中に入るとそこは部活帰りなのかジャージ姿の高校生や、おててを繋ぎあったりしている仲の良い親子などで満たされていて、酸素が外よりも少なく感じた。三連休。せっかくの休みなのだから遊ぼうよとあらゆる友達に声をかけたのだが返って来る返事は生憎「彼氏とデート」だの「実家に帰る」だのと予定のない私にとっては辛辣なものばかりだった。
仕方ないと一人寂しく某有名なファストフード店で本を読むことにしたのだが、偶にはこういうのも良いだろうとポジティブに考えることにする。カウンターの後ろのメニューに目を配ると胃袋が少し面積を増したような気がした。今日は朝ご飯を食べてないし、多少沢山食べても大丈夫だろう。
長蛇の列に加わり、自分の番が来たところでチーズバーガー二つとポテトのMサイズ、ナゲットとアップルパイにメロンソーダというかなりヘビーなメニューを伝えると、店員さんは前に並んでいたドリンクのみを頼んだお客さんに作った笑顔よりも快活な笑顔を見せた。

頼んだ通りの品物を受け取ると、人で溢れかえる店内をかろうじて歩き、空席を探した。暫くさまよっていると小さな席だが空いているテーブルが一つあって私はすかさず鞄を置いた。
おぼんの上に品物と一緒に丁寧に置かれているお手拭きで手を簡単に拭いてお腹が空いていた私はすぐにチーズバーガーに食らいつく。やっぱりいつ食べてもここのハンバーガーは美味しい。一度噛みついたら止まらなくてあっという間に一つ平らげてしまった私はあつあつほくほくのポテトを摘んで口に含む。ひとりぼっちだなんて事実を忘れ、まったく美味であります!と親指を立てたい気持ちになった。

「…あれ?」

幸せに浸っているとカウンターの近くで吹き溜まっている人混みの中に一瞬クラスメートの姿が見えた気がして、目をこらしてみた。やっぱりそうだ。あの素敵な茶髪ショートのゆるふわカールの男の子は、間違いなくクラスメートの神童拓人くん。
普段はおしとやかでおぼっちゃまのようなイメージが浸透している彼がこんな所に来るなんて意外だななんて思いながら彼を見ているとその様子は心なしか困っているような、オロオロしているように思えた。どうかしたのだろうかと考えていれば彼の手元にあるトレーを見てすぐに席がないのだ、と納得する。客の出入りが激しいので少し待てば席は空くと思けれど、いつどこの席が空くかなんてわからないし、それまで神童くんを立ったままにさせておくのも可哀想だ。

「神童くん」

ちょっと大きな声で彼の名前を呼ぶとハッと振り向く神童くん。おいで、と手招きをすると戸惑いながらもこちらへ歩いてきて、前どうぞと置いてある鞄をどけてそう薦めれば「あ、え…」と困惑されてもしかして嫌だったろうかと不安になる。

「あ…嫌だったらいいよ、わたしが立ってるから」

「いやそうじゃなくて、その…いいのか?」

「うん、むしろ話し相手ができて嬉しいし」

そう言うとふっと表情を柔らかくして「じゃあ、お言葉に甘えて」と遠慮がちに前の席に腰掛ける神童くん。神童くんのトレーに乗っているのはコーヒーとポテトのMサイズという何ともシンプルなメニューで、咄嗟に自分のトレーを隠しそうになった。同い年で体の大きさも同じくらいなのに、この違いは何だというのだろう。トレーの食べ物達をはやくトレーから退場させたくて私は慌ててナゲットを口に頬張ったけれど、神童くんの前で汚い食べ方をするのは気が引けて、そんな勢いもすぐに失せてしまった。
目のやり場に困って神童くんのトレーあたりを見ていると神童くんの手がコーヒーの取っ手を掴んだのがわかった。店内はとても騒々しいのに、どこか次元の違う世界にいるみたいに私達二人のテーブルにだけ沈黙が存在を有していた。神童くんがトレーにコーヒーをカチャンと置く音さえも明瞭に聞こえる。ずっと膝の上で持っていた本は私の手汗を吸い取り、カバーをふやけさせていた。

「あの、そういえば、神童くんもこういう所来るんだね!ちょっと意外」

ついにたまらなくなった私はない話題を搾ってやっとの思いで口を開いた。神童くんの顔は、少し驚愕の色を滲ませたけれど、すぐに柔和な笑みを作って「そうか?休みの日は大体ここに来るけど」と彼特有の凛とした声で答えてくれた。

「へえー、神童くんってお金持ちだから高級なレストランとかに通ってるイメージがある」

「えっ、そんな…確かに偶にはそれらしいところにも行くけど、こういう所の方が俺は好き、かな」

彼が優しく受け答えしてくれたことに安心して、最初はしどろもどろだった自分の声にいつも通りの明るさが戻っていくのがわかった。彼と話すのは楽しかった。話題が脱線しては戻り脱線しては戻り、そしてその話題は全て彼の雰囲気には良い意味であまりそぐわないものばかりだった。サッカーの話、部活仲間の笑い話、バラエティー番組の話、本の話。どれも私にとっては新鮮で興味深く、メロンソーダの炭酸はあっという間に抜けてしまった。
どうして今まで話さなかったんだろう、と二人で笑い合うくらいに彼との時間は充実していた。一緒の教室にいた時は悪い人ではなさそうだけれど、少し近寄り難いと思っていた。しかし彼のことを知るたびにそんな思いは薄れていった。控えめにではあるけれど、神童くんはよく笑う。日頃気を張って部活のキャプテンや学級委員の仕事をやっているから、その反動なのかもしれないと思った。だから、あまり話したことのない私に気を許してくれているのかな、なんて自惚れてみて嬉しくなってしまった。

「あ、俺、そろそろ行くよ」

腕時計を見ながらそう言う神童くんにいつの間にかとんでもない時間を過ごしていたことに気づかされた。突然会話の糸が切断されたことに寂しさを感じながらも、うん、今日はありがとう、と平然を装って手を振るとあっちも微笑んでひらひらと手を振りかえしてくれた。彼が立った途端、急に店内のざわめきが蘇ってきて、私と神童くんの世界が現実世界と繋がってしまったのではと錯覚してしまった。もっと話したいという気持ちが否めなくてしょんぼりしてしまう。明日になったらまた教室で今日と同じように話してくれるだろうか。彼は人気者だからきっと難しい。
私の気持ちを素通りするようにどんどん神童くんは支度を済ませていく。じゃあ、と別れを告げる彼が名残惜しそうに見えるのは私の都合の良い幻想だろうか。少し迷ってから、トレーを持ってカウンターの方へ行こうとする神童くんの名前を呼ぶ。ぴたりと足を止めた彼にまたここでお話しませんか、と声をかけると背を向けていた彼がこっちを見て今日一番の笑顔で深く頷いた。





110803 / ソプラノに溶ける休日