ぽかぽかあたたかな陽射しが降り注ぐ中、ひゅるりと冷たい風が吹き抜けた。暖かいのか寒いのか、どっちつかずの気温である。稲妻町は所々銀杏の香りに包まれ、葉は赤黄に染まり、既に町全体が秋めいた風情をしていた。秋だ、と思った。

帰宅部の私は放課後、人の少ない教室で本をゆったり読むとこれまたゆったりと校門を出て帰路を辿っていた。秋ののんびりした空気に同調するように、テストが近いというのになんだか私の気分ものんびりしていたものだから、よう、と突然肩を後ろから叩かれた時は吃驚した。それも結構強めの力だったので、本人の顔を目の当たりにしても少しの間戸惑いを隠すことができなくて何も喋れずわたわたしていた。

「ははっ、ごめんごめん、びっくりさせるつもりじゃなかったんだけど」

霧野くんはちっとも詫びる気がないように器用に片目だけを閉じて両手を合わせながら口だけで謝罪をしてきた。しかし、そんな茶目っ気のある仕草をする霧野くんが可愛くて、文句を言う気も失せてしまい、「あ、うん、へへ…ごめんね、ぼうっとしてたから…」なんて気の緩んだお返事を返してしまった。

「うん、たしかにぼうっとしてた。空に浮かんでる雲の流れる速さに合わせて歩いてる感じだった」

「そ、そこまではのんびりしてない!」

霧野くんの例え方が面白くって、また霧野くんも自分でそう思ったみたいで、二人でくすくす笑った。「あれ、霧野くん、部活なの?」霧野くんは、見慣れた青と黄色の配色のサッカー部のユニフォームを着用していた。学校帰りにちらとサッカー部の練習を覗くことがあるのだけれど、霧野くんはいつもこのユニフォームを着てただでさえかっちょいい容姿でかっちょいい必殺技を披露したりしている。ので、よく覚えていた。

「ああ、うん、部活は休みなんだけどさ、自主的に学校の周りランニングしてたんだ。丁度お前がいたから話しかけてみた」

霧野くんは視線を斜め上にずらして少しはずかしそうに頬を掻きながら言った。自主練中を他者に目撃されることが、ちょっぴり照れ臭いという気持ちは私も知っていたので、霧野くんのそんな様子を申し訳なくも微笑ましく思った。そして何の脈絡もないが、霧野くんを見ていたら、バックの紅葉と可愛い桃色のおさげがとても似合っていてその色合いに見惚れてしまった。なんて、霧野くんの姿に見惚れてしまうのはいつものことなのだけれど、霧野くんの髪の色はそれほどに、とってもとっても綺麗なのだ。おまけに絹のように柔らかいのだから、嫉妬すらしてしまう。

「う、わぁ、えぇ、すごい偉いよ、それ、えらいえらい」

よしよしとその柔らかな頭を撫ぜてやると「おいおい子供扱いかよ」と不満げな物言いをしながらも霧野くんは眉を下げてふわりと微笑っていた。秋なのに、ふっくら膨らんだ桜の蕾が開花したような笑顔を咲かせる霧野くんにどぎまぎした。今更だけれども、私は霧野くんのことがだいだいだいすきなので、実は今撫ぜている手も微かに震えている。あああ、意識したら震えが大きくなってきた。トマレトマレと呪文のように頭の中で繰り返す。

「ふふ、背伸びしないと届かないのかよ。手震えてるぞ」

「ち、ちがうよ!背伸びしなくても届くけど、背伸びする方が撫でやすいだけだよ!」

「はいはい、わかってるって」

そう言って霧野くんも私の頭に手を置いてゆっくりとそれを撫でた。
小さな子供をあやすような優しい手つきで撫でられくすぐったい気持ちになる。触られてないのに、背中のあたりから首がぞわぞわした。「ね、ねえ」そう呼ぶと霧野くんはアクアマリンをそのままはめ込んだような綺麗な目を此方に向けて「ん?」と優しい声音で反応を示してくれた。

「あ、のさ」

桜さ、早く咲くといいねぇ。なんて、言った後に何を言っているんだ自分は、と思った。だって、霧野くんを見ていたらなんだか桜がとっても恋しくなってしまったのだもの。枯葉がぱしゃんと侘しい音を立ててはらはら落ちてゆく秋よりも、音をたてずに大人しくふわりと舞い降り散ってゆく桜を、ずっと見ていたいと思ったのだもの。学校付近に咲く桜は、殆どがソメイヨシノなので桃色というよりは白だけれど、私にはどうしても桜と霧野くんを切り離すことができなかった。

霧野くんは面喰らったような顔をしたけれど、すぐに目に桜の花弁のような涙袋を浮かべ、おかしそうに笑って「まだはえーよ」と言った。霧野くんの、大人っぽく整った口調が、たまに中学生っぽい崩れた口調になる時が好きだ。あ、あと、勉強も運動も得意な方なのに、絵が下手くそなところも好き。休み時間になった途端、友達と一緒にうきうきした様子で教室を飛び出してゆく姿も好き。好き、だなあ。

いつの間にか会話が途絶えお互い口を一文字にして黙っていた。霧野くんが私の髪をといていた手を止めて、さて、そろそろ行くかな。と言ったので、そ、そうかあとちょっぴり変な返事をした。行っちゃうよなぁ、だって自主練してたんだもんね。と納得するような気持ちの裏側にもう行っちゃうんだ、やだなあ。というドロリとした厭な気持ちが私の胸を蝕む。いたい。
自分でもわかるくらいに眉がぎゅっと動くのがわかった。自分でもわかるくらいだから、勿論霧野くんにはお見通しなわけで。

「行ってほしくない?」

「行ってほしくない!」

元気良く反復すると霧野くんはぷはっと吹き出して「じゃあもうすこし一緒にいよう」と言った。嬉しくて自分でもわかるくらいに口がゆるゆるになるのがわかった。自分でもわかるくらいだから、勿論霧野くんにはお見通しなわけで。



131101 / ももいろ