「お前らって性転換カップルだよな」

ある日突然言われた言葉だった。性転換。そんな一般の人は使わないようなあまり聞き慣れない言葉に初めて聞いた時は首を傾けた。
すると言った本人はそんな私に「性転換ってのはだから、男が女に、女が男にっつーか…」とあまり言いたいことがまとめられていないような説明をしてくれたが、そんな曖昧な説明でも私の頭はすぐに理解してしまった。気にしないよう目を背けていたけれど、本当は心のどこかでわかっていたからだ。私と蘭丸くんは釣り合わないんだと。友達は「気にしない気にしない!」と明るく肩を叩いてくれたけど、そんなことで私の気分が晴れるわけがなかった。

「名前、今日一緒に帰らないか?」

「へ、あ、うんっ…」

放課後の教室。まったく違うことに向いていた私の気は愛しの彼の声によって現実に引き戻された。こんなしどろもどろな返事にも一切変な顔をせず、「名前と帰るの久しぶりだな」と照れくさそうに笑う蘭丸くんを見て私の心は変なふうに萎む。綺麗な顔。バランスの良いスタイル。顔の大きさ。きゅる、と跳ね上がる長い睫毛。サラサラな長髪を二つに分けて結う彼はそこらへんの女子なんかよりずっとずっと可愛い。

しかし私がそんなことを言えるはずもなかった。広い肩幅。平均よりも高い背。低い声。ロングヘアーのまるで似合わない中性的な顔は、小学生の頃からショートヘアーで。頑張っても細くならない太い足は、毛穴がうっすらと炎症を起こしていて、お世辞にも綺麗とは言えない。
性転換カップル。そう呼ばれているのはすべて私のせいだった。蘭丸くんは本当はかっこいいのに、私の姿がこんなんだから。私なんかより可愛い子と隣を歩いていれば蘭丸くんは性転換なんて言われないのに。
努力はしていた。シャンプーを変えてみたり、洗顔を始めたり、香水をつけてみたり、スカートを短くしてみたり。必死に女の子らしく振る舞おうとしたけれど、どうしても“蘭丸くんに釣り合う女の子”には到底なれなくて。
この間倉間くんに性転換カップルと言われ私は目の前の現実に毎日苦しみを覚えるようになっていってしまっていた。

「…どうした?暗い顔してる」

ついに蘭丸くんにまで気づかれてしまった。もちろん言えるはずもなくて私は「ううん、なんでもないよ」と不器用に笑顔を作る。ああ、私今きっとすごく不細工な顔してる。「何かあったら言えよ?」と柔和に微笑みぽんぽん、と頭を叩いて撫でてくる蘭丸くん。前は蘭丸くんのその優しい手つきで触られるのが大好きだったけど、今は。
やめて。やめて。触らないで。こんな私にそんな綺麗な手で触れないで。
激しい劣等感に身も心もじわじわと蝕まれていく。

「や、めて」

「え?」

「もう私に、近寄らないで」

私は突然何を言っているんだろうか。感情のまま吐き出された言葉は酷く蘭丸くんを突き放す。驚きを隠さない蘭丸くんの顔もまた綺麗だ。ああ、もう、なんなの、かなあ。

「なんで、そんな綺麗なの、なんでそんなに可愛いの、なんでそんなにかっこいいの、なんでよ…なんで私はこんなに醜いの。私蘭丸くんの隣にいたくない、いられない、もう蘭丸くんのこと、見たくない!」

蘭丸くんが何かを言う前に私はその場を立ち去った。一部のクラスメイトが好奇の目でこちらを見ていたけれど、そんな視線も振り切るように私は全力で走った。体が、重い。
私の言葉に蘭丸くんは何を思っただろう。酷い奴?醜い奴?最低野郎?可哀想?
優しい蘭丸くんもきっと許してはくれないだろう。当たり前だ。

「鞄、教室に忘れてきちゃった…」

ずず、と鼻水をすする汚い音が静かな廊下に響いた。取りに行こうとしても体が拒否をして動かない。私はそのままずるずると壁に寄りかかって膝を抱えた。太くて、うっすらと赤いポツポツが浮かぶ汚い足。無性に苛立ってがり、と爪をたてると膝にくっきりと三日月を描いた赤い痕が残る。なん、で。
広い肩幅を狭めようとぎゅうぎゅう内側に押し込むけれどしっかりしたその肩はびくとも動かなかった。こんな体、いらない。こんな顔も、こんな心も全部いらない。いらない、いらない、いらない。

「なにこんなとこで縮こまってるんだよ」

突然私を包み込んだ優しい声と細い腕に私の体は硬直する。蘭丸、くん。声を絞り出してそう呼ぶと蘭丸くんはやっと見つけた、と腕に力をこめながら言った。耳元では少し荒い吐息が聞こえて私のことを探して走り回っている蘭丸くんの姿が思い浮かぶ。なんで、追いかけたんだろう。あんな酷いことを言ったのに。それなのに。外見に限らず内面も美しい蘭丸くんに私の心はまたふつふつと煮えたぎっていく。

「は、なして…」

「いやだ」

「もう、やだよ、やだ、私のこと、見ないで」

「いやだ」

離さない。そう言うように蘭丸くんの腕には力がこもるばかり。「いいにおい、が、する」と蘭丸くんは鼻を静かにすん、と鳴らした。女の子らしくなるためにつけた香水の匂いを、大好きな人にほめてもらうのはとてもとても嬉しくて。

「…何があったんだよ」

顔を蘭丸くんの胸に押しつけられて、頭を上から下にゆっくりゆっくり、何度も撫でられた。溜まっていた気持ちが、涙と言葉になって溢れ出す。

「倉間くん、が」

「うん」

「私たちのこと、性転換カップルって、言ってて、ね」

「うん」

「ほんとは、蘭丸くん、すごくかっこいい、のに、私が、こんなんだから、性転換なん、て、呼ばれてるの、すごく、悔しくってっ…」

「名前」

「私、頭でかいし、肩幅広いし、せ、たかい、し、かわいくないし、女子力ないし、こんなのが蘭丸くんの隣にいたら、蘭丸くんまで」

「名前」

もう一度蘭丸くんがはっきりと私の名前を呼ぶ。その口調が少し強くて私は思わず黙ってしまう。蘭丸くんはあのな、とそこまで言いかけると突然私から離れ、解放されたと息をつくのも束の間。今度は私の両手首を壁に押しつけて私の目をじっと見た。濁りのない澄みきった大きな瞳が私の醜い顔を映し出して反射的に目を背ける。

「どうだ、逃げられるか?」

「…うっ、う」

「全力出してもびくともしないだろ」

「そんなっ、こと」

「だってお前は女の子なんだから」

そう言い切ると蘭丸くんは私の手首を解放し、今度は私の頬に手を添え親指の腹でそっと撫でてくる。

「このすべっとした肌も、いい匂いも、女の子らしくて可愛い仕草も、可愛い笑顔も、泣き顔も、全部名前が女の子な証拠だろ」

「らん、」

「周りがどう言ってんのかは知らないけど…俺、名前のこと、すげーかわいいって思ってる」

「そんな、わたし、こんな、体も大きいし、」

「体のことなんて気にすんなよ。どうせ俺のが大きくなるに決まってる。それに、名前が俺のためにどんどん可愛くなっていくの、嬉しいけど、結構不安なんだぜ。他の奴に目つけられたらどうしようって、いつも思う。…なあ、変なことばっか気にして、なんで俺の気持ちを信じないんだ。お前は、俺より倉間に好かれた方が嬉しいのかよ」

むす、と口をむすんで不機嫌そうに私にデコピンをかます蘭丸くん。怒った顔も、可愛い。ふふ、と笑ってしまう。お世辞を言ってるようには、見えなかった。蘭丸くんが表情を和らげ、「わらった」と呟くと、無性に恥ずかしくなって、下を向くと無理矢理上を向かされる。そうなると自然と蘭丸くんがどうしても視界に入ってしまうわけで、綺麗な顔が間近にあることに私の頭は半パニック状態に陥った。あつい、顔が、体が。

「…こんな可愛いのに、なんで自分でわからないんだよ」

「蘭丸くんの方が、かわいい、よ」

「なんだそれ、むかつく」

蘭丸くんの整った顔が近付く。ちゅ、と可愛いリップ音が響き、私は爆発してしまいそうだった。あまりの幸せさにぞわりと鳥肌がたつ。蘭丸くんの腕にしがみつくと、すきだ、といつもより低い声で蘭丸くんが呟いて、ゆっくりと、何度も優しく口付けされる。好きな人に可愛いと、好きと言ってもらえれば充分だなんて。もう、わたし、貴方以外に何もいらないじゃないか。



120219 / ふやけたメランコリック