「ったく、こんなこともできねえのかよ」

「ちゃんと、や…やってるじゃ、ないですか、ぁ」

あの日から一週間がたとうとしていた頃。倉間くんのパシリとして日々働くことになった私は多少イラついたりはしながらもきびきびと仕事(といったら義務的な物のようだけど)をこなしていた。倉間くんの私への扱いは本当に酷くてもしかして女として扱われてないんじゃないかと不安になったくらいだ。まあ実際そうなのだろうけど。

「雑巾しぼるくらいちゃちゃっとやれっての」

「だ、てこの雑巾、厚くて、ていうかあの、雑巾くらいは自分でしぼられてはいかがでしょうかなん、て」

「バカ、そんなことしたら俺の手が汚れるだろ」

「ああ、そういえばそうですね大変失礼を致しました」

なんて人なんでしょうこの人は。日を重ねるたびに人使いが荒くなっている気がするのは気のせいだろうか。ていうかあなたの手は汚れなくても私の手が汚れるということを忘れないで欲しい。
ぎゅう、とこれでもかと言うくらい力を入れて絞るとぼたぼたぼた、と灰色の水が指の隙間を落ちていく。倉間くんに絞り終わった雑巾を渡そうとすると倉間くんはひょいと私を避けながら手を合わせ「あーわり、ついでに戻しといてくんね?」と全然詫びる気もなさそうな態度で私に命令、いえ、お願いをしました。有り得ない!しかし断れない!

「わ、かりました…」

私は雑巾の端をつまんで教室の隅にある雑巾かけにそっとかけた。一仕事終えたという達成感からふう、と一息ついて心地よい疲れに満足していると後ろから「さんきゅー」という気の抜けた誠意の欠片もない声が飛んできて一気にテンションがダウン。ちょっと今幸せに浸ってるんで静かにしてもらえませんかね!とは言えず素直にぺこりと頭を下げる。

そういえば、あれから美紀ちゃん逹はまったく私に近寄って来なくなった。私が近くを通るとまるで大型トラックが通ったように素早く身を引いて目を合わせようともしない。それもそのはず、私の近くには何故かいつでも目つきの悪い小さな生き物がつきまとっているからである。(浜野くん速水くんも。)
最初は倉間くんがいない私単体を見つけては声をかけてきたりしていたのだが、私がすぐに会話を断ち切って逃げてしまうため、諦めてしまったんだろう。こいつはもう自分達のパシリではないのだ、と。勿論これは私にとってとても好都合なことで、これ以上嬉しいことはない。
今私がこのような状態である元凶とも言える彼はつきまとっているとは言え、別に私のボディガードでも何でもない。私は彼のパシリに過ぎないのだ。だからそりゃ私を離すわけがないし、私も逃げようとは思わなかった。そう、私が今学校という世界で生きていけているのは認めたくないけれど彼のおかげだ。パシリは大変だし、倉間くんはムカつくけれど、前よりはずっとずっと楽し…くはない、な。というか倉間くんがパシリパシリ言うせいでいつの間にか無意識に自分で自分をパシリと認めてしまっていた。わ、私は断じてパシリじゃない。倉間くんのお手伝いをしているだけ。お手伝いをしているだけだ。パシリじゃない。もう一度だけ。私はパシリじゃない。

「おい」

帰りの準備をとっくに済ませ、机に頬杖をつきながらぽけっと天井を見ていたらそんな鋭い声を拾ったので反射的に「ハッハヒィ!」と声を張り上げてしまう。それを聞いた声の主は耳障りとでも言うように耳に蓋をし片目を細め「るせ、」と呟いた。そ、そんなオーバーな。

「さっきからずっと呼んでんだけど」

「すみません、えっと、浜野くんと速水くんへの伝言ならさっき伝えました」

「あーそれじゃなくて。確かお前って勉強できたよな?」

「はい?」

「は?」

二人の間に沈黙が落ちる。ちょちょちょ、ちょっと落ち着こう。まずは話を整理する。私は名字名前中学一年生。血液型はA型。趣味は読書。特技はない。好きな色は明るい色。好きな物は本。苦手な物は、お勉強、そう、お勉強。

「ちょっと待ってください、私倉間くんに勉強できるなんて一回でも言いましたっけ」

できないとは言わせない的なオーラを纏って問う倉間くんに勇気を振り絞って反対するが、倉間くんの「だってお前眼鏡じゃん」というわけのわからない理由に頭にたらいが落ちてきたような気持ちになる。
何なんですか?今時って眼鏡かけてると頭いいんですか?それなら今頃地球人みんな眼鏡かけてるでしょうに!

「倉間くん、あの、生憎ですが私の学力はあなたのご期待には添えられない程度の物です…」

「なんだよそれ、お前中間の合計点何点だよ」

「ご、ごひゃ、ごひゃく…」

「オイ」

私は鞄の中の素点表を必死に隠しながら「とりあえず私が勉強を教えるなんて無理です!」と訴えると倉間くんが「何点だよ?」と顔をずいっと近づけてしつこく聞いてくるものだから私はパニックになって鞄を押し倒してしまった。ばさばさっと音をたててあらゆる教科書、ファイルなどがあちこちに散乱する。生徒達の雑談をするうるさい声で皆から注目を浴びるという恥ずかしい状況は避けたけれど、問題は素点表だ。何故こんなときにチャックを閉めていなかったのだろう。勿論散乱した教科書達の中には素点表も含まれていて、私は素点表を血眼にして探したけれど遅かった。

「国語94数学27理科32社会39英語54…うわ、まじかよ…」

「だっだめっ…返してっくださいっちょっとっ!」

倉間くんの手に握られたピンク色の素点表を奪い返そうと何度も取ろうとするが素点表を掴もうとする手はなかなか目的物に届かず虚しく空気を切るだけ。背や手足の長さは明らかにあちらの方が劣っているはずなのに私の手が素点表に追いつかないのはただ単に私がトロいからである。
ああ、とてもまずいことになってしまった。よりによって倉間くんの手に渡ってしまうなんて。ていうか何度も読み上げないでくださいちょっと!
絶対面白がっている倉間くんに「いい加減にしてください」とそろそろ怒りが沸騰しそうになった所で次の瞬間私は石のように固まってしまう。

「なにこれ誰の素点表ー?」

ちゅーか、国語と他の教科の差激しすぎるっしょ!と明るい声が私の頭に重くのしかかってくる。「合計点平均以下…」という小さな呟きも続いて私の頭に、肩に、腕に…

「ななななんで、なんで浜野くんと、速水くん、がっ…」

「よっ」

「よっじゃありません!もうっ返してくださいっ」

少し、というかかなり無理矢理三人の手から素点表を奪う。ああー、という残念そうな声を耳に入れず鞄を拾って周りに散らばった教科書などを詰めていくと速水くんが少し手伝ってくれた。「ど、どうぞ…」と目を合わせずに教科書を渡してくる速水くんに「ど、どうも…」とこちらもしどろもどろになってしまう。相変わらず自他供に認める似た者同士の私達の距離は縮んだ様子が見られない。仲良くしたいだなんておこがましいことは望まないけれど、不可抗力とは言えいつも一緒にいるのだから普通に話したりできたらいいのにと思う。

「あーあ、せっかく勉強教えてもらおうと思ったのにこんなんじゃ逆に俺が教える側だっての」

「あ、あなたにそんなことを言われる日が来ようとは…」

あまりの屈辱でこれ以上の言葉が出てこない。倉間くんよりは頭が良いという自信があったのに。ていうかそもそもこんなに酷い点数なのは入学したてで定期テストがこんなにきつい物だと知らず勉強をしていなかったからだ。きっとそうだ。

「でも名字、国語結構できてるよなー、確か学年トップじゃなかったっけ?」

屈辱と絶望でメンタル崩壊の私にナイスフォローを入れてくれる浜野くん。自分でも不思議なのだが、国語は本を読むせいか、他の教科よりも何故か点数がずば抜けて良い。私が胸を張れる唯一のテスト結果だ。

「国語だけでも教えてもらえばいーんじゃね?倉間国語苦手だし」

「え?ちょ、だから私教えるなんてできな」

「あー、じゃあパシリ放課後空けとけよ」

「あの、私放課後はたまのすけに…」

「放課後空けとけよ」

「はい」


120211 / てすと