胸のあたりが締めつけられ、胃が痛み吐き気がする程今の状況を拒んでいる私の体と心。木曜日の四時間目の授業、体育である。前述でわかると思うが、私は体育という授業が大がつくほど嫌いだ。大大大嫌いだ。体育は運動能力を養うための教科と言うが将来スポーツ選手になるわけでもない私にはまったく関係のないこと。私にとって体育なんて教科はいらないのだ。
一年の一学期では1000メートル走をやった。皆で一斉にスタートを切り早速遅れをとる私。二周目ですでに過呼吸になり、ゴールする頃には鼻血を垂らしながら無様に倒れ保健室に運ばれた。タイムは8分16秒。学年最低記録だった。
二学期にはサッカーをやったっけ。チームメイトにしっかりしろと渇を入れられてはボールを踏みつけて転んだような気がする。何故みんなドリブルをしながらあんなに速く走れるのだろう。そう思うと同時に何故神は私に運動能力というものを与えてくれなかったのだろうと密かに落ち込んでいた。
三学期には跳び箱をやった気がしないでもない。六段七段八段を平気で飛び越えていく友達に唖然とした。股ぶつけるの怖くないのかな?とか素朴な疑問を持ちながらも試しに飛んでみた六段は私を飛び越えさせてはくれなかった。平均より少し背が低いのもあり精々飛べたのは四段。近くにいた浜野に大笑いされた。とりあえず悲惨だった。

そんなこんなで晴れて二年生になった私だが、二年生の体育もロクな結果にならないような気がしてならなかった。殆どの友達が、私が運動音痴なのをしっているため今更恥ずかしがるようなことはないけれど、それでもやっぱり運動という物が嫌いな私は体育を楽しみになんてできなかった。

制服から体操着に着替えて授業の始まりのチャイムが鳴り響くとともに体育館に生徒達の挨拶の声があがった。先生の指示に従って四列横隊で準備体操、筋トレと体を慣らした運動をした後、最後に軽くランニング(私にとってはかなり重い)を行う。全てを終わらせるとピリリと集合の笛が鳴り響き生徒達は駆け足で先生の周りに集まった。
皆が静まったのを確認すると先生は今日やることを伝えるべく口を開いた。今日は男女混合だ。嫌な予感しかしない。

「えー、今日は進級して初めての授業ということで、バスケットボールをやりたいと思います」

バスケットボールと聞いた生徒達からはわあっと歓喜の声があがり体育館はあっという間に歓声に包まれた。しかしあっちこっちからやったあ、よっしゃあと聞こえてくる中、私は一人唖然としていた。バスケットボール?バスケットボールだと?休み時間に男子がよくやっているあの過激なスポーツを今から行うと言うのかそんな馬鹿な。頭を抱えて鬱になりかけていた私の耳には先生の話も周りのひそひそ声も入ることなくいつの間にかチームも勝手に決められていた。
仲の良い友人が「やった私達一緒のチームだよ!」なんて私の手を取りながら喜ぶけれど、完全に力尽きていた私は「うん、そだね」と生返事を返すことしかできなかった。流行りの単語で今の自分を表すとしたら、そうだな。"オワタ\(^o^)/"という所だろう。

元気が無く話し相手にならない私に飽きたのか友人は他のところへふらりと消えていった。ぽつりと一人残されても何とも思わない自分はもう重症なんだろうな。
はぁ。周りのざわめきでかき消されるため息は誰にも気づかれることなく消えていく。

「なにボケッとしてんだよ」

「いてっ」

突然おでこに小さな痛みが走って、痛みを負わせた本人は怪訝そうな表情を浮かべて私を見ていた。ジャージの上下どちらも袖を捲って褐色の特徴的な肌を露出している背の低いそいつの手にはバスケットボールが抱えられている。

「何するのよチビ倉間」

「チビなのはお前もだろ。つか、もうすぐ試合だぞ、お前」

「うっうそ!」

まだ心の準備もすませていないのにもう試合だなんて。頭を抱えながらパニック状態に陥る私に、私が極度の運動音痴だと知っている倉間は落ち着けと宥めてくる。

「倉間はいいよね…体力もあるし、運動何でもできるし、羨ましいよ…」

「まあそりゃお前よりはできるわ」

「うっうるさいなあ」

わかってるけど言わないでよ、と頬を膨らませる私の発言を軽く流してとりあえず行くぞ、とコートを指さす倉間。コートには既に皆が集い今か今かと試合を待ちわびているようだった。ほら早く、と倉間に急かされ私は渋々皆のもとへ足を進めた。先ほどの友人のいるチームに並ぶと隣に倉間が来たからああ一緒のチームだったのかとぼんやりした頭で思う。
みんなが並んだのを確認すると先生はホイッスルを含み早くもピリリと緊張感を誘う笛の音が体育館に落ちた。ああもう、どうにでもなればいい。
ダムダムと雷音みたいに乱暴な音が響き渡り思わず耳を塞ぎたくなる。あんなボールに当たったら凄く痛いんだろうな。
早速クラスメイトからボールが飛んできて受け取ろうと慌てて手を伸ばしたけれど案の定ボールは私の手に収まることなく相手に渡ってしまった。友人が「ドンマイ名前!」と励ましの言葉をかけてくれるけれど、それでも自分のせいという現実が私を責め立ててきてどうしても立ち直ることができない。そのせいかギャラリーから見守る人達のひそひそ声が自分の悪口を言っているんじゃないかと思ってしまう。あんな簡単なパスも取れないの、と言われているのではないのかと。そして馬鹿なことに私は走っている途中に足を挫いて痛めてしまった。ただでさえ疲れているのに、これでは皆の足手まといになるのが目に見えている。
それでもせめて足は引っ張らないようにしようとカットに入るけど私のカットしたボールは運悪くも相手の手に渡ってしまう。頑張っても、頑張っても、ボールに嫌われてるみたいにまったくうまくいかなくて。

「あんなボールもカットできねえのかよ」

ふと、とある男子がそう呟いたのを私は聞き逃さなかった。それとともに私の顔は熱が集まりぼっと赤くなる。もう、やだ。やりたくない。やりたくないやりたくない。こんな恥をかいて文句言われるくらいならやりたくない。じわっと涙が目に滲み走り疲れて立てなくなった頃、前半の終わりを告げる笛が鳴った。
それと一緒に私は皆がいる場所から離れた所にずるずると座り込んだ。無理をし過ぎてさっき挫いた所が激しく痛む。足が痛いので休ませてくださいと先生に伝えればいいのだけど今の私にそんな体力はない。周りからずる休みじゃないかと疑われるのも嫌だ。ずっと滲んでいた瞳からぽろりと涙が頬を滑る。もう、やめたい。体育の時間が訪れるたびに、何度そう思ったことだろう。足を抱え込んで泣き顔を隠すように膝に額をぴとりと預ける。覚悟を決めて先生に痛みを訴えようと立ち上がろうとするけれどあまりの痛さにうっと声が漏れた。ああ、こりゃ立てないかもしれない。
今日は大嫌いな体育の日の中でも一番最悪な日だ。自分が無力なだけではなく他人に迷惑をかけてしまうだなんて、本当に私は何をしているんだろう。溢れて止まらない涙をごしごしと乱暴に拭うと頬がひりひりと小さく痛んだ。ぐしゅ、とみっともなく垂れた鼻水をすすると右側から誰かの足音が聞こえてその音に意識を高めればそれはどんどんこちらに向かってきているのがわかって。
やがて音は私の隣で止まると思うと頭にぽすんと小さな温もりが乗っかってきた。

「お疲れ」
その声を聞けば犯人は一目瞭然だった。なによチビ、と嫌みを言うけどあまりにも情けない声に自分でも笑ってしまいそうになる。どうせ笑いに来たんでしょ。運動できる倉間に私の気持ちなんか。顔を突っ伏しながら私は倉間に八つ当たる。

「そんな声で言われてもおもしろいだけだっつの」

「うるせー、ばか、触んなばか、背が縮む」

「へっ、縮め縮め」

おらおらと頭をわしゃわしゃ掻き回すように撫でてくる倉間に突っ伏していた顔をあげて睨むけれど涙がポロポロ溢れるせいできっと迫力なんてあったもんじゃないだろう。一見ちょっかいを出しているようにしか見えない倉間の行動に心配が含まれていることとか、バスケをしてる時私にパスを出さないように気を遣っていたこととか、倉間の優しさが嬉しくて申し訳なくて情けなくて。せっかく止まりかけていたのに倉間のせいだ。

「あのさー」

「…なに、よぉ」

「お前、ふつーにがんばってたし、途中足挫いても必死に動いてさ」

「そう、だよ…超、頑張ったよぉ…」

「おー。だから、今は休んどけ」

「…なんか今日、倉間優しくて、気持ち悪い」

「うるせーよ、お前の泣き顔のが気持ち悪いわ」

「はー?なんか言いましたかのりぴー」

「次それ呼んだら殺す」

「てゆうかなんで私が足挫いたことしってんの、そんなに私のこと見てたのきんもー」

「ちっげえよ!あんなに変な走りしてたら誰でも気づくし」

「へーふーんほーお?」

「にやにやすんなうぜえ」

いつもみたいに他愛のない会話をしていたら自然と涙は止まっていた。軽くからかっただけのつもりだったのに頬を赤らめる倉間を見てこちらも頬を熱くする。ああ今日の倉間も私も本当に変だ。

「…倉間」

「んだよ」

「…あり、がと」

「…先生には俺が言っといてやっから」

「ん」

「…って言いながら何ジャージ引っ張ってんの」

「ここは普通お姫様だっこで保健室連れてくとこでしょ」

ちょっと寂しくて変な理由をつけて倉間を引き留めるとはぁ、と呆れ顔で溜め息をつきやがる。アホかとか言われて断られるだろうなあなんて思っていたらいきなり倉間が私の前でしゃがみこむもんだから一瞬わけがわからなかった。当の本人は早く乗れよ、と急かしてくるけど、あの、

「ほ、本当にいいの?てかそれお姫様だっこじゃないし、恥ずかしいんだけど」

「恥ずかしいのはこっちだっつの、早く乗れ」

「私、重いよ?」

「チビが何いってんだし」

お前もな、と言いながら私は倉間の背中に身を委ねる。運動したばっかということもあってほんのり温かい倉間の背中。小さいから思いきって体を預けることができないけれど、さすが男子。結構ひょいっと持ち上げられた。「重い?」と尋ねると「重い」と即答されたのでとりあえず頭を軽く叩いておいた。

「お背中加減はいかがですかー」

「んー、もう少し高さがほしイタタタタ痛い痛い!」

こんな会話をしながらゆっくりとした足取りで進んでいく背中にほっぺたをあてて「ありがと倉間」とお礼をすると返事はかえってこなかったが代わりに背中がぽ、とほんのり熱くなった気がした。



120304 / 星のクレイジーソングでおやすみ