なやり取りをしながらさっきまで「二人きり」に混乱していた自分が馬鹿らしく思えて気がつけば倉間くんと一緒に笑ってしまっていた。いつのまにか時計の針は進んでいて、突然響いた「よーっすただいまー!」という元気な声の発信源に目を向けると浜野くんと速水くんが帰ってきていて、晴れやかな笑顔を浮かべる浜野くんとどんよりと疲れきった顔の速水くんを見て大体何があったのかは予想がついた。とりあえずお疲れ様です、速水くん。



120413 / おべんきょう