ざわざわと落ち着かない様子でクラスメイトが会話している中、私名字名前は追い込まれていた。
体の筋肉が完全に硬直し、心臓はどくどくと脈打つ速さを増して頭の中はかき回されているみたいにぐるぐると渦を巻いている。浜野くんの「名字落ち着けー」なんて声も今は雑音のようにしか聞こえない。

あれから一生懸命勉強に励んだ私はすべて50点以上という素晴らしい成績を得たわけだが、まだ私には国語とヤツがいる。数学という名前をしたあいつは私の天敵で、ついに今、そいつが私の手に渡ろうとしているのだ。

「名字さん」と音無先生の綺麗な声が雑音の中にまぎれてきたので「は、はい!」と思わず大きな声で返事をしてしまう。

「名字さん、よく頑張ったわね」

「は、はい…!」

音無先生が優しく微笑んでテストの中身が内側になるように折られた答案用紙を渡してくれた。ま、まさか…!私は折られた用紙を破ってしまうんじゃないかというくらい思いきり開く。と同時に私は膝をがくりと折り曲げそのまま崩れていった。




「名字ー」

「…」

「名字ったら!」

「ほっとけ、今は何言ったって返事しねーよ」

「みたいだね、ちゅーか名字って結局数学何点だったの」

「あー、たしか28じゃなかっ」

「あべはにかたなたかいぬふぁあたあた!!!!」

倉間くんが口にした数字に恐怖を覚え思わず韓国語みたいな意味のわからない叫び声が出た。「るせぇよバーカ」と言いながら私のお弁当箱から結構な大きさのコロッケを盗み一口で食べてしまう倉間くん。いつもならお母さんの美味しいお弁当を食べて幸せな気分に浸るはずの昼休みだけど、今日はとてもそんな気分じゃない。

「あ、あんなに…勉強したのに…なんで…」

「倉間の教え方が悪かったんじゃね?」

「はあ?そいつの頭が悪いのがいけねーんだよ」

グサァっと。倉間くんのするどい言葉が私の胸を貫きます。それが真実だという事実もまた私の胸を貫きます。これでも一応1点上がったんですよ、1点。

「でも国語は相変わらずすごいよなー、98とかぜってーとれないって!」

「あ、ありがとうございます…」

今回は出るだろうとピックアップしていた所がビンゴだったり、暗記が多かったというのもあって前回よりも点数が上がった。学年トップだとみんなの前で先生に発表された時はとても恥ずかしかったけれど。

「あっそーいや国語といえば俺達名字のおかげでみんな点数上がったんだよなーなっ速水!」

「え、ええ、まあ」

今までずっと黙っていた速水くんは突然話を振られて困惑しているようだった。曖昧な返事にもしかしたら下がったけれど私に気を遣って無理に同意しているのではないかとなんだか申し訳なくなる。でも浜野くんは本当に上がったようで、教えたかいがあったなあとちょっぴり嬉しかった。倉間くんはどうだっただろうと見ていると一瞬目が合うとすぐにぷいっとそっぽを向かれてしまった。な、なんだと。むっとしてこちらもぷいっと顔をそらすと浜野くんがにまにまとあやしい表情で「倉間、この中で一番上がったんだぜ」と小声で教えてくれる。なんだ。いつものツンデレスキルらしい。
倉間くんに睨まれていることにも気づかず浜野くんにつられてにやにやしながら満足感に浸っていると先ほどよりご飯が美味しく感じた。

「そいや明日から水泳の授業始まるなー!めっちゃ楽しみなんだけど!」

「っぐっ!ゲホッゲホッ」

「おいバカこっちにコーン飛んだ」

前にもそれ言われたような、と咳き込みながら思った。被害者の倉間くんにごめんなさいと言おうとしてもどうしても咳が止まらないので必死で頭を下げる。水泳。やはり残念なことに雷門中にもヤツはいる。

「お前、泳げないんだろ」

「やだ、なに言ってるんですか倉間くんそんな、さすがのわたしだって水泳くらい…」

「泳げないんだろ」

「…なぜ…わかったんです…」

「水泳って単語出したときのお前の反応でわかるっつの」

ふはん、とバカにするように鼻で笑われて頭に来ないわけがないけれど、悔しいが言い返す言葉が見つからない。そうですよ泳げませんよ!けのび5メートルもいきませんよ!唯一自信があるのはだるま浮きくらいですよ!だからなんですか人間は陸で生活するもんでしょう!泳げなくたって生きていけます!陸サイコー!!
なんて言えるわけもなく私は大人しく倉間くんにバカにされ続けていた。大体、そんなこと言う倉間くんは泳げるのだろうか。

「あ、悪いけど俺結構泳げるから」

むっきー!と思わず叫びそうになる。ナルシスト?ナルシストなんですか?しかしサッカーをプレイしてるときの倉間くんを見れば確かに身軽で運動神経が良いということがよくわかる。ああ、神様ってなんて残酷なんだろう。

「浜野くんも、その、やっぱり得意なんですか?」

「んーまあね!海好きだからよく泳いでたし!速水も結構上手いよ!」

「や、やめてください…そんなことないですから…」

そうやって謙遜されてしまうと、私はどんだけ泳げないんだということになってしまうからやめてほしい。取り戻しつつあった元気がまたなくなっていくのを感じながら私は運動神経の良い人達の中で一人肩身狭くして舌の痺れるすっぱい梅おにぎりを頬張っていた。あ、種飲み込んじゃった。
さて明日はどうするか。サボる言い訳は三つ。
「体調が悪いので見学します」「水着を忘れてしまったので見学します」「塩素アレルギーなので見学します」
最後のは自信作なのだが、妥当なのはやはり二つ目だろうか。いや、二つ目は成績が下がるからあまりよくない。とりあえず一つ目にしておこうか。

「お前、サボろうとか考えてねえだろーな」

「はっ!?へっ、なっ、何言ってるんですか!そそ、そんなわけないじゃないですかー!もう!倉間くんたら!」

はい、どうぞ!と怪訝そうに見てくる倉間くんの弁当箱にどんどんおかずを足していく。それを見た浜野くんに、あー倉間ばっかずりい!俺も!と言われおかずを移してあげていたらいつの間にか私の弁当箱は空っぽになっていた。まだ少ししか食べていないんだけど。な。家に帰ったらお母さんに何か作ってもらおうと思いながら私は一足先に片付けを始める。

ああ、明日なんて雨が降ってしまえばいいのに。いつも以上に憂鬱になりながら私はまだ先生が納得するような言い訳を考えていた。やっぱり塩素アレルギーにしようかな。
先週より少し暑さを増したお昼休みのこと。



120805(120328) / すいえい